リオンはその後、憲兵たちに囲まれながら王城の方へと向かっていた。
その間、彼にはほとんど自由はなかった。連行されているといってもいいくらいだ。
リオンが不安な顔を向けると、隣りにいる年配の憲兵が彼のようすに気づいたようだ。
「ああそうだ。名乗るのを忘れていたね。私はライデン。ここにいる憲兵たちの上官だよ」
「ライデンさん」おそるおそるリオンがたずねる。「ぼくたちは今、さっき言われた場所に向かっているんですか?」
「ああ、それはまたあとだ。その前に、ちょっと寄るところがあってね。君にも来てほしいんだよ」
「はい……」
言われるがままに連行されていると、案内された場所は王城だった。
王城の入口は、その壮麗な外観とは対照的に冷たい雰囲気があった。このような状況だ。気分の問題かもしれない。
正門は巨大な石造りのアーチを形成しており、そこを通り抜けると、まっすぐに伸びた大理石の廊下が続いている。
どこに連れて行かれるのだろう。不安な気持ちになりながら言われるがままに従っていると、やがて彼らは城の地下へと歩みを進めていった。
「ここって……」
その場所は、どう見ても地下牢だった。
リオンの心臓は不安から早鐘のように打ち始める。
「ここにぼくを連れてきたってことは、やっぱりぼくは牢屋に……」
そうつぶやくと、上官のライデンは返事をせず「ははは」と笑って、そのまま歩き続けた。
地下牢は、地上とは異なる雰囲気に満ちていた。
薄暗く冷ややかな石壁には湿気がまとわりつき、かすかにカビの匂いが漂っている。
足を進めるにつれて道は徐々に狭くなり、明かりも少なくなっていく。足音が石で出来た床に反響し、不気味に響きわたる。
やがて一同は鉄格子で閉ざされた一室の前で立ち止まり、憲兵のひとりが南京錠に鍵を差し込むと、静かに錠が解かれた。
「出ろ」憲兵のひとりが言い放った。
「しゃ、釈放か?」錆びついた牢の中に閉じ込められていた小汚い男が、驚いた様子で口から泡を飛ばす。
男は立ち上がったが、すぐにロープで後ろ手に縛られ、動きを封じられてしまった。
「歩け」
男はなにかを察したように顔を真っ青にした。
「いやだ! 死にたくねぇ!」
男は必死に抵抗したが、憲兵に無理やり引きずられていく。
案内されるままリオンは彼らについていくと、やがてたどりついた場所は、少しだけ開けた場所。
そこは、処刑場だった。
男は押さえつけられるようにして処刑台に置かれた木の椅子に無理やり座らされていた。
リオンは彼が取り乱すのを見ていられなくて、思わず目をそらしてしまった。
「頼む、殺さないでくれ……何でもするから……」
男は縛られた手をわずかに震わせながら、懇願するように声を絞り出す。しかし、憲兵たちはそれに対し沈黙で返すだけだった。
次に見たとき、男は頭から袋を被せられていた。恐怖と絶望の入り混じった呻き声が、袋の中から漏れている。
処刑場には、ひとりの男が立っていた。
「私は拷問医ドトロフ。お初にお目にかかります」
ワンテンポ遅れて、リオンは彼が自分に対して挨拶をしたのだと気づいた。慌てて返事をする。
「どうも……ぼくはリオンです」
「リオン。いい名ですな。勇敢そうだ」と彼は答えた。
彼は細身の神経質そうな紳士といった風貌で、その目には好奇心の輝きがあった。
しかし、丸眼鏡の奥にある瞳はまるで実験材料を見つめるかのように冷たい。細い指先には手術用と思わしきハサミが握られている。
「今、拷問医って言いました?」
「はい」
「お医者さんが拷問を……?」
「さよう。拷問とは繊細なものです」
彼は語りだした。
「私は医者として、人間の身体を知り尽くしている。
