理貴とは住んでいる場所が駅一つ分離れている。定期券もお互いその区間でしか買っていないはずだった。ゆえに。
「い、いやいいよ。俺女の子じゃないし、家まで送って貰わなくても」
「ここで別れてお前に何かあったら俺が嫌な気分になるんだっつーの。あの人形事件があった今日くらい家まで送らせろよ。一駅分の乗車賃なんか大したことねーんだから」
「……お節介なやつめ」
彼の方が、学校に一駅分近いところで降りるはずだった。にも関わらず今日の帰り道は心配だからと夏樹の家の最寄駅まで一緒に来てくれたし、マンションまで送ると言ってくれたのだ。正直申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちで半々である。男子高校生だろうと、怖いものは怖い。人形を処分したのでオカルト的な脅威はなくなったと信じたいが、それでもまだ自分の命を狙ってくる人間がいないとは言い切れないからだ。
無論、いくら理貴が夏樹よりずっと体格が良くて運動神経も良いからって、どんな相手でも撃退できるというわけではない。それでも一人で歩くのと、男子高校生二人で歩くのとでは視覚的な安全度はかなり違うだろう。夏樹を襲撃したい人間がいたとしても、でかい男子高校生の友人が一緒にいたらちょっとくらいは躊躇するはずである、多分。
「……ありがと」
一応、改札を出たところで礼は言った。すると理貴は“うわぁ”とやたらと驚いたように後ずさってみせる。
「つ、ツンデレのデレが!ツンデレ気味の萬屋夏樹クンがデレは発揮しました!今夜は雨が降ります!ひょっとしたら雹かも!」
「お前な!そもそも俺ツンデレキャラになった覚えないぞ!?」
「ツンデレっていうか、クーデレ?クール&デレって少なくともお前はそう解釈されてるぞ、みんなから」
交差点の前、赤信号で止まったところでぽんぽんと背中を叩かれる。
「実は心の底から不本意なのだが、お前にアプローチしたいから手紙を届けてくれ的な頼まれごとをしたことが何度かあってな。クラスの女子とか、隣のクラスの女子とか、吹奏楽部の女子とか、先輩の男子とか」
「ん?今しれっと男子混ざってた?」
「お前みたいなのは意外と男子にもモテるらしい、恋愛的な意味かは知らんが。何で俺にそういう手紙とかが頼まれるんだと思う?お前が、クールで近寄りがたいと思われてるからだよ。実際に接して見ると、良くも悪くもフツーの男子高校生なんだけどな」
「……えええ、俺、そんなにクールなキャラに見えるのか?」
心外である。が、そこでふと気が付いた。
弟の冬樹。天真爛漫でいつも友達に囲まれているタイプ。
一番一緒にいる親友の理貴。見た目通りの陽キャ。
クラスでも特に喋る男子その一の
クラスでも特に喋る男子その二の
吹奏楽部で特に良く話す、トロンボーンパートのリーダーである二階堂玲奈。ぽややん系だけどみんなに頼られる明るい系女子。
吹奏楽部の部長の
――あれ?なんか俺の周りって、陽キャ系がやったら多くない?あれ?
これってひょっとして、比較対象でそう見えてるだけなのでは。いや、別に自分は根暗ではない、はず、なの、だが。
「……俺は、根暗キャラでは」
「待て待て待て待て!?誰も根暗だなんて言ってないぞ夏樹、どういう思考の飛躍した!?」
「俺の周りにいるやつ、みんな明るくて友達多い陽キャばっかりだなって……だから俺がクールという名の根暗に見えるのかと……」
「周りに陽キャが多いのはそうだけどクールと根暗は違うからな!?お前ぼっちキャラなわけでもないし!比較対象、比較対象!」
「うう……」
何やらよくわからないフォローをされつつ、青信号になった横断歩道を渡る。社会人の人達も、次々会社が終わって帰るくらいの時間帯。駅前の通りはそれなりに込み合っている。中には仕事で嫌なことがあったのか、暗い顔をした若い女性やぶつぶつと何かをぼやいているスーツ姿の男性なんてのもいた。
こういう光景は、あまりよく観察しすぎないようにはしているが、ついつい目には入ってしまう。楽しそうに働いている人なんて、本当に一握りしかいない。その事実を思い知れば思い知るほど、未来に対して希望が持てなくなってしまいそうだから。
「と、とにかくクールに見えているお前よりは、俺の方が話しかけやすくて仲立ちを頼まれるんだろうけど。……お前、人助けとかもう少しわかりやすくやったっていいと思うぞ。人が見てないところでこっそり掃除しておくとか、教室の本を並べ直すとか、そういう地味なことばっかりしてないでさ。そりゃ、善行ってこれみよがしに人に見せつけるようなものじゃないし、見てる奴は見てるから評価されてるんだろうけどー」
それから、と彼は指を一本立てる。
「もっと女子に話しかけてもいいんじゃないか?ほら、スマイルスマイル。お前が笑って声かけて嫌がる女子ほとんどいないと思うぞ?」
