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<16・不運。>

『うーん、貴方が思っている通りね。黒い薔薇を売ってるお花屋さんは少ないんじゃないかしら。うちの店でも取り扱ってないし』


 学校帰りに立ち寄ったフラワーショップ・カガの女性店員は、困ったように笑いながら夏樹に言った。


『その、やっぱり……ね?黒い薔薇ってあまり花言葉も良くないし。そもそも自然界に存在する色じゃないって言われてるのよね……。え?もちろん、うちの店でもそういう薔薇は誰かに売ったなんてことはないし、あまりにも暗い色の赤い薔薇もあんまり売らないことにしてるの。やっぱりお客さんには、お花を買って行って笑顔になってもらいたいでしょう?』


 至極真っ当なことを言われた。そりゃそうだ、としか言いようがない。近所に、夏樹が知っている限り花屋はこの店くらいなものだった。ここで取り扱っていないのなら、犯人はどこか遠方から取り寄せでもしたということなのだろう。

 黒い薔薇の花言葉は、“永遠の愛”などの意味がある一方、“死ぬまで憎みます”“憎悪”“恨み”なんて意味もあるという。そして特に気になる花言葉が。


――“あなたはあくまで私のもの”。


 ぞくり、と背筋が冷たくなった。誰かが、誰かを手に入れたくてあのような薔薇を使ったのだろうか?まるでストーカーだ、と。冬樹に送られた数々の手紙を思い出して背筋が凍った。

 十崎の証言の通りなら、そのストーカーとやらは恐らくは死んでいる。そして、誰かを祟ったり呪ったりすることができるような素質を持っていたわけでもなかった。しかし弟は自分は呪われたかもしれないと怯えて、意識もそぞろになり事故に遭ったと思われる。盲目的で、望まない愛を押し付けられることは、時にただ悪意を向けられるよりも恐ろしい暴力になりうるのだろう。

 もし、あの花瓶を置いた人間も誰かに対してそのような感情を向けていたなら。誰かを絶対的に自分のものにしたい、そう思って願いをかけて黒薔薇を生けたなら。

 もしもその相手が、自分であったなら。


――そ、そんなことあるはずがない!俺みたいなのに、そうほいほい好意を向けるやつなんかいないだろうし……八尾さんだって、保留にしたいっていう返事を前向きに受け止めてくれてたじゃないか。


 八尾鞠花では、ない。そう信じたい。なんとなくだが、彼女は欲しい物があるならおまじないなんかに頼らず、自分の力で手に入れに行くタイプだと思うのだ。己に自信もあるし、プライドもある。誰かに怖気づいたり遠慮して考えを変えたり、一歩下がるようなタイプでもない、と思う。

 ならばあの花瓶は、自分に向けて彼女が生けたものではない、はずだ。証拠は何もないけれど。


――ただ。……校庭の穴を探してたってのが、どうにも。


 恐らく、この学校の七不思議の一つをどこかで知ったのだろう。校庭に不思議な穴が空いていることがあり、それを覗き込むと地獄が見えるだとかいうアレだ。でも、それを鞠花が探していた理由が引っかかってからない。




『この学校の校庭には、地獄に繋がる穴があるって。その穴を覗きこむと、地獄が見えるって。……お姉ちゃんも、そこにいるのかなあ』




 お姉ちゃん。

 彼女には姉がいるらしいとは聞いていたが、まさか死んでいるのだろうか。しかも妹に、地獄に落ちたと思われているとは。


――様子がなんか変だったから、細かいことは訊けなかったけど、でも。




『ねえ、夏樹クン。……貴方は本当に、私達は初対面だと思います?私のこと、本当に覚えてない?』




――やっぱり、本当は前にどこかで会ったことがあるんだろうか。だとしたら、なんではっきりそう言わないんだろう。


 なんだか頭痛がしてきた。とりあえず、鞠花に関しては区切りをつけたつもりだ。黒薔薇の花瓶だって、自分宛てというわけではないのかもしれない。もっと言えば吹奏楽部に嫌がらせをするためでさえなく、誰かのちょっとした悪戯という可能性もまあなくはない。それにしては、手に入りにくい黒薔薇を使ったり、みんなの目を盗んで花瓶を出してきて花を生けたりと計画的ではあるが。


