「よーし、今日からぼくも冒険者だ!」
王国の練兵所で戦士としての研修を終えたばかりの少年――リオンは、無邪気な笑顔を浮かべて冒険者ギルドに入っていった。
腰には武器屋で買ったばかりの安価なハンドアクスがぶら下げられている。
今日は、彼がずっと憧れていた冒険者としての第一歩を踏み出す日だ。
ギルド内では、重厚な鎧をまとった戦士や、鮮やかなローブを纏った魔法使いたちが談笑していた。どうやら仕事の依頼が張り出される掲示板の前で、冒険者同士の意見交換などをしているようだ。
その光景はリオンにとってずっと夢に描いてきた世界そのものだった。
リオンの中で、これから始まる冒険の日々への期待がどんどん高まっていく。
「ようこそ冒険者ギルドへ! 何かお手伝いしましょうか?」
目の前の光景に圧倒され、ぼんやりとその場に立っていると、カウンターの向こうにいる優しそうな受付嬢がリオンに声をかけてくれた。
彼女は肩まで伸ばした栗色の髪が印象的で、清潔感のある白い制服を着ていた。胸元にはギルドの紋章が刺繍されている。
「えっと、冒険者登録をしたいんです! これから、バリバリ冒険するぞって思って!」
リオンは目をキラキラさせながら興奮気味に宣言する。
受付嬢はニコニコと笑顔を返しながら、カウンターの下から冒険者カードの作成用紙を取り出した。
「それは素晴らしいですね! では、登録のためにカードを作成しますね。スキルの確認もありますので、少々お待ちください」
彼女は慣れた手つきで用紙に必要事項を記入し、次にリオンの手に魔法石を握らせた。その瞬間、カードに彼のスキルが表示される。
「えっと、スキルは……『脳天割り』ですか? そういえば斧を持っていますね。戦士ですか? わあ、かっこいいですね!」
受付嬢はリオンの冒険者カードを手に取ってスキルを確認すると、胸の前で手を叩いて褒めてくれた。
「えへへ。ぼくにそんなスキルがあるなんて知りませんでした!」
「あら、そうなんですか? ふふっ。頑張ってくださいね、リオンさん」
受付嬢は愛想よくニコニコと笑いながら手続きを済ませてくれた。
リオンは少し照れくさそうに頭を掻きながら彼女の褒め言葉を素直に喜んでいると、やがて彼の冒険者カードが発行された。
「やったー! ありがとうございますっ!」
リオンは胸を張って差し出されたカードを受け取った。
これでぼくも冒険者だ! まだEランクで、駆け出しだけど……!
リオンは胸を高鳴らせ、これから始まる冒険に思いを馳せた。未来に対する期待がどんどん膨らんでいく。
しかし、その高揚感は、突如背後から投げかけられた低い男の声に打ち砕かれた。
「おい、ガキ。てめえが冒険者だって? 笑わせるなよ」
リオンが怯えたような表情で声のした方を見ると、そこには筋骨隆々の大男が立っていた。その顔面には大きな古傷が刻まれており、彼が歴戦の戦士であることを想像させる。
「グラント。またこんな若い子に絡んで! 恥ずかしいと思わないの?」
受付嬢が不快そうな表情を浮かべながら、彼――グラントを激しく叱責した。
「うるせえ! おめえもおめえだ! ガキに色目使いやがってよぉ!」
グラントは不機嫌そうに怒鳴り散らす。
なんだなんだ、と周囲にいる冒険者たちもこちらに注目し始めた。
「ははは! グラントの奴、新入りのガキにお気に入りの女取られそうになって絡んでるぜ」ギルドのひとりが酒を片手に笑いながらグラントを指さす。
「うるせえ!!」
興奮するグラントの様子を見て笑い声がギルドのあちこちで響き渡るが、それは彼の怒りを増長させる結果となったようだ。
彼は力任せに近くのテーブルを力いっぱい蹴り飛ばし、周囲を威嚇した。
テーブルは派手に吹っ飛び、大きな音を立てて転倒する。リオンは思わず身を縮めた。
