「陽向なら大丈夫だよ。だから落ち着いて」
結衣の声が、陽向の耳に届く。
だが今の声は、結衣のものではなく、陽向自身の声になっている。
そのことが、今、結衣になっているのは自分なんだと強く印象付けた。
「もうすぐ両親が起きるから、とにかく早く家に帰って。あたしの部屋の場所は、覚えているわよね?」
「昔の通りなら」
「前と変わっていないわ。それで、これが家の鍵。で、問題なのは、妹のことよ」
結衣には、二つ下の妹がいる。
名前は、たしか
「紬には、絶対にあたしが外に出かけていたことを知られないようにして。あたし、夜中には家に帰ったことになってるから」
友達の家でたこ焼きパーティーをして、深夜に帰宅する。
それが結衣の、家族への昨日のアリバイだった。
それなのに、こんな時間に帰ったとバレれば、どうなることか想像したくない。
「紬は朝に弱いの。きっと寝坊してくるから遭遇することはないと思う」
「わかった。ちなみにオレの家族のことは心配しなくていい。両親は仕事で家を空けてるから、今家には誰にもいない。好きにくつろいでいてくれ」
「そう、よかった」
結衣はホッと胸を撫で下ろす。
だがすぐに、心配そうな表情で陽向の顔を覗き込んできた。
「でも、本当に大丈夫? あたしのフリなんてできる?」
「あ、当たり前だろ!」
そんな不安そうな目で見つめられると、思わずドキッとしてしまう。
それが自分の顔でなければ、完璧だったのだが。
「何かあったら、スマホで連絡するよ」
「そうしましょう。朝ごはんを食べたら、ここに再集合でいい?」
「了解した」
陽向は頷きながらも、不安は消えなかった。
突然、女の子の体で一日を過ごすなんて、想像もしていなかったのだ。
「じゃあ……行ってくる」
陽向は震える手で玄関のドアノブを回した。
「気をつけてね」
結衣の励ましの言葉を背に、陽向は夜明け前の街へと一歩を踏み出した。
白野家に到着した陽向は、鍵を使って自宅内へと足を踏み入れる。
幸い、家族は誰も起きていないようだった。
記憶の中にある、結衣の家と変わらない。
懐かしいその匂い、ちょっとだけ感動してしまった。l
「たしか、部屋は2階だったな」
音を立てないように、静かに階段を上る。
一歩、また一歩と、足を動かす。
その時だった。
「お姉ちゃん?」
階段の上から、声をかけられる。
顔を上げると、パジャマ姿の少女が立っていた。
ツインテールの髪に、結衣に似た美少女。
記憶よりも成長しているけど、間違いない。
「もしかして、
「紬ちゃんって、お姉ちゃんなんか変」
──しまった。
結衣は妹のことを、『紬』と呼び捨てにしていたんだった!
つい昔のくせで、『紬ちゃん』と呼んでしまった。
「つ、紬……こんな時間に起きてるなんて、どうしたんだ……どうしたの?」
とっさに女の口調に変えながら、陽向は内心で焦っていた。
妹は朝に弱いから、寝ているって話だったのに、どうなってるんだよ!
「別にいいじゃん。というかお姉ちゃん、もしかして朝帰り……?」
「え、えっと……その……」
「はは~ん。パパとママには内緒にしておくねっ」
そう言って、紬は階段を駆け下りていった。
ホッと胸を撫で下ろしたところで、階段の下から声をかけられる。
「それで、えっちはしたの?」
「え、えっち!?」
「うん、えっち」
紬は平然とした顔で頷く。
陽向が顔を真っ赤にしていると、さらに追い打ちをかけてきた。
「今、お姉ちゃんと通り過ぎた時に、男の匂いがしたよ」
陽向の家のベッドで、横になってVRゲームをした。
結衣のために、自分の枕を貸してあげたのを思い出す。
そのせいで、結衣の髪に陽向の匂いがついたってことか!?
「お姉ちゃん、男の人と一緒にいたんでしょ。なら、それで朝帰りしたんだから、えっちもしたんでしょ?」
「そ、その……えっち、ってのは、まさか……?」
「セ〇クスのことに決まってるじゃん」
「せ、セッ……!?」
陽向の頭が真っ白になる。
そんな陽向に、紬はさらに追い打ちをかけてきた。
「お姉ちゃんっ、もう処女じゃないのか~。なんか、ちょっとショック~」
「しょ、しょ……!」
『処女』という言葉に、思わず反応してしまう。
すると紬は、不思議そうに首を傾げた。
「あれ? お姉ちゃんってもしかして……」
──やばい!
まさか、中身が結衣じゃないってバレたか!?
いやでも、まだそうと決まったわけじゃないし……!
だがそんな陽向の心配は、杞憂に終わった。
陽向がもじもじしていると、紬は楽しそうに笑う。
「冗談だよ。お姉ちゃんの顔、真っ赤」
「……勘弁してくれ」
──結衣の家族って、こんなノリなのか?
紬ちゃんがこんな性格だって、知らなかった。
子どもの頃は、天使みたいな純粋な子だったのに、いったいなぜ……。
とにかく早く元の体に戻りたい。
そう切実に思った。
「それでお姉ちゃん…………黒沢さん家に行ってたの?」
「えぇ!? そ、そうだけど……」
突然、自分の苗字を言われて、陽向は動揺する。
まさか結衣の妹から自分の話題を振られるとは思ってもいなかった。
「ふ~ん、そっか」
そう言いながら、妹は1階のキッチンへと移動する。
冷蔵庫を開けるような音がしたから、飲み物を取りに来たのだと悟った。
「はぁ、ビックリしたぁ……」
まだ結衣の家に入って、5分も経っていない。
それなのに、この疲労感。
こんなんで、上手く結衣のフリをしながら、バレずに生活できるのだろうか。
「不安だなぁ……」
だが、陽向の試練はまだまだ続く。
「なんだか急に、トレイに行きたくなってきたぞ」
陽向の家に戻るまで。我慢できそうになかった
仕方ない、結衣の部屋に行く前に、トイレに行かせてもらおう。
「トイレは、ここだったか?」
小学生の頃の記憶を頼りに、2階のトイレのドアを開く。
そして中に入り、ズボンのチャックを開けようとしたところで、違和感に気が付く。
男の時にあるべきものが、今の自分にはない。
「あ……そ、そうだった…………」
陽向は、恐る恐る自分の股間に触れる。
そして絶望した。
自分の股間にあるべきアレが、なかった。
むしろ、何もなくなっている……!
当たり前なのだが、今陽向は女になっている。
自宅で結衣と話していた時はパニックになっていたため、ここまで気が回らなかった。
そのため、今になって体の根本的な変化を実感してしまう。
「お、オレの、息子が、なくなってるー!」
尿意はすぐそこまで来ている。
男の時よりも我慢ができない気がするため、陽向はさらに焦る。
時間がない。
だが、このまま入れ替わりが直るまで我慢し続けることはできないだろう。
これは、幼馴染の結衣の体で過ごすうえで、必ず通らなければならない道なのだ。
まさか、こんなピンチが訪れるとは想像していなかった。
「いったい、どうやってすればいいんだ……?」