その日は高田さんの家に泊まる事にして、私たちはそれぞれ高田家のお手伝いに精を出す。
「藤宮、お前、実家の片付けはどうするんだ?」
夕餉を頂いている時に高田さんが聞く。
「うん、今は混乱の最中だからな。自分で片付けないとダメだろうな。」
高田さんが言う。
「何人か同隊の奴らを知っているから、声を掛けてみるよ。何人集まるか分からないけど、一人でやるよりは良いだろう。」
高田さんはとても人付き合いが上手なのだなと思う。
「ありがとう、助かるよ。」
晃さんが微笑む。そんな二人を見ていて、私は高田さんが羨ましかった。晃さんが心を許している数少ない人なのだろうと分かる。
「部屋数が少ないから、二人が同室になってしまい、申し訳無い。」
高田さんが私と晃さんに言う。晃さんはそんな高田さんに言う。
「いや、泊めて貰えるだけでも有り難いんだ。こちらこそ、急に来たのに申し訳無いな。」
部屋に布団が二組。離島では当たり前の光景だけれど、泊まる家が違うだけで胸が高鳴ってしまう。
「風呂も出来ている、入ってくれ。」
高田さんがそう言って部屋を出て行く。
「風呂…に入って来る。」
晃さんがそう言う。私は少し恥ずかしく思いながらも返事をする。
「はい。」
晃さんが出て行って、部屋に一人になる。本土へ来て、初めて見る事ばかりだった。空襲の恐ろしさを間近で感じた。離島に居る事で免れた事を考えると本当に幸運だったのだ。戦闘機から一発でも爆弾が落とされていたら、島も無事では無かったのだから。戦争とは酷なものだと頭では分かっていた。父も兄も戦死して、骨さえ帰って来なかったから。でも島での生活自体は変わらない。多少、物の流通が滞るくらいで、皆、自給自足で賄っている部分が大きいからだ。私の家は昔から父の考えで家の蔵にはたくさんの物資があった。だからこそ、戦後の今でも私一人が食べるには十分過ぎる程だったのだ。これからどうなるんだろう。離島で暮らしていくとは言え、この国がどうなって行くのか不安はあった。晃さんは軍人だ。いや、今はもう退役軍人だ。でも国を憂う気持ちはあるだろう。私で支えになれるだろうか。父に守られて離島以外での生活を知らなかった世間知らずの私でも。障子が開く。晃さんが戻って来る。
「綾乃、風呂に入っておいで。」
そう言われて私は頷く。
「はい。」
人に沸かして貰ったお風呂など、久方ぶりだった。明日の朝は早起きしてお手伝いしなければ。
「お嬢さん、お着物、置いておきますね。」
高田さんのお母様がお風呂の外から声を掛けてくださる。
「ありがとうございます。」
お風呂から出て、用意されていたお着物を着る。白青色の寝巻だった。お部屋に戻る。晃さんは布団の上に座って書類を見ている。
「戻りました。」
言うと晃さんが私を見て微笑む。
「うん。」
優しい微笑み。鼓動が跳ねる。
「寝ようか。」
晃さんにそう言われて私は頷く。
「はい。」
布団に入る。晃さんが明かりを消す。別々の布団に入り、目を閉じる。虫の鳴き声がする。
「綾乃。」
呼ばれて私は目を開けて晃さんを見る。
「…そちらへ入っても良いか。」
そう言われて私は布団を被って言う。
「はい…」
衣擦れの音がして、晃さんが布団へ入って来る。胸が高鳴って苦しい。晃さんの腕が私の首の下に滑り込み、抱き寄せられる。
「何もしない、こうして眠ろう。」
温かい腕の中。守られていると感じる。逞しい人…。こんな人が私を好いてくれているなんて夢みたいだった。
翌日、高田さんが声を掛けてくれた人たちが朝から高田家に集まっていた。晃さんはそれぞれと抱擁し、無事を称え合い、そして軽く近況報告をし合う。そしてワイワイと出掛けて行く。その様子に何だか笑ってしまう。
「皆、昔馴染みなんですよ。」
高田さんのお母様が言う。
「そうなんですね。」
そしてお母様は私を見て言う。
「少しお話したいのだけれど、良い?」
高田さんのお母様とお茶を飲む。
「東堂少佐の娘さんだそうね。」
父の名前を出されて少し驚く。お母様は少し笑って言う。
「一度、お会いした事があるの。」
生きている父に会った事がある…。
「随分、昔の事だけれどね。立派な方だったと記憶しています。」
父の事を思い出す。私の前では少しも仕事の話をしなかった父。いつも優しく、時に厳しく、高潔な人だった。