その後、グラントはつかつかとリオンの方へと歩いてくると、彼が手に持っている冒険者カードをちらりと見て鼻で笑った。
「一応戦士系のスキルを持っているみてぇだな。『脳天割り』なんて御大層なスキルだが、まだレベル1じゃねえか。戦士の名を語るなんざ、10年早ええよ」
リオンはその言葉に思わずたじろいでしまった。
突然の出来事に不安が広がり、胸がぎゅうっと締め付けられるような気持ちになる。
「ぼ、ぼくはただ冒険者になりたくて……」
涙が滲みそうになるのを堪えながら、リオンは必死に言い返した。
「黙れガキ! お前みたいなひ弱な奴がこのギルドにいると、他の冒険者たちの迷惑になるんだよ!」
「ひっ……!」
その言葉にリオンはさらに萎縮してしまった。
そんな中、リオンを守ろうと彼の前に立ちはだかってくれたのは先ほどのやさしい受付嬢だった。
「グラント、見苦しいですよ」と彼女が言った。「誰だって最初はレベル1からスタートです。あなただってそうだったでしょう?」
そう言うと、彼女はその場にしゃがみこんで、リオンに向かって笑顔を向けてくれた。
「ごめんなさいね。怖い思いをしたでしょう。レベル1でもできるお仕事はたくさんあります。大丈夫よ。冒険者ギルドはこんな人ばかりじゃないから」
そういって彼女はグラントをキッと睨みつける。
彼はそれが気に入らなかったようだ。鬼の形相になりながら大股でずんずんこちらに向かって歩いてくる。
「チィッ……!!」
「きゃぁっ!」
そして彼は舌打ちすると、皮の手袋に包まれた大きな手のひらで受付嬢を突き飛ばした。彼女はバランスを崩し、その場に倒れてしまった。
呆然とするリオンの前に、再びグラントの巨大な体が立ちはだかった。
彼の顔は怒りで歪んでいる。その威圧感に満ちた鬼のような形相にリオンは思わず体を硬直させてしまった。
「お前みたいな甘ちゃんを見てると反吐が出るぜ。女に守ってもらってんじゃねえぞ! ガキがァ!」
そういって彼は拳を振り上げた。
ギルド内で、この光景を眺めていた人たちが一斉に息を呑むのがわかった。
「やめてよ……!!」
リオンは思わず目を瞑った。
その瞬間、なにかパシャっと温かいものを頭から大量にかぶったのがわかった。温かくて粘度の高い、液体だ。
「うごご……あがががァ……ッ!!!」
続いてこの世のものとは思えないような男の断末魔がギルド内に響き渡く。
恐る恐る目を開けると、グラントの脳天が真っ二つに割れて中から血と脳みそが溢れ出ていた。
リオンが自分の顔にかかったぬるりとした液体を手で拭うと、大量の血液であることがわかった。間違いない。眼の前の男――グラントの血液だ。
グラントはその表情全体に驚愕が刻みつけられたまま、目と口を大きく開いて絶命していた。
その目と鼻からは大量の血液が筋になって落ちている。
そして、ぱっくりと割れた頭からはぴゅうぴゅうと血液を噴水のように吹き出しながら、彼は血溜まりの中で膝をついていた。
きっと、自分が死んだことにすら気づいていないのだろう。
やがて彼はどさりと音を立てて、前のめりに自らの垂れ流した血の池に突っ伏した。
ギルド内は一瞬、静まり返ったあと、そこにいる者たちが次々に絶叫しだした。
誰もが目の前の非日常的な光景におどろき、目を見開いていた。
リオン自身も、何が起きたのか理解できず、その場に尻もちをついたままガクガクと震えていた。
しばらく経って、誰かが叫んだ。
「このガキ……グラントを殺しやがった!!」
その声を聞いて、リオンははっと気がついたように顔をあげる。
殺した。ぼくが……。人を……?
「ち、ちがう」リオンは血に塗れた両手で思わず顔面を覆った。「ぼ、ぼくはこんなことをするつもりじゃなかった。こんなはずじゃなかったんだ……!!」
ぼくはなにもしていない!
ただ、このままじゃ殴られると思って身を守ろうと思ったらこうなってただけだ!
