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<25・激昂。>

 かしゃん、と。鞠花が掴んだフェンスが、一際大きな音を立てた。


「……確かに、九町恋花は私の姉です。年子なんですけど、昔から顔が凄く良く似てて。双子みたいな姉妹だと、よく言われていました」


 彼女の態度に、存在感に、未だ罅は入らない。


「そして、中学の時に恋人に捨てられて、それを苦に自殺した。……私がイメチェンしたこと、よく調べましたね。お友達に訊いたんでしょうか。……女の子ですもん、気分でキャラを変えたりするくらいありますよ。そんな深い意味はないです。尊敬するお姉ちゃんみたいに、上品なお嬢様キャラになってみようとしたっていいじゃないですか。せっかく転校するんだし、新しい自分になる良い機会でしょう?」

「尊敬する?……あんたの姉、学校でかなり問題児扱いされていたみたいだけどな」

「問題児?」


 ぴくり、と鞠花の眉が動く。彼女にとって姉の存在は、いろんな意味で特別なんだろう。夏樹は少しばかり心苦しく思いながらも続けた。

 中学時代、鞠花は姉と同じ学校に通っていなかった。住んでいた場所がやや離れていたためだ――両親が離婚していたのだから当然と言えば当然だろう。だから、中学時代の恋花のリアルを見る機会など、ほとんどなかったはずである。


「確かに、九町恋花は美人で上品で、絵に描いたようなお嬢様だって言われてた。でも、今、元・百坂中の連中に尋ねるとな。クマチ、って名前がもうタブーみたいに扱われてるんだよ。屋上から飛び降りて自殺したから、だけじゃない。その前の素行にも問題があったからだ」


 理貴の友人からは、“九町恋花の話はするな、調べるな”という忠告しか出てこなかった。しかし、彼女について百坂中の当時の裏掲示板やニュースを調べるとそれなりの情報は出てくるのである。

 彼女は美しく、上品で、一見すると心優しい女性だったが――非常に二面性が大きく、周囲の生徒達からはかなり煙たがられていたのだと。




457:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

クマチってやつさ、ものすごい独占欲が強かったっていうか、超絶我儘っていうか、思い込み激しかったっていうか

恋愛に限らなかったんだよな

中一のクラスで、担任の先生が給食の時間に倒れて救急車で運ばれたことがあったんだけど

その時は先生のスープに、消毒薬が混じってたらしいんだよ

最近忙しくて自分の相談に乗ってくれない先生に思い知らせてやろうとしたんじゃないかって話




148:元気いっぱいのななしさん@学校のカンダン

いやその、なんとなくタブーになってるんだよクマチの話は

死んだあとにも祟られそうなんだもん

美術部で、絵の具箱に大量のゴキブリが入れられた事件があったんだけど、あれもクマチだっていうんだよな

その後輩、クマチよりコンクールで良い賞を取った後輩で

憧れの先輩に後輩が褒められてるのが気に食わなくて、事件を起こしたんだって




89:泣いて笑って明るいスクールライフ@名無し

クマチと仲良くしてた女子の一人が、最近クマチと一緒に帰ってくれなくなった。

彼女は帰りに、野良の子猫を見つけてこっそり空地で世話をしてたっていうんだ

クマチはそれに嫉妬して、子猫をみんな殺したんだと。首の骨を折って、さ。子猫だから、女子中学生の力でもそういうことができちまったんだろうけど……




783:廊下を走るな名無しさん@元気なメロン

実際にその現場を見てたから言うんだけど、クマチって普段はにこにこして優しいのにキレるとやばかったんだよね

クマチがクラスメートからさ、ちょっと強引にハサミを借りようとしてるのを見て、別の女子が注意したんだって

そしたらクマチがキレてさ

その場で注意した女子の髪をズタズタに切っちゃったんだ。本当に、鬼のような形相で、可哀想だけど俺は止められなかったよ……




「……お姉ちゃんに、悪い噂があったことは私も知ってます。でも、そんなのは噂でしょう?」


 呆れたような声で、鞠花は言う。


「お姉ちゃんの美しさに嫉妬した人達が、悪い噂を流したんです。そうに決まっています。いくらなんでもあんまりですよ、夏樹クン。お姉ちゃんは自殺した被害者なのに、それを悪く言うなんて」

「噂の全部が本当だったわけじゃないかもな。でも、エピソードがあれもこれも具体的だし、実際調べてみたら猫が死ぬ事件も先生が救急車送りになる事件も当時起きてた。全部じゃなくても、そういうエピソードが囁かれるくらいに問題視されてた生徒なのは確かだろう」

