聖水とは何か? 読んで字のごとく聖なる水である。
では水を聖なるものと定義するのは誰か? もちろん聖なるものである。
「聖職者ってのは改めてボロいよな」
この辺りに生息する魔物は弱く、積極的に自分から人間へと攻撃してくるようなものはいない。
そのことを知っているフォウルはずんずんと遠慮なく森を進んでいく。
思わずため息と少しの嫌悪感と共に言葉を漏らしながらも、歩みに淀みはない。
「効果があってもなくても聖水。いやはや、先の結末を知っているだけになんとも言えないが、やっぱり気分は良くないものだ」
極端な話、そこらの井戸からくみ上げた水であっても聖職者が祝福すれば聖水と呼ばれる。
実際、聖職者見習いは高官が適当な水を祝福し作成した、聖水と呼ばれる何かを街で売りまわるなんて下積み期間がある。
やれ万病に効くだ、健康の秘訣だと。
自分ですら信じていない、もっともらしい宣伝文句を口にしてだ。
「とりあえず10本は欲しいところだが……さて」
当然祝福されていようがただの水、飲もうが祭壇に置いて崇めようが効果はない。
聖水と呼ばれるに相応しい効果を発揮する水は、人の手が入らないような僻地にある湧き水が必要となる。
ここでフォウルが求めている効果とは、グールやリビングデッドを代表とする、魔素によって動く死体となった魔物を土に還し浄化するというものだが、少なくともその効果を持つ聖水には清らかな水が必要だった。
フォウルが歩みを進めている森は、開拓する理由がないからと放置されている場所だ。
言い換えれば人の手が入っておらず、生態系も遥か昔から大きな変化がない。
言ってしまえば穴場的な森で、清らかな水が手に入りやすい場所。
「お、いたいた。デミオークか、ここら辺のボスとしては納得だな」
腰に回していた短剣を鞘から抜き放ち、気配を殺すよう姿勢を低くしていくフォウルが見つめる先には、二足歩行する猪のような魔物、通称デミオークがいた。
人の手が入っていない穴場的な場所とは、魔物からすれば非常に住みやすい場所である。
エサには困らないほど野生の動物が生息しているし、本能の赴くままに狩りつくしでもしない限り、生きることに困らない楽園と言ってもいい。
「予想していたけど、呑気なものだ。本当にボスか疑ってしまうよ」
フォウルの知る、縄張りを管理するボスはもっとこうギラギラとしていた。
常に侵入者への対策として配下の魔物を配置し、罠を仕掛けては備え、いち早く外敵を察知しては排除に動く。
魔族と人間の戦争が本格化した影響によって、凶暴性を増し知恵をつけたとは理解していたが、それでも鼻提灯を作りいびきをかいて眠っているデミオークを見れば気が抜けてしまうフォウルだ。
今の平和を体現しているかのような魔物を殺していいものかとすら思ってしまう。
「けどまぁ、ちゃんと人間を見れば襲ってくるだろうし、先手必勝だよな」
本当に魔物の被害と言うものがないのであれば見逃していたかもしれないが、流石にそうではない。
魔族とは別に、どうあがいても魔物は人間を襲い、殺し、犯す敵なのだ。
現に故郷でも魔物から農作物を守るための対策であったり、付近の魔物を定期的に討伐すべく僅かな金をやりくりして傭兵を雇っている。
きっぱりと頭を切り替えたフォウルは短剣へと魔力を込め、集中力を増していく。
以前であれば魔力を練るなんて行程は一瞬で済んでいたが、今はこれだ。
「さっさと強くならないとな――
「ブヒ――」
短剣を振った先に生まれた風の刃が、フォウルの狙い通りデミオークの首筋を通り抜けた。
違和感程度にしか感じられなかっただろう、転がったデミオークの首、目に張り付いていたのは何があったのと言わんばかりの困惑の色。
身体は覚えていなくても、頭は覚えている。
どうすれば魔法をしっかりコントロールできるのかはもちろん、どうすれば魔力の消費を抑えて行使できるのかも。
「……うん、ちゃんとボスだったな。いい感じの魔素量だ」
ぽわぽわと淡く光る魔素がフォウルの身体に吸い込まれていく。
頭の中でレベルアップした、なんて言葉を思い浮かべながら。
この分なら媒介を中継した魔法なら10発は使えるだろうと頷いた後、周囲を見渡した。
「配下の魔物もナシ、か。ってことはやっぱり魔物が組織的な動きをしだしたのは戦争からになるな」
ボスをこうして暗殺紛いのやり方で討伐すれば、統率を失った魔物が一斉に襲い掛かってきたり、あるいは蜘蛛の子を散らしたように逃げたりと騒がしいものだが、その様子もない。
「ある意味、魔物を倒して強くなるには今がチャンスでもありそうだ。グール狩りを終えて多少魔力に余裕が出来たら、魔物狩りにシフトするか」
頭の中にある予定の修正を行いながら、清らかな水を求めてフォウルは。
「あとは……この時期でも、ちゃんといるのかな、あいつ」
集めた水を祝福してくれるだろう人物の顔を思い浮かべながら、再び歩き始めた。