「グラントはどっからどうみてもテンプレの小物みたいなヤツだけど、ああみえてレベル95だぜ! 魔王の討伐に一番近い男って言われてたんだ!」
「新入りの方はレベル1だって聞いたぞ……!」
「そんな馬鹿な……レベル1がレベル95に勝てるはずがない!」
ギルド内の冒険者が次々に口にする。
「いや、待てよ……」誰かが言った。「ありえない話じゃない。聞いたことがある。
誰かがそう言うと、周囲にいる人間はなにかを思い出したように後ずさりした。
「まさかこいつ。この新入り……」
「ま、まさか……」
「「「チ……チートスキル所有者だァ!!!」」」
ギルド内で冒険者たちが一斉にそう叫ぶと、騒ぎは瞬く間に広がった。
今や、ここにいる全員がリオンに注目していた。
周囲の冒険者たちは恐怖に駆られ、次々にこちらを見ながら後ずさりする。
なにが起こったかわからず、ただただ呆然とするリオン。
彼と目があった瞬間に、なにかおぞましいものを見たように悲鳴を上げて泣き叫ぶ者もいた。
なんだ? チートスキルって……。
「こいつに近寄るな! 殺されるぞ!」
冒険者たちの中にはパニックを起こす者も数多くいたが、そんな彼らの声がますますリオンの不安を煽っていく。
彼は耳鳴りがするような感覚に襲われ、何も考えられなくなっていた。
やがて、騒ぎを聞きつけた憲兵たちが次々に入口から入ってきた。
距離を取りながら、槍や剣を構えてゆっくりとリオンを取り囲んでいく。
「おい、君……大丈夫か? と、とりあえず落ち着いて」
その中のひとり、高官らしき人物がその場に武器を捨て、両手をあげながらリオンの方に近づいてくる。敵意がないことをアピールしているのだろう。
「あ、あの……。ぼく……」リオンはかろうじて口を開いた。
「大丈夫。落ち着いて。自分の名前は言える?」
「リ、リオンです。今日、はじめて冒険者ギルドに来て、ガラの悪い先輩冒険者に絡まれて、それで……」
「事情はわかった。我々は君の味方だ。とりあえず落ち着いて。まずは深呼吸をしよう。落ち着いたらでいいから、冒険者カードを見せてもらえるかな?」
彼は、優しく語りかけてきた。
リオンは彼の言うとおり数回深呼吸をすると、徐々に心が落ち着きを取り戻していくのを感じた。
そして、すっかり血まみれになってしまった新品の冒険者カードを彼に手渡す。
「ふむ……。脳天割りか。聞いたことのないスキルだ」
そう言いながら、彼は次にグラントの方を見た。
彼の頭はぱっくりと割れて、脳みそがどろりと流れ出していた。先程まで噴水のように吹き上がっていた血液はすっかり勢いを失っている。
「大丈夫だ。君が悪いわけじゃない。これは君の持つ力が、その……少し強すぎただけなんだよ」
ありがとう、と言って彼は冒険者カードを返してくれた。
彼の態度は、リオンをなるべく刺激しないよう意識しているようにもみえた。
「ぼ……僕は……これからどうなるんですか? 人を殺したから、牢屋に入れられるとか……?」
リオンは完全に怯えきった表情で眼の前の憲兵を見つめる。
「いや……落ち着いて。大丈夫。そうはならないんだ」
「……本当ですか?」
「本当だよ。安心していいからね」
彼の目は真剣そのものだった。
リオンは少しだけ安心した。しかし、人を殺してしまったのは事実だ。
当然のことながら、罪悪感だってある。
「でも、その代わり、君はこれから我々と一緒にある場所に行ってほしいんだ」
「やっぱり……」
「ああ、勘違いしないで」と彼は言った。「そこで君は、君と同じように強力なスキルを持つ者たちと一緒に、安心して生活することができる。なんの不自由もない場所だ。だから、どうか怖がらないで。君が悪くないことは、ここにいる誰もが理解しているから。我々に協力してくれるね?」
彼の言葉がどこまで本当なのかはわからない。
でも、その穏やかな声からはなんだか温かみが感じられる。彼は信じてもいい人かもしれない。なにより、今の状況では他に選択肢がなさそうに思える。
リオンは「わかりました」とだけ言うと、うなだれながらゆっくりと立ち上がった。
周りを囲う武器を構えた憲兵たちが驚いたように一歩下がる。
眼の前の高官らしき人物はニッコリと笑い、リオンに向かって「ご協力に感謝する」と言った。
「ぼくはこれから、一体どこに連れて行かれるんですか?」リオンが質問する。
「リオンくん。きみが今から我々と一緒に行ってもらう場所、それは……」
彼はそれだけ言うと、少しのあいだ沈黙し、小さく息を吸った。
リオンは顔を上げ、声の主を見た。
そして彼は言った。
「チートスキル管理地区だ」