海の家の隅、日陰になっている場所に座りながら春樹と棗はかき氷を食べ、その傍には龍玄とハクがいる。ハクが話かけるたびに棗は軽く流していたのだが、その扱いの慣れ具合に、春樹はこれが日常なのだろうなとカキ氷を口に含む。
「そういえば、バイトってさ」
「お盆前まではお願いしたいらしい」
「うぇぇ……」
それは聞いていないと春樹が見遣れば棗は手を合わせる。その前には人手を集めておき、交代させるという約束らしいのだ。人手が見つからなくとも、春樹だけはお盆以降しなくともいいようにしておくと棗は言う。
一週間ほどこのバイトをしなければならないのかと思うとげんなりとしかけ、春樹ははっと気づいた。そうだ、兎耳をつけたままに龍玄と話していた。それに気づくと途端に恥ずかしさが増していき、この場を離れたい衝動にかられる。
「どうした、春樹?」
「な、なんでも、ない……」
「何、春樹。兎耳が恥ずかしくなったのか?」
それと棗はハクの話をスルーしながら言うと、龍玄があぁその耳かと呟いた。
「面白い見た目ではあるが、春樹に似合っていると思うぞ」
「あぁぁぁあぁぁぁ……」
爽やかな笑顔でそう言われて春樹は頬を押さえながら俯いた。そんな綺麗な顔で言われると余計に恥ずかしさがこみ上げてくる。
なんだ、このイケメンは。春樹は動揺していた、これはきっとあれだ褒められなれていないだけなのだ。
とはいえ、この姿を褒められても素直に喜べないのだが。ハクも棗の兎耳を「最高だ!」と褒めるが、あっそうと返されて撃沈していた。
「棗、扱いが雑……」
「いや、もう慣れてるから」
「こういうプレイだとわしは思っている」
どういうプレイだよと春樹は思わず突っ込みたくなったが堪えた。棗にいたっては冷めた眼差しを向けているのだが、その瞳もまたたまらないのか、ハクはいいねとテンションが上がっていた。
これは確かに面倒だなと無言でこちらを見つめてくる棗に頷く。龍玄が「しつこくては棗に嫌われるぞ」と、ハクに注意していた。
「嫌われたくはない!」
「なら少しは大人しくしてくれないかなー」
つーんとしたふうに棗が言えば、ハクはわかったとしゅんと大人しくなる。なんだ、この変わりようはと春樹は彼の様子に理解がおいつかない。
棗が好きだというのは本当なのだろう、その落ち込みようを見ていればわかる。まるで叱られた犬のように頭を下げているのだ。
棗は食べ終えたかき氷のカップを傍に置いてあったゴミ箱へと捨てる。
「好きなのはわかったよ。でも、もっと別のアプローチってもんがあるだろうが。毎日バイト先に来られたら困るんだって」
「それはだな……」
心配だったのだとハクが言えば、大丈夫だからと棗は呆れたように返す。バイトを止めた理由とは、ハクが毎日仕事先を訪れるからのようだ。それが原因なのかと棗に問えば、そうだよと疲れきった表情をみせる。
「これが毎日来るせいで、同じ仕事場の人にいろいろ噂されたんだよ。それが嫌になって辞めた」
毎日訊ねてくるハクに周囲は棗とどういう関係なのかと、こそこそ話してはあらぬ噂を立て始めたのだという。もともと同僚たちと仲が良いわけでもなかったことで標的になったのだ。
イジメとなんら変わらないそれに棗は嫌気がさして辞めた。陰口はねちねちしていて嫌だなと棗は眉を寄せる。
その意見には頷くしかない、春樹もそうだったからだ。影でも表でもあることないこと言われて、ねちねちとしつこくて、思い出すだけで吐き気がしてくる。
「もう少し考えてくれよ」
「……申し訳ない」
ハクは反省しているのか、頭を下げていた。それでも棗は「何回も言わせんな」と彼を叱っている。そんな様子にに春樹はなんとなくだが、ハクのことが嫌いというわけではないのではないだろうかと感じた。
