風鈴が風にゆれ、その澄んだ音を鳴らす。開け放たれた窓から零れる音色を耳に、春樹は畳みに寝そべりながら天井を眺めていた。
寝ようと思えば眠りにつけるけれど、今はそんな気分じゃなくて、春樹はごろりと寝返りをうつ。子供たちが迎えに来るまで少し時間があるなと、部屋にかけられた時計に目を向けながら暇をもてあましていた。
「逃げてもいいか……」
ふと過ぎる、龍玄の言葉。彼は言った、逃げることは悪い事ではないと、死ぬというのは一つの選択だと。逃げて逃げて、逃げた後に考えればいいのだからと。
自分ならどう考えるだろうか、そこで死という文字が浮かぶ。死ぬほうが楽な気がする、そう思ったけれど。
「なんだか、そんな気分じゃない」
あれだけ死にたかったというのにそんな気が無くなっていた。死ぬと考えるのも面倒になるぐらいに毎日が楽しいというわけではない。だが、子供たちと遊ぶのは嫌いではなかった。
「遊んでいるというか、泳ぐ練習を手伝ってもらってるって感じだけど」
泳ぐ練習に必死でそんなものを考える余裕がなかったのかもしれない。今はだいぶ楽になった練習だがそれでもきついものである。
ごろごろとしながら春樹は考える、逃げてからどうすればいいのだろうか。死ぬか、生きるか。その二択しかない自分に苦く笑って起き上がった。
「生きてみるのを頑張ってみるか……」
死ぬ気が削がれてしまっているのだから生きるという選択しかない。逃げてもいいと言った彼の言葉を信じる、というのもなんだか変ではあるけれど、逃げてみて考えてみようとそう思った。
そう決めた春樹はうーんと背伸びをすると立ち上がる。今日も練習なのだから準備をしなくてはならない。春樹が部屋を出ようと襖に手をかけると、犬の鳴き声が響いた。
吠えるひじりにもう来たのかと春樹が部屋を出ると丁度、玄関が開けられるところであった。
「いたいた、春樹」
「棗?」
玄関に入ってきた棗は長い一つの三つ編みに結られた藍髪を跳ねさせながら、少し大きめのバックを肩にかけていた。横髪から見える耳からは貝殻のピアスがちらりと見える。
「あれ、棗ってピアスするの?」
「あーこれ? 貰ったんだよ」
似合ってないけどなと髪の毛を耳にかけると、きらりと輝く貝殻が揺れた。デザインは可愛らしいので男向けではないけれど、棗にとても似合っていた。似合ってるよと言えば、棗は照れたように頬を掻く。
ふと、玄関の外に目を遣ると子供たちの姿は見えなくて、あれっと春樹はどうしたのだろうかと首を傾げる。
「棗、美羽ちゃんたちは?」
「あー、今回はさ。春樹にお願いがあってー」
棗はそう言ってぱんっと手を合わせた。
「おれと一緒に海の家でバイトして!」
「え」
棗は人手が足りなくてと説明する。バイトをすることになっていた数人の親戚が続々と断り始めたらしい。どうしてそうなったのかと問えば、祭の手伝いに駆り出されてとなんとも申し訳なさげに返された。
「他の子にも頼んだけどさ。無理だったんだよ、だからお願い!」
「僕、接客とかは……」
「大丈夫、料理出すだけだから!」
「いや、泳ぐ練習……」
「龍玄さんには言っておいたから!」
手回しが早すぎる。春樹は棗の行動の速さに驚いていれば、「バイト代も弾むと親戚のおじさん言ってるから!」と、手を握ってきた。
春樹はバイトというのをやったことがなかった。そんな初心者である自分にやっていけるだろうかと不安になるのだが、棗はフォローはするからと頭を下げてくるものだから断るに断れず。
「やるのは、いいけど……期待しないでくれよ」
「ありがとう!」
ぱっと表情を明るくさせると棗は「かなか人手が見つからなかったのか、よかったと安堵したふうに息を吐いた。
(あぁ、受けてしまった……)
断ることができずに引き受けてしまったと春樹は不安になる、接客の自信などないというのにと。けれど、引き受けてしまったものはしょうがないので、やれるだけのことはやってみようと覚悟を決めた。
「今からってことでいいの?」
「そう、今から」
とりあえずタオルとか日焼け止めとか、必要なものを持ってくればいいと棗は話す。春樹は棗に待ってもらうと部屋に戻り、ビーチバックにタオルと日焼け止めや財布などを投げ入れると玄関へと戻った。
「響子おばあちゃんちょっといってくるー!」
「はーい、気をつけてねぇ」
靴に履き替えると棗は早いとこ行こうと玄関を出て行く。予定の時間よりどうやら遅れているらしいが、おじさんに怒られることはないだろうけど、急いでいったほうがいいと棗は少し焦っていた。
どうしてそんなにも焦っているのだろうか。そう春樹が聞くと、残りのバイトに問題があってねぇと遠い目をする。
問題児なのだろうか、そんな人たちとやっていけるだろうかと不安になる。棗は察してか、春樹は大丈夫だから平気だよと慌てて言った。
「春樹は大丈夫!」
「そ、そうなんだ?」
何が大丈夫なの分からないのだがと言えば、着けば分かるからと棗に返されてしまった。そういえば海の家が始まれば分かるとか、言っていた話があったな。
この前のことを思い出す、それも関係しているのかもしれない。大変そうだねと声をかければ、慣れてるから大丈夫と棗は返す。
「親戚のごたごたなんて慣れっこだからね」
「そうなんだ」
親戚の集まりでの騒動などよくあることなのだと棗は話す。棗の家は本家ということもあり、親戚付き合いというのが良いのでそういうことにも慣れてしまったのだろう。
「棗も大変だな」
「分かってくれるか、春樹! ほんと、大変なんだよー」
人使い荒いしさぁと棗は愚痴る。よほど愚痴が溜まっていたのだろう、あれはこうだと吐き出すように話し出す。
恋愛事情に巻き込まれたとか、子供の喧嘩を仲裁したりだとか。長期休暇に入ると遠くに出て行った親戚も集まってくるので忙しいのだと、棗はげっそりしている様子だ。
「特に恋愛事情に巻き込まれるのは面倒」
「あー、そうだよな」
「どっちの味方だって言われたらねぇ……」
それは面倒だと春樹も思った。どちらの味方だと詰め寄られたら自分なら答えられる自信はないし、そもそも板ばさみになるのは御免である。
棗はそういう時はどちらの味方もしないと決めているらしい。どちらかに肩入れすれば、相手が調子に乗ることがあるからだ。そんな揉め事に巻き込まれたくはない。
「そういうの見たことないからなぁ」
「大丈夫、すぐ見れるよ」
「え」
棗はそう言ってあっちが海水浴場と、何事もなかったように案内を始めた。ちょっと待ってくれ、それはどういうことだ。春樹はえっちょっとと声をかけるが、棗は行けば分かるってと言うだけである。
(こ、怖いんだけどー!)
春樹は心の中でそう叫んだ。