骨、筋肉、神経、血管——そのすべてが、どのように機能し、どのように壊れるのか、たくさん勉強してきたのです。痛みとは何か、苦しみとは何か、人体がどんなときにどのような反応を引き起こすのか、医者はすべてを知っている。だからこそ、拷問官として最も適しているのは医者なのです。
拷問は、単なる暴力ではない。
無意味に苦しませるのは、品位に欠ける愚かな行為だ。
重要なのは、相手が何を恐れ、どこまで耐えられるかを見極めること。適切な方法を用いれば、最小限の損傷で最大の苦痛を与えることができる。逆に、適切でない方法を用いれば、その人をいたずらに苦しめるだけで終わってしまう」
「……これから、彼に拷問を?」
「それも素敵な提案だが」とドトロフは眼鏡の奥にある切れ長の目を光らせた。「今日は実験を行いましょう。リオンくんのスキルを見せてもらいたいのです。医者の立場として、とても興味があります」
「えっ……」
「彼は死刑囚でね。どのみち死の運命にある、けちな男だ」
リオンは彼の言葉に戸惑い、周囲を見回した。複数の憲兵たちはその場で沈黙を貫いている。リオンの動揺に気がついて、ライデンが声をかけた。
「リオンくん、君は罪を犯したわけではない」と彼はリオンの目をまっすぐ見ていった。「しかし、君が持つ力は危険だ。我々はその力を管理し、君自身を保護する必要があると考えている」
ライデンの声は冷静でありながら、どこか重苦しい響きがある。
「それに、君にとっても、自分のスキルがどのようなものか理解しておくのはいいことだと思う。そうしなければ、冒険者ギルドで意図せず人を殺めてしまったようにまた悲しい出来事が起きてしまうかもしれない。違うかい?」
「確かに……そのとおりです」
リオンはギルドで粗野な男に絡まれ、思わずスキルを発動して彼を死に追いやってしまったときのことを思い出した。彼には悪いことをしたと思う。そして、自分のスキルのことがよくわからなければ、今度は大切な人の命を奪ってしまうかもしれない。
「話は終わりましたかな?」と拷問医ドトロフはにこやかに言った。「さあ、遠慮はいらない。彼にスキルを打ってみせてくれ」
彼の指し示す先には、処刑台の椅子に座らされた男の姿があった。彼の恐怖は遠くからでも痛いほど伝わってきた。かぶせられた革袋の下では、呼吸が粗くなっているのだろう。肩が上下に激しく揺れ動いている。彼は失禁していた。
「や……やっぱりできません」
「いいや、君にはできるはずだ」ドトロフは細長い指でリオンの肩を抱いて、耳元でささやくように語りかける。そして、リオンのポケットに手を入れて冒険者カードを取り出して一緒に眺めた。「ほら、冒険者カードにもはっきりスキルの名前が書いてあるじゃないか。素晴らしいスキルだ。君にはできる。君には眼の前の彼の脳天を割ることが、必ずできるんだ。さあ、勇気を出して。心臓の鼓動に、呼吸をあわせるんだ。君の素晴らしい力を見せてごらん」
脳天割り。
これがリオンのスキルだ。
彼の言うことも一理ある。
自分のスキルの特性や使い方、発動条件を知らずにこのまま過ごしていたら、どこかで暴発してしまう危険だってある。
眼の前にいる男はまだ生きている。でも、いずれ死刑になる運命にあるという。
それなら……。
斧なら生まれ育った村で毎日のように使っていた。
だから、感触や重さ、重心、手のグリップなど、実際に手にしていなくても鮮明に思い浮かべることができる。
目を瞑り、斧を使って眼の前の男の頭を割るところをイメージした。
すると、その瞬間カン高い音がその空間に響いた。
思わず顔をあげる。
男の頭にかぶせられた布袋が血で滲んでいた。どくどくと赤黒い血が流れ、袋を汚していく。そして、男はぶるんぶるんとしばらくの間大きく震えたあと、がっくりと頭を落とした。その後も、ぴくぴくと小さな痙攣を繰り返している。
「おほっ! これはすごい!! お前たち、み、みたか!?」拷問医ドトロフは、声を裏返らせ、興奮したようすで憲兵たちに詰め寄った。
