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第69話「陥落と圧倒」

「ん……あ、あれ? わ、私……」


 スリープの魔法が解け目を覚ましたサクナはベッドからむくりと身体を起こした。


「え? ふ、服、着てる? 私、えっと……確か、フォウルさんに……フォウルさんっ!?」


 眠っていたのはどれほどか。

 少し重さの残る頭を振って周りを見渡して見れば誰もいない。


「う、そ……え? 何が、何で私、寝ちゃって……あれ?」


 お礼ができなかった、身体を捧げられなかった。

 上にも下にも感情が振れる中、テーブルの上に乗っていた書置きを見つけたサクナは何故か緊張しながら手に取って。


 ――お疲れのようでしたので勝手ながら失礼いたします。

 服は館の人に頼みました、身体を見たり触れたりはしておりませんのでご安心ください。

 サクナさんなら言わずともご存じでしょうし、承知されているかと思いますが、ガルゼスの裏通りは治安が悪いためお気をつけて。


「……フォウル、さん」


 自然と、そんな手紙を胸に抱いた。


 手紙に記されていた通り、こういったトラブルを経験したことがなかったわけじゃない。

 ただ、今回のように問答無用を押し付けて力づくでモノにされそうになったことはなかった。


 男の怖さを知った。

 心の底から震え上がった。

 嗜み程度に教えられた護身術を振るう心の余裕もなく、その場から逃げ出すには腰が抜けて。


「優しい、人……なんだ」


 それは優しさではなく、よく言えばアリサに操を立てている、悪く言えば意気地なしということなのだが置いておいて。


 だからこそ下心はあったにせよ、初めてを捧げてもいいと思ったのだ。

 自分は最初に素敵な人と一夜を共にした経験がある、それだけでこれから先を生きていけると。


 自分へ正直に生きることこそがガルゼスの裏社会で生きる者であるが故に。


「やだ、な。胸、うるさいや」


 多くのそんな正直者を見てきた。

 生活環境上、見る機会があった、見ざるを得なかった。


 そんな中で理性を持って相手を慮る人間と出会ってしまった。


「うー……」


 ドキドキと、早鐘を打つ心臓。

 恋愛感情なんてものはわからない。

 そもそも自分の親の顔すら知らないサクナだ。


 初めての異性と認識できる父親を知らなければ、母親の愛情というものすら知らない。


 それでも。


「だ、め……我慢、できない」


 あまりにも早い心の陥落を実感したサクナは。


 静かにもう一度ベッドへと潜り込み、枕へと熱い吐息を零した。




『さぁ皆様お待ちかね! あのアイヴィー・プリンセスが準備を整え再び闘技場へとやって参りました!』


「うおおおおおっ!!」


「フォウお姉さまあぁああっ!!」


 間が開けば多少落ち着くだろうというフォウルの予想に反して、大歓声に迎えられた復帰戦。


 笑顔を張り付けながらも心の中で盛大な溜息をつきながら、得物ミスティアスの調子を確かめるように一振り。


「やっぱ――これなんだよなぁ!!」


「すてきいいいっ! 抱いてぇええっ!!」


「えぇ……?」


 それだけでこの盛り上がり様だ。


 どうにもフォウの準備期間という名の休暇を観客たちは焦らしとでも感じていたのか、何気ないフォウの行動一つに歓声を上げる。


 Cランクに上がれば、確かに一試合の賞金は跳ね上がる。

 殺しが解禁されるBランクでも大きく変わるが、殺生の心配なく十分すぎる程に稼げるCランクという立場は闘士の数も多く、必死にこの位置にしがみつこうとするものは多い。


『アイヴィー・プリンセスの復帰試合第一回目! 相手は黒犬でご存じ! ドリス・カルロット!』


 対戦相手が入場してきてもまばらに拍手があがるだけ。


 そんな有様に気分を害しているのか、ドリスという男は最初からしかめ面をしていて。


「あまり、調子に乗るなよ。お前の対策は、してきた」


「そうですか」


 互いの声が聞こえる位置に来ての第一声がそれだった。


「てめぇ……」


「申し訳ありませんが、興味ありません」


「吠え面かかせてやるっ!!」


「はぁ」


 キャラ作りを徹底するのも大変だと思うフォウルだが、言葉通り興味がない。


 バルドが目指すものを高くするためにも欲するは闘神の座だ。

 加えて裏闘技場への参加も考えるのであれば最低でもBランクまではさっさと上がってしまいたい。


 ならば、より早くランクの階段を駆け上がるためにも。


「両者尋常に勝負――はじめっ!!」


「うおおおおっ!!」


 以前以上に圧倒するべきだと。


『さぁ注目の第一ご――え?』


「お疲れさまでした」


 実況が始まろうとした瞬間、ドリスが倒れた。


『あ、れ? い、今……なに、が?』


 ドリスの対策はスネークソードの弱点である近距離戦を仕掛けること。

 そのために瞬発力を鍛え、更にはブーツにも敏捷性を高めるべく魔術刻印がされたものを奮発して準備した。


 その突進力は確かに目を見張るもので、実況を含めた多くの観客たちが我が目を疑うものだった。


 しかし。


『しょ、勝者っ! アイヴィー・プリンセス! フォウッ!!』


「う――うおおおおおっ!?」


「な、なんだいまの!? 何が起こったんだ!?」


 勝者は何も語らないし、敗者も語ることができない。


 ただただ、もうここに用はないとフォウはその場を後にした。


「――んだヨ、ありゃあ……フォウル並み、じゃネェか」


 歓声に混ざった、バルドの呟きを背に。

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