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<14・漆黒。>

 音楽室のお願い事、でどんな薔薇を使うのが良いかについてはまったく決まりがない。一本だけ生けなければいけないなんてルールもない。

 ただ暗黙の了解で、“自分の願いに近い花言葉のものを選ぶのが良い”みたいになっているのは事実だ。薔薇は他の花と比べると、非常に花言葉の種類が豊富だと聞いたことがある。本数だとか、蕾だとか、そういうことでも花言葉の内容が変わってくるらしいということも。


――イメージ的にだけど、絶対黒い薔薇って良い花言葉じゃないだろ。


 なんだか怖くて花言葉を調べられていないが、きっとろくなものではない。ざわついていた生徒達は、その花言葉を知った上でびびっていた可能性も高そうだ。ポジティブなお願い事をしたのなら、あんな色の花は選ばないだろう。

 誰かが、“音楽室のお願い事”で、誰かを呪うようなお願いでもしたのではないか。みんなが気味悪がっているのはそれに尽きる。

 あんなおまじないなど誰も信じてはいないが。ああいうものを信じて、誰かを呪いたいと願った人間が近くにいるかもしれないという事実が恐ろしいのだ。


――……学校に花を持ちこんで隠しておくのも、音楽室に花瓶をセッティングするのも、かなり計画的にやらないと難しい。第一音楽室を使ったクラスが撤収した直後。あの目立つ花を隠し持って音楽室に突撃して、楽譜と花瓶を用意する……その執念が怖い。


 聴いたところによると、花瓶そのものは音楽準備室にあった使われてない花瓶であったらしいということおがわかっている。棚の中で埃被って放置されていたのを、誰かが掘り起こしてきたというわけだった。夏樹はその存在に気づいていなかったが、準備室の結構目立つ場所にあったということで一度でも出入りしている人間なら知っていてもおかしくないという。

 花瓶も薔薇も、吹奏楽部以外の人間が充分持ちこめたものだろう。

 ただ、これを吹奏楽部に見せつけるようにセットしたことが気がかりなのだ。おまじないの効果が長くなるように、長くセッティングしておきたいのならば――吹奏楽部の活動が終わったあと、夜中セットしておいた方が効果的ではある。無論、吹奏楽部の活動が終わったら音楽室は施錠してしまうので、もう一度職員室の鍵を開けてもらうなり別の方法で侵入するという手間がかかるのは事実だが。


――誰が、一体何のために?……吹奏楽部に恨みがあるやつでも?


 楽譜をめくるものの、まったく集中できない。今日は一時間後にパート練習が予定されている。少しでも多く個人練習をして、恥ずかしくないように仕上げなければいけないというのに。


――こんな弱小の吹奏楽部に恨みってなんだ?俺が知る限り、不自然に部活をやめた奴とかいないし……いじめがあるなんて話も聞いたことないのに。


 それとも、吹奏楽部ではなく。個人に恨みがあって、見せつけるため、なんて可能性はあるだろうか。

 ふと、思い出したのは十崎に言われた言葉だ。




『貴方も気をつけてくださいよ?なーんか、ストーカーとかとは違うんですが……誰かに恨まれてるような気配を感じますんでね。最近出会った人には、注意してくださいよ?』




 視線はそれとなく、コントラバスの方へと向かう。正式に入部した鞠花は、バリバリに練習中である。先輩達に可愛がられ、少しずつだが上達していっているようだ。無論、コンクールまでに間に合うかどうかはギリギリのところだろうが。


――まさか、な。


 好意ではなく、恨みで自分に近づいた。そんなことがあるだろうか。

 一度そう思ったら、その考えは頭にこびりついて離れなくなってしまった。




 ***




 結局、パート練習は散々な結果に終わった。コンクールまでもう三ヶ月くらいしかないのに、と気分が沈む。明らかに集中できていない。このままでは、自分の音のせいで全体のハーモニーを壊してしまう。


『本当に、最近気もそぞろってかんじ。……去年の君の方が集中できてたよぉ?どうしちゃったのかなぁ?』


 いつもの間延びした口調で、パートリーダーの玲奈には心底心配されてしまった。他の後輩にも、ボロボロの演奏を咎められるよりも体の具合が悪いのかと声をかけられる始末である。まったく、情けないったらありゃしない。


――とにかく、冬樹の件と八尾さんの件、両方抱えてるのが良くないんだよな。まずは、八尾さんとはきっちり話さないと。


 こういう話をするのは得意じゃない。そもそも、冬樹と比べて女子に告白されるようなことなんて数えるほどしか経験したことがないのだ。

 しかも、今まで告白してきた女子はみんな“ずっと前から好きでした”と言っておきながらこちらはまったく知らない女子ばかり。結局、よく知らないのに付き合えない、で断ってきたという経緯がある。――そう考えると、相手とろくに話したこともないのに好意を持つということそのものは、けして珍しいことではないのだろうか。

 夏樹からすると、どうしても理解が及ばない領域である。好きになるというのは、相手の性格も含めてのことではないのか?顔がいくら好みでも、実際付き合ってきたら最低のクズかもしれないし、部屋が汚部屋かもしれないし、浮気性かもしれないし、生理的に受け付けない趣味を持っているなんてこともあるだろう。そういうのを後から知って絶望するくらいなら、もっときちんと相手のことを知った上で、恋愛対象として相応しいかどうかを精査した方が良いと思うのだが。


