「しんどい……」
春樹は波際に座りって呟きながら海を眺めてみれば、子供たちが元気よく遊んでいた。泳ぐ練習を続けているとはいえ、きついものはきつい。小まめに休憩を取らなければやっていけなかった。
そんな春樹に龍玄は「だいぶ体力が付いてきただろう」と言った。どうやら休憩する頻度というのが減ってきているらしい。
それでもきついものはきついわけで、春樹はそうですかと項垂れた。泳ぐ練習というのがこんなにも大変だとは思わなかったと、やると言った事を少し後悔する。
「だいぶ泳げるようになっているぞ」
「そうかなぁ……」
自分では泳ぐ真似をしているようにしか感じられなくて、泳げているという感覚にはなれなかった。そう答えれば龍玄はそんなことはないと返す、春樹はちゃんと泳げているとはっきりと口にした。
「まだ上手いとは正直言えないが。それでも春樹はちゃんと泳げている」
このまま続けていけばきっと上手く泳げるぞと、龍玄は自信満々に言った。その自信はどこから湧いてでるのだろうか。
なんでそんなに言い切れるのかと春樹は聞いてみることにした。すると、龍玄は一生懸命頑張っているからだと答えた。
「春樹は頑張っている。苦手だと言いながらも一生懸命にな」
自分が頑張っているなんてそんなことはないと春樹は思った、それは気のせいだと。泳ぐ練習などしんどいだけで本当はやりたくはない。頑張っているのではなく必死になっているだけだと、春樹は返して膝を抱え丸まった。
「春樹?」
春樹は何も答えず額を膝に付ける。龍玄の呼び声は聞こえていたが、返事をする気にはなれなかった。そんな春樹の態度に龍玄は困ったように「俺は何か言ってしまっただろうか」と聞いてくる。
彼は別に何も言ってはいない、思ったままを感じたままを伝えただけだ。ただ、自分がその言葉を受け入れたくないだけなのだ。
こうやって泳いでいることもそうだ。そもそも彼が話しかけてこなければ、そんなことにはならなかったのではないか。どうして龍玄は話しかけてくるのだろうか。
泳ぐ練習になど付き合ってくれるのか、春樹には理解できなかった。自殺しようとしていたのだ、自分は。それを彼は止めて、けれど訳を聞くわけでもない。分からない、彼の考えていることが。
「なんで、何も聞かないのさ」
だんだんと心に積もるそれに春樹は耐え切れずに口に出していた。はっと我に返って顔を上げて龍玄を見れば、彼は少し考えるふうに腕を組んでいた。
どうして口に出してしまったのだろうか。ふと、棗の言っていた吐き出すほうがいいという言葉を思い出す。あぁ、きっとそのせいだ。人のせいにするのはよくないことではあるが、それでも春樹はそれが原因だと思ってしまった。
龍玄は春樹の言葉の意味を理解してか、あの時かと小さく呟く。
「気にならない、と言ったら嘘にはなる。が、聞くことでもないと思ったのだ」
誰にだって死にたくなる時はある。辛いこと、悲しいこと、それらが積み重なってその結果として死を選ぶ。生きるのが辛いという者に、無理矢理に生きることを強いる権利など誰にもありはしない。
龍玄はだから理由は聞かないのだと答えた。理由を聞いたところで自分に何かできるわけではないからだと。
「それに死ぬことが悪いことなのか?」
「え……」
その言葉に春樹は答えることができなかった。ざざんと波が足を飲み込んでは引いていく、その音が耳に入らない。龍玄は答える、死ぬことは悪いことではないと。
死ぬという選択も生きるという選択も、どちらも勇気のいることだと彼は言った。
「死ぬというのは逃げることではない、一つの選択だ」
だから、俺はお前が逃げたとは思わないし、死ぬことを責めたりはしないと、龍玄は春樹が選んだ道を否定はしなかった。
「逃げることが悪いってわけじゃあない。逃げたからって責めることはしない」
逃げたければ逃げればいい、辛いこと悲しいことから逃げ出すなど誰にだってあることだ。どうして逃げてはいけないのだ、そんなこと誰が決めたんだと、龍玄は「逃げたっていいじゃないか、そうだろう?」と同意を求めるように話す。
「逃げて、逃げて。考えるのはその後でもいいだろう。そうやって考えて決めた道を進めばいいんだ」
それが死という選択であろうとも、考えた結果ならば責めることはしない。一度、考え直すのも逃げたことにはならないのだから。
「まぁ、俺の目の前では死なせてやれないがな……春樹?」
春樹は泣いていた、溢れる涙を拭いながら声を殺して。
誰もそんなことを言ってはくれなかった。逃げていいと言われても、その後のことを誰も教えてはくれない。逃げれば逃げるほど、自分が駄目になった気がして苦しかった。けれど、龍玄はそれを否定することはしなかった。
死にたいと言えばそんなことしないでと言われ、だというのに生きていれば居場所はなくて。春樹は涙を拭うも溢れ出る雫は止まらない。
「僕は、逃げても……いいの?」
春樹が声を振り絞るように何かを求めるように問えば、龍玄はあぁと頷き、優しく頭を撫でてくれた。
棗もそうだが龍玄もそうだ。どうしてそうやって優しくしてくれるのだ。春樹には分からなかった、分からなかったけれど、その言葉が今は胸に響いていた。
泣き止まねばと春樹は涙を何度も拭う、こんな顔を後でくる棗には見せられない。涙を拭っていれば、「どうしたの」と声が降ってきた。
「何、どうした?」
「うわっ、棗!」
ぬっと春樹の後ろから顔を覗かせる棗に身体を跳ねさせる。いつの間に来たのだと驚けば、「今、来たんだけど」と察したように返事が返ってくる。
「こ、これは、その……」
「龍玄さんが泣かせたわけ?」
「そうなるのかもしれん」
「ち、違う! これは僕が、勝手に泣いただけだから!」
これは自分が勝手に泣いただけだと春樹が言えば、その勢いに棗は押されるように「分かったから」と一歩、下がる。どうして泣いていたのかを彼は聞かずに「すっきりした?」と泣き止んでいる様子に問う。
すっきりしたかと問われると、したような気がする。なんだか少しばかり重かった荷が下りた、そんな感じだ。だから、うんと頷くと、棗は「ならよかった」と微笑んだ。
「たまには泣くのもありだぜー。って、ことでアイス溶ける前に食べちゃってくれ」
ほらと持ってきていた袋からアイスを取り出して棗は春樹と龍玄に渡した。それから彼は海で遊んでいる子供たちを呼びにいく。
その背を眺めてから春樹はアイスの包装を剥いた。口に含めばほんのりと甘いソーダの味がして、身体に沁みる冷たさが心地よかった。