「春樹ー」
自分を呼ぶ声に春樹は水面から顔を出す。足にかかる波など気にも留めず、棗は袋を片手に手を振りながら近づいてきた。
棗が来てくれたことに気づいて春樹が泳ぐのをやめると、美羽が「棗お兄ちゃん」と手を振り返している。
「棗!」
「ちゃんとやってるじゃん」
「や、やってるよ!」
むっと膨らませる春樹にあははと棗は笑い、袋を揺すってから「少し休んだらどう?」とアイスを取り出した。それを見た子供たちがわーっと、棗のほうへと向かって行く。
確かに練習を始めてから時間が経っている。それは龍玄も思ったのか、少し休もうかと春樹を連れて砂浜へと上がった。
「そんな取り合わなくても、沢山買ってきたから大丈夫だって」
「美羽、ソーダ味がいい!」
「はいはい。慌てない、慌てない」
棗は袋を子供たちに見せながら一つ一つ渡せば、子供たちは嬉しそうにアイスの包みを剥がしている。春樹が棗の傍まで行く頃には砂浜で美味しそうにアイスを頬張っていた。
はいと棗に苺練乳のアイスキャンディを渡された春樹がそれを受け取れば、棗は龍玄にも袋の中をみせる。
「てか、春樹がの言っていた龍って龍玄さんだったんだ」
「え、知ってるの?」
「此処じゃ有名だよ」
この港町で龍玄は有名なあやかしの龍だ。この海を守護する海龍様で人々を守ってくださっているのだという。面倒見が良いのでよく人間たちの頼みを聞いているのだとか。
子供たちが懐いているのもその影響だったのかと春樹は納得する。龍玄にアイスを渡すと、棗も袋から取り出して咥えた。
「うん、分かる分かる。かっこいいよね、龍玄さんって」
「ふおわっ!」
春樹は何を言っているのだといったふうに棗を見れば、「別に本当のことだろ」と平然と返された。龍玄は「何か言ったか?」といったふうに二人を眺めている。
「て、いうか。棗は知り合い的な感じなのか?」
海龍様って呼んでないけどと春樹が疑問を投げかければ、「おじいちゃんと仲良いんだよ」と返された。どうやら、棗の祖父が龍玄と親しい関係で、その流れで棗は交友があったようだ。
海龍様と呼んでいない理由は、龍玄が呼びやすいように好きにしていいと言われたかららしい。堅苦しいのが苦手だと言って「春樹も気軽に呼ぶといい」と、龍玄はアイスを頬張る。
「それはそうと、春樹は棗と友達だったんだな」
「そうそう、子供の頃よく遊んでてー」
棗は久々に再会してさとアイスキャンディを舐める。さらりと友達であると認められて春樹は反応ができなかった。そんな様子にどうしたのさと棗は首を傾げた。
「え、いやそのね……会ったの、久々だしって」
「それでも昔はよく遊んだから友達だろ」
そんな驚くことでもないだろと棗は笑うと、つんっと春樹の額を指で押す。
「どんなに時間が経っても、仲良く遊んでいたっていう思い出があるんだからさ。再会しても友達だよ」
時間など関係はない。あの時、楽しく遊んでいた思い出があるのだから、時間が経っていようと友達であることにかわりはない。棗の真っ直ぐな瞳に春樹は胸の中にあった靄が一つ消えた。
友達だと呼んでいいのか分からなかった。相手はそうだとは思っていないかもしれない、そんな想いがすっと楽になっていく。
「で、春樹。泳ぎどうよ?」
「しんどい」
「春樹って泳げそう、龍玄さん?」
「練習を続ければ泳げるようになるぞ」
「つ、続けるって……」
練習を続けるということはこれっきりではないということである。こんなことを毎日とかやってられないし、そもそも運動は苦手、いや嫌いなのだ。
そんなものを長く続けられるわけがない。一回きりのつもりだったと、春樹は助けを求めるように棗を見た。
「春樹、丁度いいんじゃない? 家に引きこもってるよりはさ」
容赦ない言葉に春樹はうっと胸を押さえた。家に引きこもりがちであるのはすでに広まっているようで、田舎というのは噂が早いものだ。
棗の言う通り、引きこもるよりは運動にもなる水泳というのは良いだろう。
「美羽たちも楽しそうだしさぁ」
「でも、毎日って……」
「夏の期間だけだし大丈夫だって」
体調が悪い時はしなければいいわけだしと、棗はアイスを口に頬張るとゴミを袋に入れた。それでも悩む春樹に「そんなに嫌か?」と龍玄に聞かれてしまう。
嫌かと問われると微妙というか、なんというか、やりたくない感情はある。あるけれど、やってもいいかもしれないと思っている自分もいた。
でも、運動は苦手なのだ。ちらりと龍玄を見遣ればなんとも寂しげで、うっと春樹の良心が痛む。
「ひ、一人は嫌だ……」
「仕方ないなぁ。おれもバイト終わったら来てやるよ」
痛む良心には敵わず、棗の一言により春樹は泳ぐ練習をする決意をした。別に何かしたいわけでもないのだ、暇つぶしにやるのもいいだろう。
どうせ、家で引きこもっていると死ぬことばかり考えるのだからと無理矢理に理由をつけて。
「じゃあ、明日から頑張ろうね春樹」
「うん……」
「そんな不安そうにしなくともちゃんと教えるから安心しろ、春樹」
ばんっと背を叩いてくる龍玄に春樹はぎこちなく笑うしかない。そんな三人の会話を聞いていたのか、美羽が「ならお兄ちゃん迎えにいくー」と手を上げた。これは本格的に逃げ場がなくなってしまった。
(これじゃあ、死ねないじゃないか……)
そんなことを思いながら春樹は溶けかけているアイスキャンディーを口に含んだ。