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第7話 何故だか、怖くなくなった

 水着に着替えた春樹はパーカーを羽織って大丈夫だと、言い聞かせながらビーチサンダルを履く。



「あら、海で泳ぐのかい?」



 サンダルを履けば、居間のほうから祖母の響子がやってきて珍しげに見つめられてしまった。春樹が子供たちの話をすれば、なるほどと響子はにこやかに微笑んだ。



「子供たちのことよろしくね」

「うん、わかった……」



 返事をしながら玄関を開けると響子は思い出したようにこれこれと、ペットボトルとタオルを春樹に渡した。


 水分補給は小まめにねということらしい。ありがとうと礼を言って玄関を出れば、照りつける太陽に春樹は思わず目を細める。


 じわじわと蒸し暑い感覚をあじわいながら、重い足取りで家の裏へと回った。家の裏には海へと続く細い道があるので、下っていけばすぐに砂浜だ。


 ぎらぎらと照りつける太陽を吸い込むように青さを増す海は穏やかだ。少し離れた場所できゃあきゃあと子供の声がしている。声の響くほうへと向かえば、あの時の子供たちが飽きずに海で遊んでいた。


 毎日いるような気がするのだがよく飽きないなと春樹が思っていると、子供たちと目が合った。



「あ、お兄ちゃんきた!」



 美羽は花柄の浮き輪を身につけながら走って春樹のもとへとやってくると、子供たちもきたきたといったふうに集まってきた。



「お兄ちゃんも泳ごう!」


「いや、僕は泳げないんだって……」


「龍のお兄ちゃんならもうすぐ来るよ」


「え?」



 美羽は「お兄ちゃんの見回りもうすぐ終わるの」とそう言って海を指差した。


 見回りの時間というのを子供たちはどうやら把握しているらしい。春樹が「よく知ってるね」と言えば、「いつも遊んでくれるから」と返された。



「お兄ちゃんね、美羽たちが此処で遊んでるの見つけるとね、一緒に遊んでくれるの!」


「そうなんだ」



 龍玄という龍は子供が好きなのだろうか、それとも面倒見が良いのかもしれない。悪いあやかしではないのだろうなと春樹は思った。


 自分も助けられたというのもあるが、彼からはそんな悪い気というのは感じられなかったというのもある。


(それにしても……何故、泳ぐことになった……)


 美羽に負けたというのが一番ではあるが、言い出したのは龍玄である。彼が言い出さなければ、こうはならなかったかもしれない。そう思うとなんだがむっとしたくなるも、子供に罪は無い。


 春樹は彼が来るのを待つように砂浜に腰を下ろして海を眺めてから数分だろうか、美羽があっと声を上げて手を振った。


 その目線の先には海から顔を覗かせる何か。目を凝らせばそれが龍玄であることは把握できた。彼は水中に潜るとすっと音も無く近寄り、水面から這い上がって鮮やかな髪を掻き上げながら笑みをみせた。



「子供たちよ、今日も元気そうだな」



 子供たちは龍玄に近寄るとこんちにはと挨拶をするが、春樹は座ったまま眺めていた。龍玄はそんな春樹に気づいてか、おっと声を上げると近寄っていった。



「春樹もいるじゃないか、来たのだな」


「……子供たちが迎えにきたからね」


「その口ぶりでは迎えがなければ来なかったな」



 痛いところを突かれたといったふうに春樹は渋い表情をみせれば、嘘はよくないぞと龍玄に頭をぽんぽんと撫でられた。


 嘘をついたわけではない。きっと忘れているだろうと思っていただけだ。そう言いたくはなるが子供たちからしたら、嘘をつかれたと思われても否定は出来ない行動である。


 何も言い返すことができずむっとしていると、龍玄はそうむくれるなと頬を突いてきた。春樹はその行動に驚きながら突かれた頬を押さえる。



「お兄ちゃんたち遊ぼうよ」



 美羽は春樹のパーカーの袖をひっぱりながら海を指す。もう待ち切れなくなった子供たちが海で泳いでいて、行動が早いなと春樹は思う。龍玄は子供たちに「あまり遠くに行くなー」と呼びかけていた。



