「おいフォウル」
「……ぷはぁ」
「お、おい?」
「あ、あー……悪い、ちょっと待ってくれ」
娼館をでたフォウルは足早にその場から十分に離れた後、人目につかない路地裏に入り壁へと背中を預けた。
「うえ、気持ち悪い……」
預けたことで、どれだけ自分の背に大量の汗が流れていたかを実感し、その感触へと眉を顰める。
そのままずりずりと腰を落とし、フォウルはその場へと座り込む。
「だ、大丈夫かよ、おい……って、お前」
思わず実体化して、そんなフォウルの背中をさすろうとした時にクリエラも気づいた。
「大物、すぎるわ」
あのフォウルがここまで汗を流す。
どれだけの緊張感を持ってあの娼館主と話していたのかと。
「俺、あのまま飲み込まれそうだった」
「……ってぇと?」
「初対面なのに、全部信じてこっちの考えを吐き出しそうになってた。もしかしたら、フォウとフォウルが同一人物であることすら、言っていたかもしれない」
「まじ、か」
戦慄するクリエラだ。
重ねて、あのフォウルだ。
クリエラの頭にあるのは、仲間のために常より精神を乱さないよう気を払っていた男が、あの少しのやり取りでここまで精神をすり減らすのかと。
「信頼できる人かどうかはわからない。なのに、あの場で信頼してしまいそうになった。やり手もやり手だよ、あの人は。裏を考えれば、あの仮面で娼館の女たちを惹きつけたのかもしれないな」
あの娼館に居た女たちの連帯感、仲間意識は異常だった。
いや、あり得ることなのかもしれないが、異常を通常だと感じてしまうことが異常と言えばそうだ。
「じゃあ、てめぇはあれがあの婆さんのやり口で、裏で地位を確立してきた術だって?」
「本当に心の底から善性を持ってサクナさん然り、娼婦たちへと接してきた結果かもしれない。だけど、あの場で取り込まれていたら終わっていたと思う」
フォウルが我に返れたのは奇跡と言ってもいいだろう。
老婆が言った、色々な人を見てきたと言う言葉。
それがなければ、本当に終焉に向かっていたかもしれないと。
「判断が現時点ではつかねぇと」
「あぁ。幸い、時間を許された。どこまでを考えているかはわからないけれど、ちょっとこっちの動きを加速させる必要がある」
気持ちを取り直したフォウルは未だに少し笑う膝へと力を込めて立ち上がり。
「裏、調べよう。サクナさんをって思ってたけど、まずはあのお婆さんを調べて、判断つけられるようにならないと」
「わぁった。だが、裏闘技の試合はまだちょっと先だぜ? 表に関してもBランクの試合はそうすぐにマッチメイクされねぇだろ? どうすんだ?」
クリエラのもっともな疑問へと、フォウルは曖昧に笑って。
「ちょっと被害者にでも、なろうかな」
「はぁ?」
マスカレイドを発動した。
「ひゅー……」
「おいおい、あいつって……」
さて、そうしてやってきたのは裏通り。
露骨ではなくやや薄手、身体のラインが見える程度の服装をクリエラと共に見繕いフォウとして練り歩く。
練り歩く、といっても別に男漁りを目的としてやってきたわけじゃない。
如何にも何処かを探していますと言った風を装って、時折手元の紙を確認しながらだ。
「……中々、こねぇな」
頭の中で焦れたようなクリエラの声が響く。
フォウルの目的は、裏の人間に襲われることだった。
フォウとして襲われて、返り討ちにして、襲ってきた男の大本へと乗り込む。
まぁ、一言で言ってしまえば当たり屋紛いのことをしようと画策していた。
だが。
「うーん……」
それなりに深く進んできたと言うのに、中々手を出されない。
当然だがフォウとしての名声が邪魔をしているわけだ。
中途半端な悪漢、暴漢程度では返り討ちに合うのが関の山だとわかっている。
だからこそ、遠目に。
闘技場でお目にかかれないオフの姿を目に焼き付けて満足するなんて健全かつ、裏の人間としてはあり得ない楽しみ方で満足しているのだ。
「やっぱもうちょっと、劣情を煽るような格好のほうが良かったか?」
「バカ野郎、これで十分だ」
「まぁ、その程度で食いつくヤツがそこそこの地位にいるとも考えられないけどさ」
「テメェの身体はアリサのモンだっつってんだよ」
足がかりとしては別にどの程度でもよかったとフォウルは考えていたが、貞操観念にうるさいクリエラによって止められている。
そう、裏の人間を釣って、フォウルは老婆の素性に関してを調べたかった。
リスクとしては、上手くいけば逆恨みされて裏闘技場での試合がより厳しいものになるかもしれないが。
逆にそんな逆境を跳ね返せばそっくりそのままフォウの実績となるのだし、リスクに釣り合うだけの見返りは想定できた。
「じゃ、やっぱりもうちょっと奥か」
「……まぁ、オレ様は止めねぇがよ。大丈夫なのか?」
「どうだろうな。裏通りで無理なら、賭博場辺りに乗り込む方法もあるし」
「そうじゃなくてよ」
思わず苦笑いしてしまうクリエラだ。
当然、裏を行けば行くほど危険は高まる。
中にはフォウル以上の実力を持っている人間がいて、目論見を通す前に暴力でねじ伏せられる可能性もあるというのにと。
「わかってるよ。けど、なんでもありなら、俺だってそれなりだから」
「……はぁ、知ってるよ」
「何より……あのおばばさんを見た後だからかな? どいつもこいつも可愛く見えてしまう」
そう言って。
「んじゃ、もうちょっと奥行くぞ」
「あいよ。それでも気をつけろよ」
もう一本、娼館が立ち並ぶ場所から奥の裏通りへと進んだ。