「綾乃、薪割り終わったよ。」
晃さんにそう言われて私は晃さんに微笑む。
「ありがとうございます。」
朝餉の支度をしながら、私はこの幸せを噛み締めていた。晃さんは汗を拭きながら部屋に入って来る。食事をテーブルに並べる。
晃さんの体はようやく全快したようだった。毎日、朝起きると体操をし、薪割りをしてくれる。私は晃さんが割ってくれた薪で食事の支度をする、そんな毎日だ。今日もそんな日だった。
朝餉を食べていると、晃さんが不意に言う。
「綾乃、俺、一度、本土に戻ろうと思う。」
そう言われて鼓動が跳ねる。視線を下げて目の前の朝餉を見つめる。
「…そうですか。」
それが何を意味するのか、私には分からない。
「本土に戻る時、綾乃も一緒に来てくれないか。」
そう言われて私は顔を上げる。晃さんは少し微笑んで言う。
「本土は空襲を受けて、見るも無残な状態だ。そこに居る人たちは立ち上がって再建しているかもしれないし、絶望に打ちひしがれて、何も変わっていないかもしれない。行ってみないと分からないが、一度、本土に行って、俺も自身の身の回りの事を片付けたいと思っている。」
私も一緒に本土に行く…。本土に行った事が無い訳では無い。昔は父や兄と一緒に幾度か出掛けた事がある。
「晃さんのご実家は無事なのですか?」
聞くと晃さんは苦笑いする。
「空襲で何もかも焼けてしまった人からしたら、無事と言っても良いだろうな。しかし、半壊状態だった。治安も悪かったし、家の物はもう何者かに荒らされているかもしれない。」
ここが離島で良かったと、そう思った。
「片付けをして、戸籍なんかも全て、こちらへ移そうと思っているんだが…」
晃さんの頬が染まる。
「こちらに移しても良いだろうか。」
そう聞かれて私は恥ずかしくて俯いて頷く。
「はい…」
それからすぐに本土行きの船に乗って、本土へ向かった。本土は焼け野原という言葉が的確な状態だった。人々はそれぞれ再建に動く者、焦燥している者、絶望している者、たくさんの人たちが居た。身綺麗にしていると危ないからと晃さんには言われていた。晃さんは私の手を取って歩く。
高台の丘の上に晃さんの実家があった。建物は半壊状態だった。晃さんが中に入って行く。
「気を付けて、色々散らかっているから。」
晃さんはそう言って私に手を差し出してくれる。自分の生まれ育った家がこんな状態だなんて、きっと心が痛むに違いない。晃さんは家の中にあった壊れかけの家具の中から、何かを探している。
「…あった。」
晃さんはそう言ってしゃがみ込む。晃さんの後ろに立って、晃さんを覗き込む。晃さんの足元には小さな金庫があった。
「開くと良いけど。」
そう言って晃さんはダイヤル式の鍵を回す。カチカチと音がしてダイヤルが回る。こんな半壊状態でも金庫はしっかりとしていた。カチャと音がして小さな金庫の扉が開く。晃さんは金庫の中から書類の束を取り出す。一枚一枚、それを確認しては私にそれを渡す。
「綾乃も目を通してくれるかい?」
そう言われて私は書類を見る。この家の権利書、土地の権利書、軍関連の書類、そして写真が何枚か。持って来ていたカバンにそれをしまう。晃さんが立ち上がる。手には何かを持っている。
「これは母が残してくれた物だ。」
そう言って差し出されたのは小さな箱。開くとそこにはいくつかの宝飾品が入っていた。
「金庫に入れておくぐらいだから、大事な物だったんだろうな。俺には分からないが。」
ネックレスに指輪、ブローチ…。どれも控えめで上品な印象のする宝飾品だった。きっと晃さんのお母様は上品な方だったのだろうと思った。
半壊の家から出た時、声を掛けられる。
「藤宮?」
そう声のする方を見る。そこには晃さんと同い年くらいの青年が立っている。
「藤宮だろ?」
その青年は私たちに近付いて来る。
「高田…」
晃さんが言う。彼と晃さんが抱き合う。
「どこ行ってたんだよ、お前。」
高田さんはそう言って晃さんを見る。
「あぁ、ちょっと本土から離れていたんだ。」
晃さんが言う。
「とにかく元気そうで良かった…」
高田さんはそう言ってようやく、私の存在に気付く。
「藤宮、この人は?」
晃さんは私の背中に手を添えて言う。
「婚約者だ。」
婚約者と言われて恥ずかしくて俯く。
「婚約者?!お前、いつの間に…!」
高田さんは笑って晃さんを小突く。
「はじめまして、俺、藤宮と同隊だった高田と言います。」
私は一礼して言う。
「東堂綾乃と申します。」
言うと高田さんが少し驚く。
「東堂…?もしかして、第三大隊の東堂少佐の…?」
そう言われて私は曖昧に笑う。
「ごめんなさい、私、父の仕事の事は分からなくて。」
高田さんは晃さんに言う。