「あの子たちは元気だからなぁ。美羽もあまり遠くにはいくなよ」


「はーい!」



 美羽は元気よく返事をすると、浮き輪を手に海へと駆け出した。腰ぐらいまでつかる深さまで行くと後ろを振り返り、お兄ちゃんと春樹を呼ぶ。あぁ、呼ばれているなと春樹は重い腰を上げた。



「僕、泳げないんですよ」


「安心しろ、教えてやる」


「いや、わかってます?」



 プールじゃないんですよ、此処と春樹は海をつんつんと指差す。自然の波に足の付かない水底、怖くないわけがない。そんな春樹に龍玄は大丈夫だと言って手を取った。



「俺がついているから安心してくれ」



 にかっと笑む龍玄に春樹は思わず見惚れてしまう。彼があまりにも綺麗に笑うものだから目が離せなかったのだ。


 なんでそんなに格好いいのだろうと暫し見惚れてから、あっと我に返って首を振った。



「どうかしたか?」


「な、なんでもない! 海に入るならパーカー脱ぐ!」



 誤魔化すように春樹はそう言ってパーカーを脱ぐ。落ち着け、自分と言い聞かせながらパーカーを砂浜の上へと置いた。


 男だというのに一瞬でも見惚れてしまったのが。なんだが負けた気がしてならない。そんなことを考えれば余計に動揺してしまいそうだ。春樹は自分は男、相手も男と言い聞かせながら龍玄のほうを向いた。



「……な、なにっ!」



 振り返れば龍玄にまじまじと見られていた。なんだ、そんな見てくることないだろうと春樹が言えば、いやなと龍玄は顎に手を当てる。



「細っこいなぁと思ってな」


「細っこい!」



 細いなと思っていたがこうも細いものかと思ったのだと龍玄は言う。人間の少年にしては華奢ではないだうかと。


 思っていた反応と違っていた春樹は、これでも太ったほうなのだがと思わず自分の腹を触る。



「あぁ、気にさせたのならすまない。あまりじろじろと見るものではなかったな」



 では行こうかと龍玄は春樹の手を引いた。あぁ本当に泳ぐのか、と春樹は肩を落としながら手を引かれるままに海へと入る。気温が高いからだろうか、水温は丁度よくて冷たさというのは感じられない。


 子供たちが泳ぐ中、春樹はあわあわと慌てていた。腰まで浸かった身体に大丈夫なのと不安が押し寄せてくる。龍玄の手をぎゅっと握りれば笑われてしまった。



「そんな恐れることはないだろう。まだ足がつくではないか」


「そ、そうだけど、僕は泳げないんだ!」



 溺れたらどうするのだと言いたげな瞳を見せれば、大丈夫だと返される。



「俺が助けるから大丈夫さ」



 彼は春樹に笑いかけた。海龍である彼ならばきっと溺れてもすぐに助けてくれるだろうけれど、それでもやはり怖いものがある。


 ふと、自殺をしようとした日のことを思い出した。そういえばあの時は不思議と怖くなかったなと。


 死を覚悟していたからだったのか、今は怖さを感じている。春樹はゆっくりと水中を歩く。もう足が付かないといったところまで行くと龍玄は両手を掴んだ。



「そのまま足を上げてみろ」

「え、え?」



 春樹は言われるままに足を上げて浮かせる。足をばたつかせてみせれば、「それができるなら泳げるぞ」と龍玄は言った。何が泳げるだ、こっちは必死なんだぞと春樹は顔を上げながら思う。


 犬掻きのような姿勢で、春樹にゆっくりと引っ張られるままに春樹は泳ぐ真似をする。


 これのどこが練習なのだと思わなくも無いが、まずは水に慣れるところから始めているのだろう。それは龍玄の指示で何となくだが分かった。



「その調子だぞ、春樹」



 なんだろうか。龍玄の笑顔を見ていると、あんなに怖かったのに不思議とそんな気持ちが消えていた。水の冷たさにも慣れてきて気持ちいいとも感じられる。


(不思議だな……)


 春樹は水面に目を向けるとそう思った。


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