「だから、それは悪い奴らの陰謀で……」

「実際自殺した理由も、フラれたからじゃない。人と勝手に付き合っていると思い込んで、ストーカーして、嫌われた当てつけだったんだろ。だから……」


 瞬間。

 まるで硝子でも砕けるような、凄まじい音がした。鞠花が思いきり、フェンスを殴りつけた音だった。





「お姉ちゃんはストーカーなんかじゃない!自分がお姉ちゃんをボロボロにして捨てたくせに、勝手なことを抜かすな!!」




 さっきまでの穏やかな口調を消し去り。本来の鞠花の、苛烈な性格を露わにして。

 少女は明確な殺意をもって、夏樹を睨んできた。


「何なんださっきから……!まるで悪いのはお姉ちゃんだと言わんばかり!悪い噂ばっかり都合よく拾ってきて、自分は全く悪くないってそればっかり!忌々しい忌々しい忌々しい忌々しい……お姉ちゃんは本気で好きだったのに、体も何もかも差し出したのに恋人に捨てられたのよ、それで自殺したってのにあんたは何も思わないわけ、萬屋夏樹!!」


 もはや、隠す気もなくなったらしい、彼女。


「ええ、そうよ。あんたの言う通り。私はお姉ちゃんを死へ追いやった男に復讐するためにここに来た。それなのに、あんたはお姉ちゃんとそっくりの私を見ても無反応……!お姉ちゃんのことなんかすっかり忘れてた!絶対に許せない。あんたがさっさと私の恋人になるって言っていればよかったのに。そうすれば、さっさと油断したあんたに近づいて殺してやれたのにね!!」

「……俺が告白をOKしなかったから、精神的に揺さぶる方向に切り替えたのか。効果もない、それでも悪意だけは示せるようなおまじないを使ったり、掲示板に殺害を依頼するような書き込みまでして」

「やろうと思っていたプランはまだまだあったのに、ほとんど達成できなくて残念だわ。一之宮君のことは気の毒だったし吹奏楽部の人達には申し訳ない気持ちもあるけど、アンタに謝る気はみじんもないから。お姉ちゃんをレイプしてボロボロにして捨てたくせに、それで死ぬまで追い詰めたくせに……お姉ちゃんに悪いうわさがあったとかストーカーだったとか、全部お姉ちゃんのせいにして逃げようなんて最低な男!そんなやつに、生きてる資格なんかない!!」


 ああ、思った通りだ。

 冬樹をストーカーしていたのはほぼまちがいなく、九町恋花だったのだろう。彼女は冬樹と、本物の恋人になれたという妄想をしていた。そして、現実と妄想の区別がつかなくなり、冬樹が彼女を明確に拒絶したことでタガが外れたのだろう。

 その瞬間きっと、恋花の中で冬樹は“恋人の私をレイプして捨てた酷い男”と言う認識になり。恐らくはその当てつけのように――冬樹の目の前で、校舎から飛び降りるような真似をしたのではなかろうか。

 そんな女性がストーカーだったのだ。死んだあとも祟られるのではないか、と冬樹が怯えるのは当然だろう。それこそ、神社にお祓いを頼みたくなるほどに。


――八尾鞠花は、中学は姉とは違う学校に通っていた。それはつまり、俺達兄弟とも違う学校で、顔を合せたことが一度もなかったということではなかろうか。


 姉が自分の妄想のリアルだけを妹に語っていたのなら。“萬屋冬樹”という名前を明確に残していなかったら。例えばそう、“萬屋君”と、苗字でしか弟を呼んでいなかったら。もしくは遺書などにはアダ名で記載していたら。

 そして、冬樹の顔をちゃんと見たことがなく、双子の兄弟の存在も知らない鞠花が――姉が残した隠し撮り写真のようなものだけで、冬樹の顔を見ていたとしたら。

 近しい人間なら間違えなくても、そうでない人間が見れば間違えることもある。それくらいには、冬樹と夏樹の顔は似ている。

 鞠花は完全に、夏樹のことを冬樹と間違えて殺してやろうと決意したのだ。姉が本当はストーカーだったなんてことは知らず、しかも仇と憎んだ相手が人違いであることも気づかずに。


「落ち着いて聴け。そもそも俺は、あんたのお姉さんとは顔を合わせたこともなければ、話をしたこともない。同じクラスになったことさえない」


 思い込んで頭に血が上って人間を説得するのは難しい。それでも夏樹は本当のことを伝えようと、勤めて冷静な声を作って告げた。


「大体、あんたは勘違いしてる。あんたのお姉さんが好きになったのは俺じゃない、俺の双子の弟だ。今は事故に遭って入院していて……」

「この期に及んで、双子?だからあんたと間違えてるって?なんて都合の良い存在がいたもんですね。それで私が騙されるとでも?自分の罪から逃れたくて必死ってわけ?」

「違う、本当に冬樹は存在してるんだ!それに、冬樹だってお姉さんと付き合ってたわけじゃないっていうか、あいつに彼女なんかいなかった。それはずっと一緒にいた俺が証明して……」


 しゅっ、と何かが頬を掠めた。

 ぎょっとして後ろに飛び退けば――彼女の手に、鈍く光る銀色の刃があることに気づく。

 木工用のカッターナイフ。それもやや大振りのやつだ。まさか彼女は、今日夏樹をここで殺すことも視野に入れていたというのか?


「言い訳なんて聴きたくないわ」


 血走った眼で、豹変した八尾鞠花はカッターを構えた。


「そういうクソな男は、私が天誅を下してあげる。お姉ちゃんの分まで……苦しんで、死ね!」


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