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第16話「あだなすもの」

 人が一人入れる程度の個室。

 目の前には互いを分かつような壁の真ん中に、相手の口元のみが伺える網格子。


 入って思わず小さく笑いそうになったのはフォウルだ。

 懺悔室を勧めておきながら、お互いのプライバシーへの配慮なんて意味がわからないと。


「失礼します」


 丸椅子へと座りながら、小さく深呼吸をしたフォウルはかつてシズから聞いたことを思い出す。


 懺悔室にはルールがある。


 たとえば、罪を告白して赦しを得られるのは信者に限るというもの。


 打ち明けたくても打ち明けられない秘密とは、大なり小なり誰にでもあるものだ。

 地面に穴を掘り秘密を叫び気が晴れるのならばそれが一番だが、誰かに聞いてもらうという行為でしか満たせないものはある。


 故に、信者であろうがなかろうが身分立場を問わず懺悔は聞き入れられた。


 しかしその先。

 告白された罪が許されるかどうかは入信しているか否かによるのだ。


「どうか、聞いて下さい」


 そしてフォウルは入信していない。

 信者であれば唯一神であるアルティアを示す紋様が刻まれた十字架を首から下げる。

 熱心というより狂気的とまで言える信者は、自分の身体へと直接紋様を掘ったりするがそれは余談として。


 つまりフォウルがここで何を口にしても、相手から回答は返ってこないのだ。


 言ってしまえば独白。

 罪の壁打ちとでも言うのか、ただ聞いてもらうためだけになる。


「俺は、罪深い男です。神のシモベたるシスターのことが頭から離れないのです」


「っ……」


 視点を変えて言えば。

 神父やシスターは、信者ではない懺悔者に対して、何も言ってはいけない。


 思わず目の前にいるだろう先程のシスターが、それは誰かと口を開いてしまいそうになった。


 流石につい先程出会った自分のことかとまでは思い上がれないが、少しの期待はしてしまう。


 だが、そんな期待を塗りつぶすのはいつだって日頃から憎々しく思っているあの女の顔。


「もしかするのなら、こういったことはよく告白されているのかも知れません。ですが、俺は……」


 舌打ちを必死で堪えるシスターを前に、フォウルは心のなかで嗤う。


「どうしても、あの孤児院のシスターを、汚したいと願ってしまうのです」


「っ!!」


 あぁ、釣れたな、と。


 シスターからすれば、それはいつもの告白と少しだけ違った内容だった。


 教会の人間がシズに対して抱えている感情と、街の人間が抱えている感情は正反対と言って良い。


 シズは絶対に認めないし、認められないだろうが、彼女は愛されているのだ。

 そもそもになってしまうが、身寄りのない子どもたちを献身的に育もうとする人間を誰が嫌いになれるというのかという話。


「日に日に、想いが強くなってしまう。このままでは、本当にどうかしてしまいそうで……誰かにこうして聞いてもらえたのなら、少しは心が軽くなるかと思って」


 ただ、キレイなものを汚したくなるという願望は抱えていておかしくない種類のものである。

 あるいは、シズを排他しようとしているシスターたちも、彼女がキレイだからこそ憎悪を燃やしてしまうのかも知れない。


 自分たちは、こんなにも汚いのにと。


 だから。


「――少々、お待ち下さい」


 禁忌を破った。

 ついにシスターは壁越しに声を出した。


 ガタリと椅子の引く音が聞こえて、間を置かずドアの開閉音が響いた。


「誰も、シズのこととは言ってないんだけどな?」


 くつくつと口に手を当ててフォウルは笑った。


 冗談でもシズを汚したいなどとは思わない。

 意図的に名前を伏せたが、あれはフォウのことを指して言ったものだ。


 そして実に都合のいい勘違いを引き起こすことができた。


「第一関門、突破だな」


 今頃シズに悪感情を抱いているシスターが集まっているだろう。


 チャンスが巡ってきたかも知れないと。


 フォウルを利用してか、きっかけにしてかはわからないが、これで事態は一つ動くことになる。


「後は、どれだけ今の勘違いを利用できるか」


 資料からシズの過去を把握することは出来なかった。

 どうしてルクトリアに流れ着いたのか、魔女の噂は本当なのか、孤児院の子供たちが言うワルモノとは誰を、何を指しているのか。


 フォウルの知るシズとは、聖女シズだ。


 出会った時から、尋常ならざる使命と決意を胸に魔王、魔族との戦いに臨む覚悟をしていた、聖女シズなのだ。


「……どうして、そうなったのか。それを防ぐことができれば」


 聖女シズの誕生を、食い止められるかも知れない。

 それ即ち、戦いとは無関係に人生を送ることができる可能性である。


「やろう。できるのは、やりたいと願うのは、俺だけだ」


 アリサと幸せな生活を送るためには、必要なことだとフォウルは思う。


 放っておけばもちろん、世界に深い爪痕を残すことになる戦争が起こることはもちろんだが。

 何よりかつての大切な仲間に起こる不幸を無視することなんて、フォウルには出来ないから。


「――お待たせ、致しました」


「お揃いの、ようで」


 懺悔室のドアが外から開かれた。


 開かれた先にいたのは、先のシスターに加えて何名か。


「酷い、笑顔ですね」


「そうかも知れません。ですが、あなたこそ、イイ笑顔です」


 一様に、揃って昏い笑みを浮かべていた女たちへと。


「お話、伺っても?」


 フォウルは立ち上がり、一歩踏み出した。

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