――やばい、タイミングを見誤った。もしかして八尾さん、もう帰っちゃったかな。


 音楽室にはいなかったし、靴箱にもいない。今日ケリをつけたかったのに、片づけをぐずぐずしているんじゃなかった――そう後悔しながら、靴を履いて校舎の外に飛び出した時だった。

 校庭に、ぽつん、と佇む人影が。

 夕焼けに染まった場所で、長い黒髪をなびかせてこちらに背を向けて立っている女性。長い黒髪というだけなら他にもいるだろうが、あの長身は見間違えるはずがない。校庭の、鉄棒のすぐ近く。一体何を見ているのだろう。


「八尾さん!」


 慌てて走っていって声をかけると、彼女はこちらを振り返った。

 一瞬見えたのは、ぽっかりと穴が空いたような空虚な瞳。ドキリとして立ち止まると、すぐにその眼は“何か御用ですか?”とにっこりと微笑むものに変わったが。


「もう、いつまで苗字呼びなんです?私のことも名前で呼んでくださいよ、夏樹君」

「……付き合ってもいないのに、名前で呼ぶなんてことできないよ」

「ええ?」


 彼女は残念そうに、眉を八の字に下げた。


「てっきり、そろそろ告白の返事を頂けるのかと思ったのに。そういう事を言うってことはつまり……私とはお付き合いできないっていうことですか?」


 こうも先手を打たれてしまうと、言いだしづらくなってしまう。が、実際そのつもりで来たので、ここは遠慮しているわけにはいかないだろう。むしろ、はっきり言わないのは失礼であるはずだ。


「……あんたの事が嫌いなわけじゃないんだ。でも、俺は一目惚れとか、そういうものじゃなくて……できれば相手のことをきちんと知った上で付き合うってことをしたいと思ってて。後で予想外の一面をあんたに知られて失望されるのも悲しいし、逆にあんたのこと何も知らずに付き合って考え方や性格があわないことを知って、ソッコーで関係が終わるのも悲しいから」

「お互いのことをよく知らないと付き合えない、ってことですか?とても慎重な性格なんですね」

「俺は見た目より性格の好みが煩いタイプだしな。あんたの性格が悪いと思ってるんじゃないが、そもそもあんたについて知らないことが多すぎる以上OKだとは言えない。……だから、あんたももう少し俺のことをよく知ってから、結論を出して欲しいんだけど」

「…………」


 それを聴いて、鞠花は何を思ったのだろう。しばらく沈黙したあとで、うーん、と首を傾げたのだった。


「夏樹君が言いたいことはわかります。でも、それって結局、君が私のことを好きじゃないってことなんじゃないのかな。……本当に好きな相手には、見た瞬間に運命を感じるもの。恋って、そういうものだと私は思うんですけどね。理屈とか、理性とか、そういうものを吹っ飛ばして。とにかく盲目的に突き進んでしまうもの、だと」


 仕方ありませんね、と彼女は苦笑する。


「じゃあ、もっともっと私のことを知って貰う努力をします。そして、私も貴方のことをたくさん知ります。それで、お互い好きになることができたらお付き合いする、そういうのはどうですか?」

「……いい、けど。というか、凄い自信があるんだな」

「はい、自信はありますよ。私、美人でしょ?君はきっと、私とお付き合いしたくなりますよ!」


 あ、自分で言うんだ、と思った。てっきり無自覚美少女かと思いきや。

 とはいえ、半分はジョークだというのは想像がつく。こういうユーモアがある人物なのか、と思ったら少しだけ印象が緩和された。

 自分が、少し警戒していただけなのかもしれない。そう思ったら、もう一つの質問を尋ねるタイミングを完全に逃していた。つまり。


――あの黒い薔薇。用意したのはあんたじゃないのか?もしそうなら、一体誰に、何を願ったんだ?


 なんとなく、聴きだしづらくなってしまった。自分の言葉を、頑張ってポジティブに解釈してくれようとしている気配を察したら尚更に。


「その、校庭で何をしていたんだ?何かをぼんやり見ているように見えたけど」


 鞠花の隣に立ち、彼女が見ていた方向に視線を向ける。鉄棒を背中にして、校庭とその向こうに広がる夕焼け空を眺める。――何の変哲もない景色。遠くで烏が鳴く声が、聴こえるような気がするばかりで。


「大したことではないです」


 彼女は、うっすらと笑みを浮かべて言った。


「ただ、面白いものがないかなと思って」

「面白いもの?」

「はい。この学校の、面白い七不思議があるって聞いて。校庭に、穴が空いてることがあるんでしょう?」

「!」


 ぞわり、と背筋が泡立つような感覚を覚えた。強い風が吹く。靡く長い髪に隠れて、横顔からは彼女の表情がよく見えない。


「この学校の校庭には、地獄に繋がる穴があるって。その穴を覗きこむと、地獄が見えるって。……お姉ちゃんも、そこにいるのかなあ」

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