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<2・選択。>

 吹奏楽部の活動の本番は、夏の吹奏楽コンクールだと言っていい。

 それ以外にも文化祭とか、ちょっとした定期演奏会への参加などはあるが、このコンクールでの上位入賞を目指して頑張るのが活動のメインだ。金賞を取っても、必ずしも地区大会を突破できるとは限らないのが難しいところ。何故なら、金賞の中でも“地区大会を突破できる金賞と突破できない金賞”があり、さらに差をつけられてしまうからである。金賞を取ったのに県大会進出できなかったパターンを、通称“ダメ金”と言ったりする。

 で、自分達七海学園吹奏楽部といえば。

 そもそも、あまりハードではないのんびりとした部活動である。最高記録は銀賞まで。そもそも、県大会進出候補である金賞を取ったことは、近年まったくなかったりする。十年以上前に一度だけ金賞を取って県大会までは行ったことがあるらしいのだが、当然夏樹たちにはまったく縁の無い話なのだった。


「自由曲の方は決まったのに、課題曲がなかなか決まらないってことあるんだなあ」


 あの後、理貴と一緒に第一音楽室へ行き、今日の活動のための楽器組立をしてい最中である。夏樹はトロンボーン、理貴はフルートのパートをやっている。夏樹は中学から吹奏楽部だった(そしてトロンボーンだった)ので、高校に入ってからもさほど楽器をやることにハードルはなかったのだが、理貴はそれなりに苦労したようだった。なんせ、彼は女子にモテたいという不純極まりない理由だけで吹奏楽部に入ったキワモノである。

 それでも一年生のうちに、ひとしきりフルートは吹けるようになったし、ややナンパなだけで活動そのものはきっちりやっているので問題はないのだが(そして、ちょっとチャラい性格も、持ち前のコミュニケーション能力でわりと見逃されているフシはある。実際、モテるかどうかは別として)。


「中学の時も俺は吹奏楽部だったんだけど、いつも自由曲の方が決めるのに時間かかってたから意外なかんじだ。ゴールデンウィーク明けたのにまだ課題曲決まらないって結構まずいよな」

「そういうこともあるんじゃね?先生と部長とコンマスで見事に意見割れちゃってんだもんよ」


 理貴がフルート持ったまま肩をすくめる。楽器が小さい人は良いな、と時々思う夏樹だ。なんせ、持ち歩くのが難しくない。トロンボーンなんて、ユーフォニウムやチューバと比べたら軽いだろと言われるかもしれないがとんでもない。ケースを含めた重さは結構な重量で、いつも持ち運びには相当苦労させられるのだ。

 また、家に持って帰って練習するのもひと苦労である。なんせ、トロンボーンは一説によると全部の楽器の中でも特に大きい音が出る楽器だと言われている。夏樹の家はマンションで家族とも同居している。近所の迷惑にならないように練習できるタイミングは、非常に限られてくるのだ。


「課題曲って毎回五つくらい種類があって、そこから好きなものを学校ごとに選んで演奏するんだけどさ。どうしても、人気の曲はあるし、難易度も違ってくるわけだよ。華やかな曲をやりたがる学校は多いし、自分達の実力をきっちりアピールしたい学校ほど難しい曲をやりたがる。まあ、難しい曲を上手に演奏した学校ほど評価されるのは当然のことだしな」


 コンクールで演奏するのは、課題曲一曲に自由曲一曲。課題曲は決められた候補の中から一曲を選んで演奏し、自由曲は文字通り高校生が演奏するに相応しい吹奏楽曲なら何をやってもいいということになっている。

 今年こそは、と先生も部長たちも地区予選突破へ熱を上げているようだった。だからこそ、どの曲を選ぶのか、でかなり難航してしまっているのだろう。

 自由曲が早々に決まった理由は単純明快、去年候補から漏れたある曲に即決したからである。去年は二つの曲で意見がまっぷたつに割れていた。結局現在の実力と皆の希望で片方に決まったが、去年二年生以下だったメンバーはやはり“あっちもやりたかった”という気持ちが強かったのだろう。難易度からしても、華やかさからしても、今年のメンバーたちに異論はなかったのだ。

 ちなみに、地区予選突破できるかどうかレベルの学校なので、この吹奏楽部には一軍二軍なんてものはない。吹奏楽部に入ったが最後、初心者であっても問答無用でコンクールのメンバー入りである。裏を返せば、初心者もビシバシと鍛えられるということだった。なんだかんだ先輩の厳しい指導に耐え、夏までにそこそこ吹けるようになった理貴は結構な努力家だと言える。


「俺、音楽は全然シロートだからさあ、曲聴いても難しいとか難しくないとか全然わかんねー。フルートメインの曲なら多少難易度想像はできなくもないけど、吹奏楽ってクラリネットの方が目立つこと多いしさ」


 むー、と子供のように唇を尖らせる理貴。


「スコア見てもさっぱりだ!お前らはそういうのわかんの?」

「俺だって、そんなに音楽に詳しいわけじゃないよ。中学から吹奏楽やってるから、多少程度には想像ができるってダケ」


 トロンボーンは手入れが命。特に、スライドの滑りが悪くなったら致命的である。先端部分にクリームを塗って、霧吹きで水を噴きつけて湿らせる。そして、スライド全体に広げるのだ。

 また、楽器の後ろ部分のパイプを引き延ばしたり縮めることで、楽器そのものの音を低くしたり高くしたりということをする楽器でもある。チューニングで音が高いと言われたら管を長くして音を低くし、音が低いと言われたら管を短くして音を高くするのだ。