――こっちの件については俺一人で悩んでもしょうがない。おまじないなんか嘘っぱちで、特に何か起きるってなわけでもないだろうしさ。


 考え事をしすぎていたのかもしれなかった。駅前の道。ふらふらと横断歩道を渡ろうとしたところで、後ろから力強く腕を引っ張られる。

 え!?と思った瞬間、眼前をトラックが勢いよく通過ぎていってぎょっとさせられた。もし今、腕を引かれなかったら撥ねられていたかもしれない。


「馬鹿野郎、死にたいのか!」


 振り向くと、思い切り怒鳴られた。腕を引いてくれた、会社員らしきスーツの中年男性である。自分くらいの子供がいてもおかしくない年齢――肝が冷えたことだろう。


「す、すみません。ぼーっとしてて……ありがとうございます」

「……ったく。若いもんが命を粗末にすんじゃねえよ」


 今、自分は間違いなく命を救われた。そこまでぼーっとしていたつもりではなかったというのに、無意識に赤信号の横断歩道を渡ろうとしてしまっていたのだ。

 何度も彼に謝罪しながら、今日のことを振り返る。黒薔薇の花瓶を見て、部員の女の子達がずっと噂しあっていたのを。


『黒薔薇なんて縁起が悪い!花言葉もやばいし、ねえ?』

『吹奏楽部じゃ、あのおまじないは禁止になってるのに。一体誰が?』

『ろくなお願い事じゃないよ。きっと、誰かが誰かを呪い殺そうとしてるとかそういうのだよ』

『呪い殺そうとしてるって、そんなに恨み買ってる人が吹奏楽部にいるっていうの?』

『知らないよ、でも』


 どうしても、耳に残ってしまっている、あの言葉。


『呪われた人はきっと、物凄く酷い死に方をするんじゃないかな。電車とか車に轢かれて、ぐちゃぐちゃのミンチになっちゃう、とか』


 車に、轢かれる。


――ま、まさか、な。


 今のは絶対そんなんじゃない。自分がただぼんやりしていただけ。夏樹は、そう信じたかった。

 呪いなんてあるはずがない。自分に、そこまで誰かに恨まれる心当たりはないはずだと。




 ***



 ・

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695:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

実はどうしても呪い殺してやりたいやつがいるんだよね

私の大切な人を殺したそいつに、復讐してやりたいの

すぐに殺してもいいけど、まずはじわじわ怖がらせて、追い詰めて、あの人以上の苦しみを味あわせてやらなくちゃ

だから、>>235のおまじないにはすごく感謝してる。いかにも呪術ってかんじだし、すごく面白そう

早速明日、試してみるね


696:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

>>695

マジで言ってる?


697:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

それをわざわざ宣言していく意味とは


698:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

>>697

それな


699:今日も今日とてホラーなスクール@全力投球のななし

ひょっとして、これもパフォーマンスなんじゃないの?

このスレをその憎んでる相手が見つけたら、ますます怯えさせることができるかも?みたいな。

もしかしたら、このスレのスレ民に、呪いたい相手がいたりしてね

最近オカルト版も結構賑わいを取り戻してるし……ホラー好きなら、こういう板も見に来ててもおかしくないしね?




