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第4話ー近付く距離ー

翌朝、目覚めると部屋の奥からカタコトと音がしていた。朝食の準備を彼女がしているのだろう。体を起こすと体が軽かった。動ける。ゆっくりと立ち上がってみる。大丈夫だ。背伸びをして息を思いきり吸い込み吐く。少しフラッとする。まだ体は万全では無いのか。それでも昨日よりはかなり良くなっていた。そのままそこへ座る。ふと心地良い風が入って来る。


襖が開き、彼女が盆を持って入って来る。

「おはようございます。」

彼女にそう言われて俺は挨拶する。

「おはよう。」

近付いて来た彼女にどこか違和感があった。

「もうお体、動かせるんですね。」

彼女を良く見る。どこに違和感があるんだ?彼女の顔を良く見ると目が赤い事に気付く。殴られたところはそれ程、酷くはなっていない。椀を差し出してくれた彼女の手にわざと触れて聞く。

「目が赤いようだが、何かあったのか?」

彼女は驚いた顔をし、俯く。

「いえ、何でもありません、寝つきが悪かったのか、良く眠れなかったので、そのせいでしょうか。」

寂しそうに微笑む彼女を見て、胸が締め付けられる。半粥を食べながら思い付いた事を言ってみる。

「少しなら体も動かせるようになったし、これから少しずつ体を鍛錬していこうと思う。」

椀の中の粥を見つめる。

「だから食事は一緒にしよう。」

そう言って彼女を見る。彼女は少し驚いた顔をしている。苦笑いしながら言う。

「いや、ちゃんと食事を摂っているのか、心配でな。」

粥を口に運びつつ、彼女の細い腕を見る。

「いつも俺の世話をさせてしまって、食事の間も俺の傍に居てくれるだろう?」

言うと彼女がふわっと笑う。

「食事は摂っていますよ、それに、」

彼女がそこで言葉を区切る。彼女を見る。

「誰かのお世話をしていると、私にも生きている意味があるんだなって思えるんです…」

そう言われて彼女の家族が皆、亡くなった事を思い出した。彼女も自分の中の喪失感を埋めようとしているのだなと思う。

「俺も生きている意味を探していたように思うよ。特に家族が亡くなってからはずっと。」

目頭が熱くなるのを感じて、顔を顰める。そして無理に笑って言う。

「お互いに世話をしたりされたりして、俺たちは失くしたものを埋めようとしているんだな…」

彼女も涙ぐんでいる。俺は椀を傍らに置いて、彼女に手を差し出す。

「おいで。」

そう言って彼女を引き寄せる。彼女が俺の腕の中に倒れ込んで来る。彼女を受け止め抱き締める。

「しばらくは世話になるよ、綾乃がそう望むなら。」

傷の舐め合いかもしれない。互いに失ったものが大き過ぎて受け止められていないのだ。それでもいい、今は互いに互いが必要なんだと思った。


その日の昼からは隣の部屋に移動して食事をするようになった。彼女に頼んで家の中を案内してもらった。玄関を入ってすぐが食事の出来る部屋、その奥が台所、その脇にお風呂場、お風呂場の横が彼女の部屋、その向かいに俺の居る部屋、台所の勝手口から外に出ると右側に大きな蔵、今はそこに貯蔵出来る食べ物がある。敷地の外に出るとそこには小川が流れていて、川魚が打ち上るように竹板が仕掛けてある。家の周りはグルっと一周出来る程に敷地があり、俺の居る部屋と玄関側には庭がある。俺の居る部屋からは海が見え、俺はどうやらそこに流れ着いたようだった。近所の家とは少し離れていて、それ程、密な付き合いは今は出来ていないらしい。立派な家だった。俺は体力回復の為に家の敷地内をゆっくり歩く事から始めた。


彼女が忙しそうにしている中で、苦戦していたのが薪割りだった。

「どれ、俺がやろう。」

薪割りなど久々だった。体力は全快していないが、彼女よりも力はあった。休み休み薪を割る。体を動かすのは気持が良かった。


その日からお風呂にも入るようになった。久しぶりのお風呂は気持が良かった。夕涼みで風呂上がりの彼女と浜に出たりもした。少しずつ体が動かせるようになり、まるでずっと前から一緒に住んでいるかのような生活だった。


