屋上はすぐチェックすることにしてるんです、と鞠花は言った。
「遠くまで見渡せる場所って、なんだか素敵でしょ?天国に近い、かどうかはわからないけど。あ、でも高い場所が好きな人って“馬鹿”だって言うんだっけ?じゃあ、私も結構な馬鹿なのかもー」
あはははは、と笑う鞠花は明らかにいつもよりも饒舌で、何だか痛々しい。まるで、ネジが何本か外れてしまったかのようだった。
屋上まで来たものの、今日は爽やかな“天国に近い景色”とやらは堪能できそうにない。空は遠くがオレンジ色に染まりかかっているものの、どんよりと曇っている。夕方から夜にかけて雨になるかもしれない、と天気予報では言っていた。傘を持ってくるのを忘れないようにしましょう、と。
「……理貴のことだけど」
いつまでも屋上で駄弁っているわけにはいかない。夏樹は切り出した。
「大した怪我じゃないし、縫う必要もなかったって。念の為検査入院で3日ほど病院にいるらしいけど」
「そうなんだ、良かったです。心配してたんですよ」
「ああ、そうだろうな。殴られたのは頭だったし、相手は理貴を殺すつもりだった。通行人が通りがかって助けてくれなかったら、マジで殺されてたかもしんない」
その言葉に、鞠花の表情がやや強張るのを夏樹は見逃さなかった。緊張は、一瞬で笑顔に隠されてしまったけど。
「男は、とある闇掲示板の書き込みを見て犯行に及んだと言っていた。その掲示板の書き込みを、神様のお告げみたいに信じてるやつだったらしい。で、見たこともない、なんで恨まれてるかもわからない七海の男子高校生を襲った。それが、たまたま理貴だったわけだ。でも本当は理貴が狙われたわけじゃない。依頼をかけられていたのは……殺してくれと頼まれたのは“萬屋夏樹”。つまり俺だ。書き込んだやつは俺の自宅の最寄り駅と、七海の高校二年ってことしか知らなかったから、たまたま目についた理貴が襲われたんだよ」
なあ、と夏樹は鞠花を睨む。
「あんただろ、八尾さん。俺を殺してくれって、闇掲示板に依頼したのも。吹奏楽部に黒薔薇を生けたのも、猫の死骸を俺の机にぶち撒けたのも」
不思議なことだ。自分には、霊感も超能力もない。それなのに、なんとなくわかることもあるのである。
そう告げた途端、八尾鞠花の気配が明らかに変わったことが。
「……酷いじゃないですか、夏樹クン」
だが、殺意に似たものを滲ませたのは、ほんの一瞬のこと。
「私は、夏樹クンに一目惚れしたって言ったでしょう?殺意とは真逆です。何で好きになった男の子に、そんな酷いことをしなくちゃいけないんです?」
「俺は一目惚れってやつは、信じてないんだ。人の本当の魅力ってやつは、外見だけでわかるもんじゃないからな」
「そうかもしれませんけど、私は君に運命を感じて……」
「運命ってのも、正直信じない。別の誰かによって、悲劇や惨劇が、寿命が、試練が、心が決められてるかもしれないなんて。それが神様みたいな存在だとしたって、俺はそんなのごめんだ。だから逆に、“神様は乗り越えられる試練しか与えない”みたいな言葉も信じない。……信じないのが、俺だからだ」
認めるわけにはいかない。
冬樹が、弟が事故で何年も青春を無駄にする羽目になったのも。ストーカーなんてクソなものに悩まされて苦しんだのも。
そして理貴が、あんなにいいヤツが夏樹なんかの身代わりで襲われて怪我したのも。
全部神様とやらが決めた運命なんて、そんなものクソゲーだとしか言いようがないではないか。神様なんてものがいるのなら、何故こんなにも不平等な世界なのか。あいつはみたいにマトモに生きてる奴らが、酷い目に遭わされなければいけないのか。
「乗り越えられない試練や絶望に遭遇した時。それが運命だから、なんて言葉で諦める人間にはなりたくない。もし運命ってものが存在するなら、それは人の手で選ぶべきものだ。……お前もそう思わないか。“お姉さん”を、失ったんだろう」
最初から、ヒントはあったのだ。
「地獄に落ちたって思うのは、お姉さんが自殺したからじゃないのか」
宗教にもよるが。
生前の罪がどうだったとしても、自殺した人間は地獄に落ちると考える教えは多かったはずである。
つまり、彼女の姉こそが。
「……だったら、なんだって言うんです?それが今、何か関係があるんでしょうか」
鞠花はまだ、微笑みを絶やさない。それどころか、少し寂しそうな顔まで綺麗に作って見せるほどだ。
「一目惚れだから、それまで付き合いがなかったから。夏樹クンが、私の気持ちを信じてくれてないってことはわかりました。でも、じゃあお互いのことをもっとよく知ってから結論を出しましょうって、そういう話になったんじゃありませんでした?夏樹クンは、私のことが嫌いなわけではないんでしょう?」
「ああ、そう言ったな。でも、今はあんたが本当に俺のことを好きだとしても、付き合いたいとは思えない」
「どうして?」
「決まってる。俺に嫌がらせするために……罪もない猫をあんな風に殺したり、吹奏楽部のみんなを不安にさせたり、間接的にとはいえ理貴に怪我させるような奴なんかごめんだ」
「だから、何でそれが私の仕業ってことになるんです?どっかの防犯カメラに、猫を殺す私が映っていたとでも?」
「この学校にそんなハイテクなものがあったら、こんな苦労なんかしてないっつーの」
この様子だと、カメラがないのもセキュリティがガバガバなのもわかっていてやったのだろう。なんとも用意周到なお嬢様である。
