「生憎と、開店前が一番サクナの忙しい時間での。申し訳ないのじゃが、サクナに代わってこのおばばが話を聞かせてもらおうかの」
「そう、ですか……いえ。そうですよね、重ねて申し訳ありません、そしてありがとうございます」
フォウルが通されたのは館主の部屋。
飾り気はあまりなく、如何にもと言うのか老婆が一人静かに余生を過ごす場所、終の棲家と言える場所。
勧められた椅子へと腰かけながら、そうだろうな、そうだからこそ今来たのだという考えを悟られないように表情を申し訳なさそうなものに変える。
「構わないよ、ご覧の通りうちはおばばの道楽みたいな店でねぇ……ほっほ、こうして若者が別の意味で客として来るのは、嬉しいもんじゃねぇ」
穏やかな笑顔を見せる館主だが、その見た目に騙されてはいけないとフォウルは心から油断の色を排除する。
この笑顔の裏に積み重ねたものは決して道楽という言葉では表せないものがあるはずで。
「お邪魔をしている自覚はあるのですが、そう言ってもらえると幸いです」
「ええんじゃよ、ええ、ええ」
この娼館が建っている区画を考えれば、そうそう深い闇に飲まれてはいないだろう。
しかし、その主は別だ。
裏の道を練り歩き、相応の地位に着いたからこそ、老婆曰くの道楽に耽ることができている。
もしもこの浮かべた笑顔が作られたものだとするのなら。
フォウという存在をその場その時へと適したものへと演じることで磨かれているフォウルの演技力を軽く超えているだろう。
「ほいで? 改めて、話っていうのはなんじゃろな」
「単刀直入に言えば、サクナさんを身請けできないかと考えています」
「ほーぅ? 身請け。久しく聞かんかった単語じゃのう」
加齢により垂れていた片瞼が大きく持ち上がり、フォウルの顔を射抜く。
「フォウル……言うたかえ? にぃさんはサクナを抱かんかったはずじゃ。身体が気に入ったなどとは言わんじゃろう? 容姿に惹かれて、ちゅうんもわからんではないが、味わう前から身請けっちゅうんも……よくわからん話じゃのう」
穏やかな口調ではあるものの、しっかりとフォウルの真意を覗き込もうとする姿勢だ。
まだ、他の娼婦たちが言う家族を守ろうとする者という姿勢として考えれば違和感はない。
「変、でしょうか?」
「身請け話がとんと聞かんようになって久しいがのぅ。むかぁしあったそんな人情話は、モノにしたあと大層気に入って、自分でだきつぶしとぅなったりしたからっちゅうんが多いんじゃよ。そんな時代を知っとるおばばからすれば、変としか言いようがないの」
あるいは、だ。
さっさと真意を話せ。
そういう風に言われているようにも感じられる。
「他に、理由があるんじゃろう?」
「……いえ、俺は」
「ええ、ええ。ええんじゃよ。そんな怯えやんで、ええんじゃ」
「っ……」
役者が違う。
フォウルは白旗を振らざるを得なかった。
中途半端な覚悟で踏み入ってしまったことを悔やみはしたが、ここまで読めない相手にはまっすぐぶつかるしかない。
「サクナさんの、実の親をご存じでしょうか」
「あぁ、あぁ……そうかい、そういう、話じゃったかい」
そう言っただけで、老婆は全てを察したように何度も頷いた。
「もちろん、知っとるよ。もっと言うたら、バル坊のことも知っておる。そうじゃな、にぃさんが知ってるより、ふかぁく、知っとるよ」
「……はぁ。降参です、参りました。ただ、俺は」
「わぁっとるよ。にぃさんの目はキレイだ。サクナを悪い目にあわせようとか、利用しようなんて、考えとらんくらい、おばばにはよぅわかっとるよ」
にこりと、邪悪さを感じない笑顔を覗かせた館主に、フォウルは完全敗北を悟った。
あるいは、信じていい相手なのかもしれないとすら。
「おばばも、いつお迎えが来てもおかしくないからねぇ……お天道様のとこぉ行って、お空から家族を見守ることは出来ても、守ることはできんから」
「俺なら、と?」
「そこまでいやぁせんよ。こうしてようさん人を見てきたら、にぃさんがどういう人なんか、ちょぉっとだけはわかる。じゃけども、にぃさん今、中途半端なままで来たじゃろう? ちゃあんと心が決まったらでええ。そんくらいお迎えは待ってくれおるじゃろうから、焦らんでええ。焦る理由があっても、焦らんでええ」
それは、曇り空の隙間から少しだけ差し込んだ陽だまりのような温かさ。
「おばばさん……」
「やろうと思うてること、教えてみ? 安心してええんじゃよ、さっきも言うたが、直にお迎えが来るばばぁじゃ。秘密を言いふらす前に、お墓の住人になっとる。おばばは裏で色々やっとったから、信じられんかもしれんがのぅ」
からからと、皺だらけの顔をよりくしゃくしゃにして。
これが演技だと言うのなら、もうそれは神様だって騙せるだろうと。
「……いえ、それを含めて、少しだけ考えさせてもらっても、良いですか?」
「うんうん、ええよ、ええ。いつでも待っとるよ。次からは裏口から入っておいで、おばばはもう身体で男の相手はできんから、お話でしか相手できんでな。相談じゃのぅても、いつでもおいで」