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<8・掃除。>

『大変なことになったわ』


 テレビの中。煌びやかな衣装の女戦士が、ずずーんと沈んだ顔で言った。


『ブレイブが……今日いきなり、大掃除をするって言いだしたのよ!』

『はあああああああああああああ!?』

『ええええええええええええええええええええええ!?』

『うっそおおおおおおおおおおおおお!?』


 彼女の言葉に、残り三人の戦士たちは三者三様の声を上げる。そのうちの一人、最も屈強な斧を背負った男は、真っ青になってがくがくと震えている始末だ。


『な、なんということだ……このままでは、俺達は全員地獄に突き落とされる!へ、部屋の掃除なんて、もう一年はしていないぞ!』

『まったくだわ、去年は物を押入れに投げ込みまくってどうにか誤魔化したけど、今年は正直無理っていうか……王冠が溢れすぎてどうすればいいかわからない!』

『ミナミさんミナミさん、部屋でこっそり買っているオオトカゲ一号ちゃんから百二号ちゃんはどうしたら……』

『あんたペット飼ってたの!?ていうか百二号ってどういうこと!?このアパートペット禁止なんだけど!?』


 夏樹が見ているのは、“勇者アパート平和荘”というコメディアニメである。とあるラノベが原作のアニメで、魔王を退治するために異世界から召喚された勇者たちがアパートで一緒に住むものの、あまりにお馬鹿な性格の者達が揃っているためにいつまでも準備が整わずに冒険に出発することができない――というお話だった。アニメを見たのは今日で初めてだったが、理貴が好きなのでなんとなく話の筋は聞いている。土曜日の昼にテレビでやっているとは思っていなかった。たまたま、チャンネルを変えたら放送していたのだ。

 どうやら今回のストーリーは、勇者アパートの綺麗好きの管理人が、突然大掃除をしますと全住民に勧告を出したのでみんなが焦るというものらしい。

 この様子だと、きっとこの画面に出ている四人の男女はみんな部屋の片づけが苦手なのだろう。しかし、ペット禁止ということになっているアパートで百二匹ものトカゲを飼っているってどういう状況なんだとツッコミたいが。


『ブレイブさんに見つかったら、私達確実に殺されるわ』


 最初に皆に話した女戦士は、クールな美女という出で立ちにも関わらず冷や汗かきまくりである。美人の部屋が必ずしも綺麗とは限らない、の典型らしい。


『大掃除は明日……それまでに、出せるゴミは全部出しましょう。ハボルグ、あんたもそこででっかい体小さくしてガクブルしてないでなんとかしなさい!』

『うう、うう……俺、天国のママとパパに、二十代でそっちに行ってごめんなさいって謝ってくるよ……』

『諦めるの早すぎでしょ!?』


 次の瞬間、どっかーん!と外で大きな音が。四人が慌てて窓を見ると、敷地内の駐車場から煙が上がっている。そして、巨大でカラフルな鳥が、一人の剣士っぽい格好をしたおじさんをくちばしでくわえてぶん回しているのを発見することになるのだ。その足元には、長い黒髪の美しい黒魔導師っぽい姿の青年が。その手には、魔導書のようなものを掲げている。


『ああ、ザクおじさんが……!』


 四人の勇者たちは恐れおののいた。


『ま、まさか、ブレイブさん。召喚魔法まで使って制裁を下すなんて!本気だ。ものすごく本気だ!』


 ここで、テロップとナレーションが入る。


『四人の勇者たちは、部屋を綺麗に片づけてブレイブさんの怒りを回避できるのか!?次回、勇者パーティ壊滅!冒険スタンバイ!』

「いやいやいやいや、ネタバレしてんじゃん!」


 思わずテレビの前でツッコミを入れてしまった。うきうきとしたエンディング曲が流れ始めたところで、あ、と声を上げる夏樹である。

 そうだ、自分も掃除をしようと思っていたのにすっかり忘れていた。冬樹の部屋をなんとかしようと思っていたのではなかったか。

 掃除機だけは父や母もかけているだろうが、多分それ以外のところは手つかずだろう。むしろ手がついていたらそれはそれで気の毒な話である。


――ついでに家全体の掃除機もかけるか。二人とも夜まで帰ってこないんだし。


 掃除機とトイレ掃除は忘れないうちに。次回予告までばっちりと見たところで、夏樹はソファーから立ち上がったのだった。




 ***




 棚の上の埃をハタキで落としたり、床に掃除機をかけたりした後。弟、冬樹の部屋の箪笥を夏樹は開いたのだった。衣服の場所は安全と思いきや、以外にこういうところに秘密のナントカを隠していることもある。夏樹の場合エロ本を隠したことはないが、中学の頃馬鹿にされるのが嫌でボカロ系のグッズをあっちこっちに隠していた時期があるのでなんとなく想像がつくのだ。