 トランペットやユーフォニウム、ホルンとトロンボーンの最大の違いは、音の高低を最も調整しやすい楽器だということである。

 他の金管楽器たちは、ボタン状になっている突起を押しこみ、その組み合わせでドだのレだのという音を出す。トロンボーンの場合は、それがスライドの長さで決定される。例えばドの音を出す場合は、第六ポジションという長さになり、腕を結構伸ばした位置になる(なお、夏樹が使っているのはテナーバスなのでコレが少し楽になっており、第一ポジション=一番スライドを手前に引いた形でレバーを引くことでも第六ポジションの音が出せるようになっている)。レの場合はそれがだいぶ短くなって第四ポジション、トロンボーンの傘部分より少しだけ遠い位置、にスライドを伸ばせば音が出るようになっている。

 ちなみに、トロンボーンはヘ音記号で譜面が示される楽器である。今言ったド、はヘ音記号のドの場合。五線譜で、上から四つ目の空白に饅頭が載っている位置のドだ。これが一オクターブ上のドだと第三ポジションで音を出すことになる。同じ音でも高さによってポジションが違ったりするのが難しいところ。反面、スライドの長さによって音の微調整が可能なのが他の楽器との違いで、ドの音だけちょっと高めに演奏したいな、なんてことになったらスライドをいつもよりちょっぴり手前に引く、なんてことで調整ができるのだ。反面、演奏する時に100パーセント同じ位置に手を持ってくることは不可能なので、微妙に音が変わってしまうという問題点もあるのだが。


――後ろのパイプがなんか硬いな。ちょっとクリーム大目に塗っておくか。


 スライドを取り外して、パイプに少し厚めに調整用のクリームを塗り込む。チューニングの時に動かなくなったら周りに迷惑をかけてしまう。


「……えっと何の話だっけ。ああ、そうだ課題曲」


 手を動かしながら、話を続ける夏樹。


「今度の五つの課題曲の中でさ、二番目の曲が他の学校でも一番人気なんだよね。華やかだし、いかにもパレードってかんじでテンション上がる曲だろ。起伏もあるし」

「うん。俺もあの曲いいなーって思ったし、コンマスは推してるよな?」

「でも、他の学校にも人気ってことは、他の学校も同じ曲を選んでくる可能性が高いっつーことなんだよ。……違う練習曲のクオリティと、同じ曲のクオリティ。比べられやすいのって、どっちだよ。後者だろ」


 多数の学校がやってくる人気曲は、とにかく学校同士のクオリティの差が浮き彫りになりがちである。良くも悪くも比べられやすい。自由曲のポイントもあるとはいえ、よっぽど自分達の実力に自信があるわけでないのなら、人気になりそうな曲を選ぶのは避けるべきなのだ。

 実際、こっそりあっちこっちに偵察に行ったらしい部長は、二番目の課題曲を練習している学校が多数だったと話してきた。いくら吹奏楽部の場合は、校舎の外で聞き耳を立てるだけで偵察になるとはいえ――十個以上もの学校を回って情報を調べてきた部長の執念は恐るべしといったところである。


「だから、部長はあの曲をやるのを反対してる。顧問もだ。……部員たちの多くがあの曲をやりたがってるし、コンマスもそのつもりだから意見が割れてるんだけどな」


 なお、反対している顧問と部長も一枚岩にはなっていない。顧問は四番目の曲をやりたいと言い、部長は五番目の曲を推している。あまり他の学校に人気ではなく、かつそれなりに華やかさもある二曲。最大の違いは、その難易度と言って良かった。

 顧問は今の七海学園吹奏楽部の実力できちんと仕上げられる曲を選び、部長は県大会に行くために最も難しい五番目の曲をやりたいと言っているらしい。


「部長と先生も、喧嘩気味だしなー。まだ曲決めるのに時間かかるのかね。時間かかればかかるほど、練習時間なくなるんだけどいいのかなー」

「だな。まあ、その分自由曲の練習に時間割けるって思っておけばいいよ。ていうか、お前もいつまでもくっちゃべってないで自分の席で練習始めろって、理貴」

「あーごめん」


 彼はへらりと笑い、それから――急に真面目な顔になって、言ったのだった。


「あのさ、最近……冬樹君、どう?まだ……目を覚まさない?」


 一瞬、空気が凍った。凍らせたのは夏樹なのだが。

 思わず、といった様子で同じトロンボーンパートの後輩が振り返った。いいよ、と彼女を手で制して、夏樹は言う。

 夏樹の弟、冬樹に関しては有名な話だ。同じトロンボーンパートのみんなは知っているし、他のパートであっても仲の良い部員たちやクラスメートなんかはわりと教えている。別に隠している話でもないのだから。

 ただ、少しだけ。思い出すと、夏樹の気持ちが沈むというだけで。


「……残念だけど、まだ」


 首を横に振り、正直に答えた。


「そういえば、あいつも理貴と同じフルートだったもんな。……目を覚ましてたら、冬樹にフルート教われたのになあ、理貴」

「あーうん。……そうだな。いや、フルートやってると時々考えちまうっていうか。だって夏樹によく似てるんだろ、弟君。フルートやってる夏樹、って想像つかないからさ。俺の中ではすっかりトロンボーンになっちまってるし」

「まあなあ。俺も木管楽器はやろうと思わないしなー」


 なるべく明るい調子で言う。理貴にも、皆にも、あまり気を使わせたくなかった。

 だってもう、三年になるのだ。――夏樹の双子の弟である、萬屋冬樹よろずやふゆきが。交通事故で、昏睡状態に陥ったのは。 


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