「遊びたいならバイト終わったら、食事ぐらいしてやるから。兎に角、バイト先には来るな」
「わかった」
「何回も言ったんだけどな? 分かってる?」
春樹は何度も頷く、本当に分かっているのだろうか。棗ははぁと溜息をつき、分かったらさっさとどっかにいくと手で掃う仕草をみせた。そんな彼に「後で迎えにいく」とハクはとぼとぼと歩いて行ってしまう。
「だ、大丈夫なの?」
「ハクは直ぐに元気を取り戻すから大丈夫だぞ」
はははと龍玄は何でもないといったふうに笑うとハクの後を追いかけていった。遠ざかっていく彼らを見送ると、棗はやっと落ち着けるわと背伸びをする。そんな彼に春樹はあのさと気になっていたことを口にした。
「棗さ、ハクさんのこと嫌いじゃないよな?」
「そうだよ」
嫌いだったらもっと酷い対応しているさと棗に返されて、それはそうだよと春樹も思った。ハクの行動は一歩間違えればストーカーで捕まりかねないのだ。
棗が被害を訴えれば、あっという間に捕まるだろう。それをしないのだから、何かしら考えがあると思わずにはいられない。
「初めはさ、どうとも思ってなかったんだよ」
驚きはしたけれど何とも思っていなかったから断ったのだが、彼は諦めなかった。何度も立ち向かってきてはあしらわれて、それでも嫌な顔をするでも、暴力的なことをするわけでもなく。
ただ、ひたすらに下手なアプローチを続けてきた。きっとそんなところに惹かれたのだろうなと棗は笑う。
「もうちょっとしっかりしてきたら、まぁ……少しは考えてやってもいいとは思ってるぜ」
ハクが諦めたらそれまでだけどと棗は何でもないように話す。彼は強いなと思った、あやかしの男に言い寄られているというのに平然としているのだから。
春樹には恋というのはよく分かっていなかった。好きという感覚がないわけではないが、それが恋愛感情なのか、その自信がない。
誰かを一途に想ったことがなかったので、その点で言えばハクが少しばかり羨ましい。それと同時にずっと想われている棗にも羨ましさを感じた。
愛というのを受けた記憶が自分にはもうなかったから。あれだけ想わてれいたら、自分は死にたいなどと思わなかったのではなかったかなと考えて。
「あやかしの男に言い寄られるってどうなの?」
「うーん、特に何も。あやかしは性別とか関係ないし。おれは好きになった人ならどんな相手でも受け止めるって考えだから」
そういったものを深くは考えてないと返されて、春樹はそういうものかとかき氷の最後の一口を食べた。
「春樹はどうなわけ?」
「え? どうだろ……」
「ほら、例えば龍玄さんとか」
そこでどうして龍玄が出てくるのだろうかと春樹が首を傾げれば、棗は「想像しやすいかな」と返す。
春樹にとって一番、身近なあやかしの男性だろうと言いたいようだ。とはいえ、そんなことを言われても困るわけで。そういった目で見ていなかったのだから、想像ができない。
「見た目で決めるとかしたくないなぁ」
「じゃあ、龍玄さんの性格は?」
「龍玄さん、世話焼きで優しいあやかしだよね」
こんな自分のために泳ぎの練習に付き合ってくれるし、話を聞いてもくれる優しいあやかしというのが春樹の印象だった。好きか嫌いかならば、好きだと答えることができる。彼に悪い印象を抱いてはいなかった。
だからといって、恋愛対象に見れるかは別だ。今まで女性しかそういった目で見たことがないのだから。そう答えれば、「まぁ、そうだよな」と棗は頷く。
「まぁ、この町だとあやかし多いからさ。もしかしたら春樹もあやかしからアプローチされるかもだし。ちょっとは考えてみたらいいよ」
予行練習はしといたほうが慌てなくてすむよというアドバイスを受けて、春樹はそれはどうなのだろうかと思いつつも、わかったと相槌を打った。