彼は日増しにどんどん体力を回復させていった。朝から鍛錬の為に木刀を振ったり、薪割りをしてくれた。近所の家に行き、物々交換の時には重い物を率先して運んでくれた。彼の事は遠縁の人と紹介した。彼が歩けるようになるまでの間、誰とも会わなかったのは幸運だった。

「あの男の所にも行ってみようか。」

彼がそう言うので集落の外れまで行ってみたけれど、あの男の家には誰も居ないようだった。近所の人が出て来て言うには、何日か前に出て行ったという。

「何だか慌てて出て行ったわよ。こんな所に住んで居られるか!って。」

近所の人は苦笑いしながら言う。

「厄介者が居なくなって安心したわよ。」


「とりあえずしばらくの間は安心だな。」

帰り道、並んで歩きながら彼が言う。

「そうですね。」

いつの間にか彼は集落の外れまで歩いて行けるようになっていた。薪割りや木刀を振る鍛錬も欠かさない。もう少ししたら体力も完全に回復するだろう。完全に回復したら彼とはもうこんなふうに歩く事は無いかもしれない。

「綾乃。」

不意に呼ばれて彼を見る。彼は少し笑って言う。

「ちょっと先に帰っていてくれるか?俺はもう少し歩いてみるよ。」


家に戻り、食事の支度をする。この離島自体はそこまで大きくない。迷う程の複雑な造りでも無い。だから彼はちゃんと帰って来るだろう。この家の勝手口から出て川を渡って少し行ったところに高台がある。そこからの眺めは最高だった。今度、彼を誘ってみよう。今ならもう高台へ登る道もすんなり行けるだろう。そんな事を考えながら夕飯の支度をする。玄関の戸を開ける音がした。彼が帰って来たのだ。私は台所から玄関へ向かう。

「お帰りなさい。」

そう言った私の目の前が花でいっぱいになる。

「え?」

驚いていると彼が笑って言う。

「ご近所の方の庭に咲いていた花を、お願いして少し分けて貰ったんだ。」

彼はほんの少し赤くなりながら言う。

「綾乃に。」

花を受け取る。今まで生きて来て花を貰ったのはこれが初めてだった。

「ありがとうございます…」

彼が近所の人に花を譲ってくれるように頼むなんて、そんな事をするとは思っていなかった。

「いつも世話になっているからな、こんな事で恩を返せたとは思っていないが、こんな事くらいしか今は出来ないから。」

嬉しくて涙が溢れて来る。そんな私を見て彼が少し笑って言う。

「何故、泣くんだ。」

ホロホロと涙が零れる。

「嬉しくて…」

すると彼は微笑んだまま私の頭をポンポンと撫で、そのまま私を抱き寄せる。彼にほんの少し強引に抱き寄せられて、幸せだった。


腕の中の彼女を愛しく思う。彼女を喜ばせたくて、花なんて貰って来てしまった。嬉し涙を零す彼女を抱き締めながら、他に何をしてやれるだろうかと考える。


徐々に体力が戻って来るのを感じていた。もう歩いていてもふらついたりはしない。その日は朝からどんよりと曇っていた。

「台風が来るかもしれないですね。」

彼女が少し不安そうに言う。

「備えは大丈夫か?」

聞くと彼女は微笑んで頷く。

「雨が降り出したら雨戸を閉めれば、何とか。この家は土台が隣近所よりも上げてあるので、床上まで水が来た事はとりあえず今までありませんし…」

そこまで言って彼女が言い淀む。

「ん?」

聞くと彼女が苦笑いして言う。

「いえ、ただちょっと雨風が酷いと不安で。」

そう言う彼女が可愛く思えた。


雨と風がどんどん酷くなる。早めに雨戸を閉める。夕方には停電になり、薄暗い部屋にロウソクが灯った。ロウソクの火で明かりを取りながら食事をした。裏の川の水の音が大きい。



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