苦難の先にはハッピーエンドが待っている。
長く苦しい戦いの旅路へ立ち向かえた理由はそんな言葉だった。
「こんなの、ねぇよ……」
心を震いたたせるはずの言葉が言い訳に変わったのはいつだったか。
うすうすと感じていた、しかし気づかないふりをした。
「幸せになろうって、言ったじゃねぇか。勝って、生き残って……世界がボロボロになっていても、二人で生きていこうって」
魔族、魔王との戦いは終わった。人類の勝利だ。
討伐に旅立った勇者パーティ。
唯一生き残った賢者フォウルは、気づかない振りをしてきたツケとも、代償とも言えるモノを抱きしめて。
「アリサ……っ!」
静かに涙を流した。
覚悟はあった。
旅立った時のメンバーは五人、それが魔王城にたどり着いた時には二人だけ。
いくらでも機会はあったのだ、いずれどちらかが死んでしまうかもしれないと覚悟する機会は。
故に、深い悲しみへ沈みながらも取り乱さない。
みっともなく泣きわめいてもいいはずなのに、そうできない。
悲しいことに、不幸なことに。
「……帰ろうな、アリサ」
泣かないこと、それが約束だったから。
物言わぬ
せめてお互いが出会い、共に育った大地へと。
「さようなら、魔王。生まれ変わりがあったのなら、今度は酒でも酌み交わそう」
最後に塵となった魔王だったものへと一言告げて、足早に歩みを進める。
鍛え上げられた身体、魔法の力。
この場所から故郷へと
しかし魔王城に施されている魔法の効果で一部は使えないままだった。
故に城から出て効果の範囲外へ行く、当たり前だ。
あれだけいた魔族たちはもうどこにもいないのだから。
フォウルの行方を邪魔するものは誰もいない。
そう、誰もいないはずだった。
「――何の、真似だ」
「新たなる魔王よ、まだ人間の心を残しているならば、どうかここで抵抗せず死んでくれ」
城から出れば、囲まれている。邪魔者がいた。
この場にたどり着くためにと、自分たちを送り出したものたちだ。
「そうか。結局、そういうことだったんだな」
「何も答えられないな。だが、流石英知を極めた賢者だと言っておこう」
うすうす感じていたことの中にはこれもあった。
とどのつまり、自分たちはもう用済みなのだと。
「抵抗しないと約束すれば、アリサを弔っても?」
「許可できないな。この城が貴様たちの墓標だ」
そういって、フォウルを阻む男は片腕を上げた。
同時に、周りの兵たちは詠唱を口にし、槍を持った兵たちが構える。
――暴れる気力もない。
フォウルにとって、新たに敵対する姿勢を見せてきた人間を蹴散らすことなど容易い。
だが文字通り精魂尽き果てていた、抵抗する魔力があっても気力がない。
倒してどうなるのか。
新たな魔王として認定されたというのなら、今度は人類と戦争をしろとでもいうのか。
「……ごめん、アリサ」
優しく勇者の骸を大地へと横たわらせて。
「もしも次があるのなら、必ず幸せにする」
せめて愛しい幼馴染の身体だけはと、身を盾にした。
「いい加減起きろ―――!!」
「へぁっ!?」
さて、フォウルの背中に残った魔法の感触は消えていない。
身体の力はほぼ抜いていたし、防壁の魔法といったものは発動もしなかった。
「え、あ? え?」
「もうっ! 何寝ぼけてるのよ! 今日は一緒に狩りに行ってくれる約束でしょ! もうとっくに時間は過ぎてるんだけど!」
つまり、死なないわけがない。
起きるなんてとんでもない、歩く死体となる趣味はフォウルにないのだから。
「あ、アリ、サ……?」
「はいそうです! 弓矢の準備は万端! 短剣もしっかり研ぎました! なんなら楽しみであんまり眠れなかったアリサですけど――へぅっ!?」
ならばここは死後の世界か。
神の存在を信じていたわけじゃないフォウルだったが、この時ばかりは心の底から感謝し、アリサを思い切り抱きしめた。
「あぁ、アリサだ、アリサ……! ごめん、ごめんなぁ……!」
「えっ!? え、なっ!? え、なななななっ!?」
温かく柔らかな双丘がフォウルの顔を包み込む。
あれだけ感じたことのある感触、そして。
「うあぁ、アリサだ、アリサの匂いだ……!」
「ちょっ!?」
間近にあった香り。
忘れたくても忘れられない、忘れたくない。
だからこうして我を忘れてしまうのも仕方のないことだが。
「このっ! バカァッ!!」
「へぶんっ!?」
デリカシーやら乙女のナニソレに配慮など、欠片もないことは事実であり。
この時から切れ味の鋭いボディブローがフォウルの腹部へと突き刺さった。
「い、いてぇ……」
「どう!? 目が覚めた!? 目が覚めたなら私に言うことは!?」
アリサはとりあえず寝ぼけていたということで処理する様子。
というより、基本的にアリサから見たフォウルとは物静かで穏やかな幼馴染である。
よっぽど嫌な夢でも見たのかもしれないと、わかりにくい優しさが込められた結果がこれだった。
しかし。
「いたい、ってことは、夢じゃない……?」
「うん? どうしたのよ?」
頭はずっと冴えている。
アリサが思っているように寝ぼけてなんていない。
フォウルの目の前にはややテレが入ってはいるものの、仁王立ちして怒ってますアピールを続けている
栗色のショートカットヘアーに、同い年にも関わらず年下に見られがちとなる原因のくりくりした大きな目。
小ぶりだがしっかりオンナを主張する胸に、安産を疑えない丸いお尻。
よくよく見る必要もなく、別れた時よりも随分と若い。
自分の手を、身体を確かめてみても同じく随分と頼りない。
「ね、ねぇ? ちょっと、本当にどうしたの? 大丈夫?」
「アリサ……」
様子がおかしいと判断したアリサの怒りは鎮まり、心配一色の表情と声色に変化したが。
フォウルの耳と頭には届かない。
「過去に、戻ってきた……のか?」
魔法にも、加護にもそんなものはなかった。
しかし、事実として若い自分がいる、過去のアリサがいる。
ならば、やることは一つ。
――必ず、幸せにする。
「なぁ、アリサ」
「うん、どうしたの? 何か嫌な夢でも見た? お話しする?」
アリサが言う通り夢なのかもしれない、死後の世界なのかもしれない。
もう、なんでもいい。
今目の前にアリサがいる。それだけで、フォウルは良かった。
だから。
「アリサ、好きだ、愛してる。俺と結婚してくれ」
「――へぁ?」
アリサの手を大事に包み込み、必ずと決意を込めて告白した。