「話しかけるって……用事もないのに話しかけたら迷惑だろ」
「その発想がおかしい!俺相手なら、用事なくても雑談したりするじゃん!」
「女子相手だと、変な勘違いさせたりするかもしれないし、女子と何話せばいいのかわからない。共通の話題がない」
「お前料理得意なんだから、料理の話とかでもいいんだって。相手が動物飼ってるならそれについて尋ねてもいいし、相手が好きそうな映画やショッピングの話の聞き役になってもいいし!なんでもいいんだよ、いきなり恋人になれって言われてるわけじゃないし!」
「うう」
そんな簡単に言われても、と思う。理貴と自分は、やっぱり違うと思うのだ。男子相手なら、なんとなく空気を察して動くこともできるし、多少失敗しても挽回の余地がある。でも女子は、なんというか傷つけそうではらはらしてしまうとでも言えばいいのか。自分が嫌われるのならそれは別に良い。でも、傷つけるのは嫌だ。
――もし、俺が理貴みたいな性格だったら。……八尾さんとも、もう少しまともに話ができたのかな。
彼女には謎が多いが、おまじないや嫌がらせをしてきたのが彼女だなんて証拠はどこにもない。仮にそうだったとしても、自分がもう少し上手に話ができていれば、彼女と真正面から向き合ってもっとさっさと解決できていたかもしれないというのに。
「ちなみに、そういう仲立ちの手紙とかは全部断ってるからそのつもりで」
肩をすくめる理貴。
「お前は、人づてに頼むくらいなら自分に直接言いに来てほしいって思うタイプだろうしな。俺もそう伝えてるぜ」
「よくわかってるじゃん、理貴。確かに、俺はそういうの好きじゃない。仲立ちさせる人間の気持ちや立場に配慮がないしな。もしその女子のことを理貴が好きだったら、ショックなんてものじゃないだろ。そういう配慮がないやり方は嫌いだ」
「……そこで俺の心配に行くのはお前くらいなもんだよ。それがお前の良いところだけども」
萬屋夏樹、と書かれた人形を実際に体育倉庫で発見してしまったこと。その他にも、誰かを呪うための人形がざくざく出てきて辟易したこと。
猫の死骸に、黒い薔薇。夏樹が疲れていることがわかっているからか、理貴がなるべく明るい話をしようと頑張ってくれているのがわかった。何で彼に友達が多いのかといえば、こういう気の使い方ができるからなのだろう。友達を大事にする奴は好かれる、当たり前のことだ。
大学からどうなるのかはわからないが、少なくとも高校生活ではずっと付き合っていく相手だろうし、そうしていたいと思っている。残念ながら今の時点では、理貴をはじめとした友人達にどんな恩返しができるかなんてわからないけれど、いずれ見つけていければ良いとは思う。
そしてどうせなら、大学がバラバラになっても社会人になっても結婚することになっても、ずっと年賀状でもやり取りしながら関係が続けばいい。きっと世界というものは、そういう友達がたった一人いるだけでも全然違った意味を持つものなのだろうから。
「……そうだ、お前に言い忘れてたことがあったわ」
雑談をしながら、夏樹の家のマンションの前に来たところで――理貴は思い出したように言った。
「お前に言われてた、“クマチ”って名前なんだけどな」
「ん?」
そういえば、理貴に調べてくれないかと頼んでいたのを忘れていた。夏樹自身、聴いた覚えのない字面だったし、交友関係が狭かった夏樹より百坂中学校出身関係の友達も多い理貴の方が情報が出てくるかと思ったのだけれど。
「夏樹お前、冬樹と一緒に百坂中に通ってたんだよな?クマチって名前、お前の方が心当たりねーの?」
理貴から言われたのは、そんな意外な言葉だった。
「百坂中だった別のガッコの友達にさ、クマチって聞き覚えない?って尋ねたら明らかに様子おかしいんだよ。明らかに訊かれたくないというか、なんかタブーみたいになってる気配感じるんだが?」
「え?俺は全然聞いた覚えなんかないけど……」
「本当か?よく思い出せって。今説得してどうにか訊き出そうとはしてるけど、お前が思い出す方が早いかもだぞ。人の名前だ、クマチって名前の生徒とか教員に覚えはないか?」
「いや、全然……」
そう言われても、ちっともピンとこない。元々人の名前や顔を覚えるのは得意な方ではないから尚更に。
夏樹が首を傾げているのを見て、理貴はため息をついた。今夏樹をつっついても、何もわかることはないと気づいたのだろう。
「……まあいいや。その友達から何か訊き出せたら、また話すから。お前はとりあえず、明日以降も身の回りに気を付けるのと、八尾鞠花のことは注意して見てろよ。いいな?あいつが犯人とは限らないけど、タイミング的に怪しいのは事実だし」
「……わかった」
この日は、ここで理貴と別れて夏樹はそのまま帰宅した。それゆえに――翌日まで知らなかったのである。
このすぐ後。
駅へ戻る道の途中で理貴が男に殴り倒され、救急車で運ばれていたことなど。