「私はね、息子が無事でいてくれて良かったと思っているの。こんな事を言ってはいけないと分かっていても、やっぱり息子はかけがえのない宝物だから。」
ふと、仏壇の写真に目が留まる。そんな私を見て高田さんのお母様が言う。
「あの人は私の主人です。息子の父親。戦争で亡くなりました。」
やっぱり戦争で亡くされているのだと思うとやり切れない。写真に写るその人は立派な軍服を着ている。
「軍人さんなのですか?」
聞くとお母様が微笑む。
「えぇ、第五大隊の中尉でした。」
お母様は少し笑って言う。
「戦争の最中はそれはもう誇らしかったのですけれど、終わってしまえば、命がある事の方が価値があるのだと、そう思っています。」
そして私を見て言う。
「藤宮さんはお父様が大将をなさっていた方です。きっと心にも大きな傷を抱えていると思っていました。一時期、行方不明になってしまって本当に心配していたの。」
行方不明だった間、彼はずっと離島に居たのだ。彼は自分から話したりはしなかったけれど、きっと絶望して、心が死んで、自分の命を捨てようとしたのだろうと思っている。
「だから元気な姿を見て安心しました。そしてあなたのような素晴らしいお嬢さんを連れて現れるなんて。」
お母様は朗らかに微笑む。
「藤宮さんをお願いしますね。あなたが彼の支えになっているの。彼の親御さんの代わりに、私からお願いします。」
そう言ってお母様が頭を下げる。
「そんな、止めてください。」
お母様は頭を上げて言う。
「うちの息子もあなたのような素晴らしいお嬢さんに見初められたいわ。」
そう言ってクスクス笑う。素敵な方だなと思った。愛情深くて、優しい方だ。
その後、二日間ほど、高田家にお世話になった。晃さんの実家の解体が済んで、目途が立ったらしい。
「今は混乱している時期だから、土地なんかはそのままにしておく方が良いと言われたよ。」
晃さんが荷物を整理しながら言う。整理している荷物は晃さんたちが晃さんの実家から引き揚げてきたものだ。何枚かの服、小さな小物たち。晃さんが私に何かの包みを渡してくれる。
「これは…?」
聞くと晃さんが言う。
「実家の箪笥の奥にしまわれていて、無傷で残っていた反物だ。」
反物…そう言われて包みを開ける。桜色の反物が一反、鶯色の幅広の反物が一反、入っている。
「キレイ…」
言うと晃さんが少し笑って言う。
「これで着物でも誂えよう。」
晃さんが桜色の反物を取り出して、少しだけ伸ばし、伸ばした部分を私にあてがう。
「うん、似合いそうだ。」
そう言われて恥ずかしくて俯く。
「良いのですか?これは大事な遺品なのでは?」
聞くと晃さんが反物を戻しながら言う。
「使わずに取っておいても箪笥の肥やしになるだけだ。それよりも誂えて着てやった方が反物も喜ぶだろう。」
そして私に手を伸ばして、頬に触れる。
「俺にはもう何も無い。親も家も。土地もそのうちに手離す。そうしたら本当に何も無いんだ。そんな俺と一緒になってくれる綾乃に何もしてやれない。」
私は晃さんに手に触れて言う。
「何も無くても、あなたが居てくれます。晃さんが居てくれれば、私はそれで。」
晃さんが私を抱き寄せる。
離島に戻って来た私たちは、晃さんの戸籍を役所に提出し、そのまま婚姻届も書いた。家に戻り、また日常が戻って来る。私は彼がどこかに行ってしまうかもしれないという不安が無くなった。婚姻を結び、晴れて私は晃さんのお嫁さんになったのだ。
「綾乃、おいで。」
晃さんが手を差し出す。その手を取って歩き出す。今日は本土に来ていた。本土は復興が進み、今では建物が並び、町は賑わっている。晃さんは鶯色の着物がとても良く似合っていた。どこかの御曹司のようにも見える。
「着物、良く似合っているな。」
晃さんに言われて私は頬を染める。私が着ているのは桜色の着物。あの日、晃さんが半壊のご実家から引き揚げて来たものだ。晃さんに連れられ、とある建物に入る。
「こちらです。」
そう言われて出されたのは晃さんと揃いの指輪。今日はこの為に本土に来たのだ。晃さんは指輪を取ると、私の左手の薬指にそれを収める。
「サイズは大丈夫か。」
聞かれて私は頷く。
「はい。」
そしておずおずと指輪に手を伸ばし、大きめの指輪を晃さんの左手薬指に収める。
「うん、良いな。」
キラキラと銀色の指輪が互いの薬指で光っている。