憲兵たちは心なしか嫌そうにしていた。
「あの男とリオンくんとの距離は、軽く数メートルは離れている。つまり、最低でも射程は数メートル以上あるということ。しかも狙いはこの上なく正確だ」
ドトロフは興奮したようすで今ここで起こったことを次々に分析していく。そのさまはさながらマッドサイエンティストのようだ。
「さらに」
彼はにこやかな笑顔で死刑囚の男に駆け寄り、かぶせられた血だらけの布袋をとった。憲兵たちの中には思わず顔をそむけるものもいた。
「実験のため、一応この男には王国の兵たちに支給される兜をかぶせておいた。兜の材質は鉄。にもかかわらずだ。兜ごと頭が割れている。それだけではない」
彼は興味深そうに血液が吹き出し続ける男の傷口を観察し、手でその周囲をなぞりながら続ける。
「この裂け目……傷口は軽く脳梁にまで達し、左右に綺麗に分かれている。まるで、ものすごい勢いで投てきされた斧の刃が一瞬で深く突き刺さったみたいだ。斧が頭蓋骨を貫いた瞬間の圧力と、それに対する骨の反応が手に取るようにわかるじゃないか。見た目は凄惨だが、芸術的と言ってもいい。彼は自分が死んだことにさえ気づいていないぞ。これ以上ないくらい尊厳に満ちた、慈悲ぶかい死だ。本当にすごい。本物のチートスキルだ!」
ドトロフがよく通る声でそうまくしたてると、近くにいる憲兵たちが気持ち悪そうな顔でうんざりしながら「勘弁してくれよ……」とぼやく声が聞こえた。
リオンもまた、これまで異質な空間で感覚が麻痺していたが、急に気分が悪くなってきて、思わず朝食べたものを吐き出してしまった。
「だ、大丈夫ですか?」
近くに気遣ってくれる兵がいたが、彼はそれでもあまり近づきすぎることはなく一定の距離をとっている。リオンのことを警戒しているのだ。自分も殺されてしまうかもしれないと。
「え、ええ。大丈夫です。ありがとうございます……」リオンは真っ青になった顔をあげると、やっとの思いでそう答えた。
ドトロフはにこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。
完全に目が逝っていた。
「さあ、それでは次の実験をしようか。メニューは色々考えてあるのでね」
†
それから数時間後。
リオンを乗せた馬車はゆっくりと進み、王国の城壁を出て開けた土地へと向かっていた。
「大丈夫かい?」隣に座るライデンが、リオンに心配そうな顔を向ける。
あれから色々なことをやらされた。
そのたび、あの拷問医はテンションの振り切れた麻薬中毒者の子どものように手を叩いて喜んだ。
何度吐いたかわからない。胃の中はすっかり空っぽになってしまったが、それでも胆汁だけを吐き続けた。
しかし、そのおかげで自分のスキルをある程度把握できた。
射程は10メートル以上。
虫など小さなものであってもスキルは有効。しかし、生き物しか対象に取ることができない。
同時に複数の的を狙うこともできる。
動き回る対象であっても、兜などで頭部が守られていても関係ない。
念じるだけで100%相手の脳天を割ることができる。少なくとも、実験の中では。
「正直、驚いたよ。君のスキルがここまでのものだとは……」ライデンが額の汗を拭いながらそうつぶやいた。
「ぼくも驚きましたよ」リオンは力なく言う。
「ああ、そうだ。これは報酬だよ」
彼は懐から革袋を出して、リオンに握らせた。
ずっしりと重い。
こんな大金、今まで手にしたこともない。
「そんな……受け取れませんよ」リオンは青白い顔をしてもらった金を返そうとする。
「いいや、君は受け取るべきだ」とライデンは言った。「君はあの短時間で、10人以上の死刑囚を殺した。つまり、処刑人の代わりに仕事をこなしたんだ。それに、その他にも色々な実験に付き合ってくれた。これは君が受け取るべき正当な報酬だよ」