「……今回俺の身の回りで起きた事件は、大きく分けて四つ。お前に突然告白される、音楽室に薔薇が置かれる、机の上に猫の死骸と呪いの人形が置かれる、俺と間違えて理貴が通り魔に襲撃される……だ」
告白についての違和感は既に語るまでもないだろう。
出会って数時間で“好きです”と告白されたこと。それまで自分達に一切接点がなかったこと。それで不信感を抱くなというのはなかなか難しいことだろう。だが、鞠花がそれをわかっていなかったとは正直思えないのだ。
何か狙いがあるのでは?と思われても良かった。恐らく最大の目的は、自分の容姿を夏樹に印象付け、反応を見ることだったはずだ。もし、鞠花が“誤解”をしていなかったのなら、鞠花の姿を見ただけで夏樹を恐怖させる効果があっただろうから。
しかし、夏樹は鞠花に戸惑っただけで無反応。だから、とにかく好意を示して“付き合う”ことを目的としたのだろう。交際して自分に惚れさせてしまえば、夏樹の隙を突くチャンスなどいくらでもできるのだから。
「音楽室のお願い事……薔薇についてだけど。あのおまじないを、薔薇が置かれる一週間前に、大型掲示板で尋ねてるやつがいた。七海高校のおまじないはないか?みたいなピンポイントな訊き方でな。で、一週間後に本当に薔薇が置かれたわけだ。黒薔薇は珍しいから、用意するのに一週間かかったんだろうな」
「あれは、他の人でも用意できると思いますけど?」
「できるけど、転校してきたお前以外には“あのタイミング”である理由がない。音楽室のお願い事、は吹奏楽部ならほとんどみんな知ってたし、学校でも有名だった。吹奏楽部そのものに恨みがあるなら、あのタイミングで生けたりする必要なんかないだろ。単に、掲示板で知らされるまでおまじないそのものを知らなかった人間ってのが濃厚だ」
「根拠としては、ちょっと弱いですねえ」
呆れたように肩を竦める。まあ、状況証拠にもはっていないのは、夏樹にもわかっていること。
問題は次だ。
「次。教室の黒猫の死骸と呪い人形。あれセッティングできるのは、俺のクラスと席順知ってた奴だけだよな」
学校では、一定期間ごとに席替えが行われることになる。一番最初の席はあいうえお順になっているが、一ヶ月くらい過ぎればまず一度は席替えが行われることだろう。自分達のクラスでも、ゴールデンウィーク直後に席替えがされていた。つまり、今の席になってからはさほど日数が経過していないということである。
他のクラスであっても席を知っている可能性はある。が、殊に座席に呪物を仕掛けるのなら、人違いは絶対に避けなければいけない。あそこが夏樹の席だと確信できないなら、他の呪いや嫌がらせを考えた方が建設的だ。
「俺のクラスの人間である可能性はこの時点で高い。掲示板の書き込みのタイミングからしても、音楽室の薔薇と同一人物である可能性もかなり濃厚。……うちのクラスで吹奏楽部なのは、理貴以外だとあんただけだ、八尾鞠花」
「そうですね、それで?」
まだ鞠花は余裕そうである。状況的に見れば濃厚だとしても、物的証拠がないならいくらでも言い逃れできるという態度だ。
しかし、それが却って不自然でもある。もし本当に彼女が夏樹に好意を持っているなら。そんな相手に、こんな風に疑われて悲しくないはずがない。悔しくないはずがない。
露骨に怒り出さない時点で、違和感は既に拭えないのだ。何故、鞠花は平然と笑っているのか。
「……闇掲示板への書き込みには、こう書かれていた。呪い殺したいやつがいる、そいつのせいで大切な人が自殺した、と」
●(No Subject) / 名無しさん
No.687 - 201XX/XX/XX(Mon) 22:18:31
どうしても呪って欲しい人がいます。
私の大切な人を自殺に追いやったこの人に天誅を下してくれる方はいませんか。
名前は萬屋夏樹、七海高校二年生の男子高校生。
最寄駅は●●駅、埼玉県●●市●●町のあたりに住んでいます。
よろしくお願いいたします。
「……俺がいた百坂中学では、三年くらい前に屋上から飛び降りて死んだ女子生徒がいた。名前は、九町恋花……当時中学三年生。遺書には、愛する人に裏切られて傷ついたこと、手酷い扱いを受けて生きる望みがなくなったことなどが書かれていたという。……俺はその頃、身内の事件でバタバタしてたからな。正直いって、忘れてたよ……そんな事件があったこと」
忘れていた。
はっきり夏樹がそう言った途端、一瞬鞠花の顔から笑顔が消えた。ほんの一瞬のことだけれど。
「九町ってのは……あんたの母親の旧姓だよな。九町恋花は、離婚した母親に引き取られていったあんたの姉の名前だ。親の離婚で名字が違うけど、名前には共通点がある。そうだろ?」
「……そうですね」
「八尾鞠花。六場中学時代は短髪でボーイッシュで、高校に入ってからもポニーテールだったりして活発な性格だったあんたが。うちの学校に転校してくる直前にお嬢様系にキャラ変した理由。隣の市なのに、わざわざ三参道高校から、ちょっと偏差値の低い七海高校に転校した理由。……全ては俺に会うためだ。……死んだ姉、そっくりの顔と性格を演じて」
ニュースに出ていた九町恋花の顔写真を見て驚いたのだ。
何故なら双子かと思うほど、八尾鞠花とそっくりだったのだから。
「死んだ姉の顔を見せつけて、俺を動揺させるため。そして、姉の復讐を果たすため……恋人になろうとした。……そうなんだろう?」
夏樹の言葉に、ゆっくりと鞠花の唇が弧を描いたのだった。