 ***




 どういうことなんだろう、これは。

 一体何が、どうしてこうなったんだろう。


「なんだ、これ……」


 週明けの月曜日の朝。登校してみると、教室はざわついていた。夏樹の机を取り囲んで困惑する生徒達。嫌な予感がしてみれば、机の上が大変なことになっていた。

 そこに置かれていたのは、猫の死骸だ。

 多分野良猫、なのだろう。茶トラの猫が舌を突き出し、白目を向いて事切れている。その死骸から溢れ出した血が、ぽたり、ぽたりと床に雫を落としていたのだった。


「何でこんな、酷いこと……!猫を、殺したってのかよ……!?」


 思わず呟く。自分への嫌がらせであるのは間違いなかったが、誰かにそんな悪意を向けられたこと以上に猫が可哀想でならなかった。猫の首は、明らかに鋭い刃物のようなもので掻き切られている。血の飛び散り具合からしても、誰かがわざわざ教室に猫を連れてきて机の上で掻き切ったとしか思えなかった。

 人への嫌がらせのためだけに、生き物の命を理不尽に奪う。正気の沙汰とは思えない。


「夏樹クン、大丈夫?」

「や、八尾さん……」

「顔色が真っ青ですよ」


 彼女は心配そうに夏樹の顔を覗き込んでくる。夏樹はそれを、恐ろしい気持ちで見つめた。教室中に血の臭いが漂って酷いことになっているのに、彼女は顔色一つ変えていないように見える。まるで、まったく恐ろしさを感じてないかのようだった。


「猫、が」


 絞り出すように、それだけを告げる。


「猫が、可哀想で。俺に、嫌がらせのつもりか?そんなことのために、なんで」


 昔から動物は大好きだった。自宅では何も飼っていないが、従兄弟の家にはでっかいサモエドとヒマラヤンがいて、遊びに行くたびにモフモフさせてもらっているのである。毛が長い犬と猫が好きなんだ、と従兄は笑いながら語っていた。掃除は大変だし、特に犬は力も強くて散歩も大変だし、時に家の中で暴れて物を壊すからそれもまた大変だし――と。そう苦労を語りながら、彼はとても幸せそうだったのを覚えている。

 犬や猫は、人の言葉をわかってるんだぜ、と言っていた。だから辛いときに人間に寄り添ってくれるし、嬉しいときは一緒に喜びを分かち合ってもくれるのだと。彼らは最良にして最高のパートナーであり、家族同然なんだと語った。自分もわかる気がする。今は家に人がいない時間が多すぎるがゆえに、自宅で動物を飼うことができない状態であったが、いつか犬猫を飼いたいねというのは両親との共通見解なのだった。

 だからこそ。こんな残酷な真似をできてしまう人間が信じられない。

 恐ろしくはなかったのか。良心の呵責はなかったのか。猫はまだ小猫のように見えた。自分より遥かに小さくてか弱い命を抑えつけて、無理やり首を掻き切るなんて、どうしてそんな残酷なことができる?そんな恐ろしい人間が、この学校にいるとでも?


「皆さん、とりあえず教室の外に出てください!」


 騒ぎを聞きつけて、隣のクラスの男の先生がやってきた。彼は声を張り上げると、ひとまず片付けのために全員に廊下で待機するようにと告げる。


「今、警察に連絡するかどうか校長先生と相談します。その場合は現場を保存しないといけないので、皆さんは少しの間視聴覚室に行って待機していてください!貴重品だけ持っていって!」


 そうだ。流石にここまで行くと、器物損壊に動物保護法違反。普通に警察沙汰ではないか、と今更思い至った。

 猫の死骸を自分の机の上に置いた誰かは、警察に逮捕されても構わないとさえ思っていたのだろうか。そうまでして、夏樹に嫌がらせをしたいと?


――どうしよう、気持ち悪い。


「おい、夏樹!?」


 廊下に出たところで力が抜けてしゃがみこんでしまった。そこに、気がついたらしい理貴が駆け寄ってきてくれる。


「先生、こいつを保健室に連れていってもいいですか!」

「そうですね、お願いします」


 そんな会話を、どこか遠くで聞く。その間鞠花はじっと、色のない視線で夏樹を見つめ続けていたのだった。

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