 いや、隠すようなものではないというのかもしれないが、ボカロ系のCDなどはパッケージがアニメ絵になっていることも少なくなく、それで誤解されそうで親には内緒にしていたのである。思春期の男子としては、エロアニメ系のCDを購入したと勘違いされるのも嫌だったのだった。まあ、隠していた結果見つかった時により誤解されることにもなったわけだがそれはそれである。思春期の男子の思考は難しい。ちょっと落ち着いた今、自分でもそう思う。


――あ、防虫剤切れてる。新しいのに変えておこう。


 防虫剤の四角いプラスチックを発見、“交換してください”の文字が浮き出ていることに気づいて思った。防虫剤はリビングの納戸に入っている。箱ごと持ってきて、一つ一つチェックし交換していく。

 衣類のしまい方一つ取っても性格が出るものだった。世の中には、服を畳むという行為が恐ろしく苦手な人間もいる。冬樹はまさにそれで、引出の中の服はかなりぐちゃぐちゃ、雑多にねじこまれている状態だった。シワになりにくいものが多いようだからまだいいが、モノによってはアイロンをかけ直さなければいけないだろう。

 大雑把な性格のあいつらしい。一つ一つ取り出して、畳み直していくことにする。


『兄貴っておれと違って几帳面だよねー。いいなあ、おれ、どうがんばっても服畳めないんだよ。同じようにやってるのに全然綺麗にまとまんない。なんでー?』


 弟の声が聞こえてきた気がして、少しだけ手を止めてしまう。未だに、弟がああなったことに関して納得しきれていない己がいるのだと改めて思い知らされた。

 確かに、ちょっといい加減なところのある弟だったかもしれない。でもいつもニコニコしていて、天真爛漫で、老若男女問わず好かれる人間だったのだ。友達想いで、いつも人に囲まれていた。ちょっと女の子にモテすぎてトラブルになることもないわけではなかったがそれだけだ。

 断じて、あんな事故に遭っていい人間ではない。

 今でも連絡が来た時の――腹の底から冷えるような恐怖は、忘れることができないのだ。


「……早く戻ってこいよ、馬鹿冬樹」


 一枚、また一枚。


「もう俺、高校二年生だぞ。このままじゃお前、中学どころか高校も入れないままになっちまうぞ。嫌だろ。吹奏楽、これからもずっとやりたいって言ってたし……大学だって、仕事だって……」


 一枚、また一枚。


「お前がいないと、退屈なんだよ。だから……」


 呟きながら、自分の声が湿ってきたことに気づいて慌てて首を振った。どんどん落ち込みそうになる思考を無理やり振り払い、服をしまった引出を閉じる。

 結局、彼が何に怯えていたのか、何処に行こうとして事故にあったのか何もわからないままだった。事故そのものにはまったく事件性がなかったため、警察による詳しい調査も行われなかったし、夏樹も両親も撥ねた人を咎めるつもりはまったくない。そもそも、状況的に見て道路に飛び出してしまったのは冬樹の方で、いっそ軽自動車のドライバーさんが可哀想に思えるほどなのだから。

 ただ、そういう事が起きるほど彼が思い詰めていた原因がわからない。

 この部屋の中に、そのヒントがあったりはしないだろうか。


――……そうだ、あいつの制服。クリーニングに出したんだろうか、母さんは。


 クローゼットの方を開け、そこから釣り下がったままの彼の中学の制服を見た。事故当日、彼は私服だった。よってこの制服はおそらく、その週に学校に着ていってそのままになっているはずである。

 なんとなくズボンの尻ポケットを探っていた夏樹は、何かがくしゃくしゃになってねじこまれていることに気づいて眉おひそめた。ズボンの尻ポケット、自分も弟もほとんど使わない人間である。スマホを入れるようなこともしない。うっかり落としたら嫌だから、あるいは座っちゃって壊しそうで嫌だから、というのがお互いの共通見解だった。男性ならば、使っている人そのものは少なくないのだろうが。


「なんだ?」


 破らないように、そっと紙を引っ張り出してみる。それは、薄いピンク色をしているようだった。メモか何かかと思ったら、どうやら便箋の類らしい。しかも、折りたたんだ紙の中心に違和感がある。何かを挟んでいるようだ。

 何だろう。そう思って、開いた瞬間。


「ひっ……!」


 思わず。

 夏樹は悲鳴を上げて、それを床に落としてしまっていた。だってそうだろう。折りたたんだ紙の中から、ちぢれた毛の束のようなものが出てきたとあっては。


「な、なな、な……」


 髪の毛ではない。このちぢれっぷりは、恐らく陰毛の類だ。毛の色からして弟のものではない。というか、流石に彼に、そんな趣味があるとも思えない。

 吐き気を堪えながら落ちた毛と、その毛を包んでいた手紙を見る夏樹。便箋には、真っ赤な文字でこう書かれていた。




『私はあなたが大好きなのに

 あなたしか目に入らないのに

 あなたは私のことなんてちっとも見てくれないから


 私しか見えないようにしてあげる。

 あなたを私のものにするために、永遠の呪いを』




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