「そういうことなら……うっぷ」
実験と称して次々に人殺しをさせられたときのことを思い出し、腹の底からこみあげてくる胆汁を必死に飲み込んだ。
リオンは受け取った革袋から銀貨を数枚だけ取り出してズボンのポケットにしまうと、残りをライデンに渡す。
ライデンは、不思議そうな顔をしてそれを手に取る。
「チートスキル管理地区でしたっけ。そこに行ったら、もう自由に外には出られないんでしょう?」リオンがたずねた。
「まったく出られないってことはないが、その都度許可を取る必要はあるな。とりあえず形だけではあるが……」
「形だけ……。つまり、許可されていなくても、出たいってわがままを言えばぼくを止められる人はいないってことですか?」
「そういうことだ。だから、私たちはチートスキルを持つ君たちに頭を下げてお願いすることしかできないんだよ」
「わかりました。きっとそういうことにはならないので安心してください」そういってリオンは頭を下げる。「ぼくからもお願いがあります。残りのお金を、故郷の村のぼくの家族のところに届けてもらえませんか。ぼく、冒険者になるからって言って村を飛び出してきたんです。なのにこんなことになってしまって……少しでもいいから、育ててくれた家族に恩返しがしたいんですよ」
「わかった。このお金は必ず君の家族に渡すと約束しよう」
「実験を通してわかりましたよ。ぼくみたいなとんでもないスキルの持ち主は、普通の人たちと一緒に生活しちゃいけない。その気になれば、念じるだけで周りの人を皆殺しにできてしまう……。しかも一瞬で」
「ああ……理解してもらえて助かる」
その反応に、ふっ、とリオンは青ざめた表情で自嘲気味な笑みを浮かべる。
「到着する前に、今から行く場所のことを簡単に説明しよう」ライデンは話し始めた。「まず、君がこれから行く場所には、かつて君と同じように冒険者を志していた人が数多く住んでいる。そして、そこにいる人たちは強すぎるスキル――俗にいうチートスキルを持った人ばかりだ」
「ぼくをそういう場所に閉じ込めておくのは正解だと思いますよ」
「あ、ああ」ライデンはなんだか言いづらそうにしながら続ける。「たとえば、王国の兵士300人を瞬殺できるようなスキルを持つ者がいるとする。あるいは、強固な城壁を、なんの労力もなく破壊できてしまうようなスキルを持つ者がいるとする。そうした場合、国自体が成り立たない。この国は、チートスキルなどというものが存在する前提で運営されていないんだ」
「そうでしょうね」
「国を守り維持するために最も重要なものは、武力だ」とライデンは語った。「外敵から国を守るためには、軍隊などの武力が必要だ。誰かが犯罪を犯した際にも、場合によっては武力を行使し、その人を拘束する必要がある。たとえば地下牢に閉じ込めておいたりね。しかし、はっきり言うよ。我々は君のようなチートスキル所有者に対して、ただ無防備でいることしかできない」
「……正直ですね。そういうの、わかりやすくて好きです」
「誤魔化しても仕方がないからね」言いながら、ライデンはそれでも少し渋い顔をしていた。「私の見立てでは、君は王国の兵士300人を念じるだけで瞬殺できるスキルを持ってる。それ以上かもしれない。でも、君はなにも悪くない。悪くないだけに、こんなことになって、少なくとも私個人としては、本当にすまないと思っている」
「いいですよ、別に……」
それだけ言うと、リオンは気持ち悪そうにしながら窓の外を見ていた。
しばらく進むと広大な草原が見えてきた。その先に広がっているのは、小さな集落だった。遠くからでも人の気配が感じられる。
「見えてきたね」とライデンは言った。「リオンくん。あそこが、君がこれから暮らす場所だよ」
<第三話に続く>