「お前、知ってたのか?」
晃さんは笑って言う。
「いや、知らなかった。」
そのまま高田さんの誘いで高田さんの家に行く。
「急にお邪魔しても良かったんですか?」
晃さんに聞くと晃さんが笑う。
「良いんだよ、コイツは一度言うと聞かないから。」
晃さんの笑顔はとても素敵だった。きっと良い仲間だったのだと分かる。高田さんの家は空襲を免れ、家の体裁を保っていた。
「中に入ってくれ。」
高田さんにそう言われて中に入る。
「母さん!藤宮だ!」
高田さんは大きな声でそう言う。奥から優しそうな女性が出て来る。
「あらあら、藤宮さん。」
晃さんは礼儀正しくお辞儀する。
「お無沙汰しております。」
女性は柔らかく笑って言う。
「お家が半壊状態だったから、心配しておりました。お元気そうで…良かった…」
女性が涙ぐむ。
高田さんの家は温かく、戦後とは思えないくらい整っていた。
「戦争のゴタゴタで、俺は除隊になった。除隊・退役者の中にお前の名もあったぞ。」
そう言って高田さんは一枚の紙を晃さんに渡す。晃さんはそれを見て、少しほっとしたようだった。
「今日、軍部に行って来ようと思っていたところだ。一度、軍部に行って、挨拶くらいはしておかないといけないからな。」
高田さんはドカッと座り、にっこり笑う。
「今後の事を色々決めないといけないもんな。」
そう言えば晃さんの家の事などは聞いた事が無かった。でも家があの状態でご家族も亡くなっているとするなら、文字通りゼロからのスタートになるのだろう。
「藤宮、お前、これからどうするんだ?」
高田さんが聞く。晃さんは私を見て微笑み、言う。
「俺は綾乃とここを離れるよ。」
高田さんが私を見る。
「確か、東堂少佐は離島のご出身だと聞きましたが。」
晃さんが少し驚いて高田さんに言う。
「お前、良く知っているな。」
高田さんが笑う。
「藤宮が知らないだけだろう?お前は生粋の軍人だからな。」
そこで先程の女性がお茶を運んで来てくれた。
「ありがとうございます。」
言うと女性は微笑んで言う。
「こんなものしか出せませんけど。」
今は戦後、何もかもを失くしている人も多い。お茶が出て来るだけでも有り難い事だ。お茶を一口頂く。
「それで、藤宮は離島に?」
聞かれて晃さんが微笑んで言う。
「あぁ、綾乃の生家がある。離島は空襲を受けていないから、本土よりも治安も良いし、何よりも物が揃っている。」
半壊した晃さんのご実家を思う。それが私の事だったらと思うと身がすくむ思いだ。
「今日は戸籍なんかも移してしまおうと思って、本土に来たんだ。実家の片付けの手配もしなくてはいけない。」
高田さんが少し笑う。
「一日で済む量じゃないな。良かったらうちに泊まって行けよ。うちは幸運にも物は揃っているし、今は町に宿も無いだろうからな。」
高田さんのご厚意に甘える事にした。晃さんが言う。
「これから軍部に行く。終戦後に行くのはこれが初めてだから、もしかしたら聴取なんかもあるかもしれない。ここに残って待っていてくれるか?」
私は聴取と聞いて少し怖くなる。
「分かりました。」
晃さんは私を見て微笑む。
「私は少尉だったが、隊を引き連れて戦争に参加はしなかったんだ。だから大丈夫だろう。今は軍部もそのほとんどが解体されているだろうからな。」
敗戦国…その影響がどこまで私たちに及ぶのだろう。晃さんも私も戦争で家族を亡くし、晃さんは家も失くしたというのに。
高田家のお手伝いをしながら、私は晃さんの帰りを待った。家の周りの片付けをしながら高田さんが言う。
「すぐに戻りますよ。大丈夫。俺たちが居た隊は上官たちとは天と地ほど差があります。軍人という理由だけで罪には問えない筈。俺もそうでしたし。」
そう慰めるように言われて私は力なく微笑む。本当は不安で仕方なかった。このまま晃さんが何らかの罪に問われ、捕らえられてしまったら?不安を押し殺して私はお手伝いに精を出す。
その日の夕刻になって晃さんが戻って来た。
「おかえりなさいませ。」
そう言うと晃さんが微笑む。
「うん、ただいま。」
晃さんの微笑みを見てホッとする。高田さんが晃さんの肩を抱く。
「遅かったじゃないか。」
言うと晃さんが言う。
「あぁ、簡単な聴取があると言われてな。色々聞かれたが分からない事が多くて、それで聴取が長引いたんだ。」
そして私に一枚の紙を出す。
「戸籍だ。今は混乱していて手続き出来ないと言われたが、戸籍だけ貰って来た。それを離島の役所に出せば、戸籍が移る。」
晃さんは私にそれを渡す。
「持っていて欲しい。」
そう言われて私はそれを受け取る。
「はい。」
高田さんが少し笑って晃さんを小突く。
「何だよ、アツアツだな!」