どうしてこうなった。春樹は溜息をつきながら港町に唯一あるショッピングモールへと足を運んでいた。それは言うまでもなく昨日のことである。あの子供たちと海で遊ぶという約束のためだ。
きっとすぐに忘れるだろうと軽く考えていたのだが、今朝になって美羽とその友達三人が迎えにきてしまった。
それはもう驚いた、そして気づく。この周辺は近所付き合いが良いために、誰が何処の家に住んでいるというのを把握されていることに。
海で泳ぐ気など全くなかった春樹は水着などもってきていなかった。そのため、子供たちには午後からあの砂浜に顔を出すからといって一度、帰ってもらい今に至る。
祖母の響子には「あらもう子供たちと仲良くなったの?」と言われてしまったが、それはもういい。仲良くなったとはいえない気がするのだがと、春樹は思いながら水着売り場をうろつく。
別に女性物を選ぶわけではないのだから適当な水着でいいと無難なものを選んでレジに持っていこうとした時だった。
「あ、春樹じゃん」
「うぇえっ!」
名前を呼ばれ、びくりと肩を跳ねさせると春樹は振り返る。そこには長い藍髪を一つの三つ編みに結っている少年が立っていた。
綺麗に焼けた肌に、くりっとした瑠璃色の瞳を丸めるように見つめてくる少年を春樹は知っている。
二軒隣の家の息子、高遠棗である。彼とはそれなりに交流はあった。幼少期、まだ両親の仲が良好だった頃に祖父母の家へと遊びにいっていた時に仲良くしてくれたのが同い年の棗であった。
数年ぶりだというのに彼は春樹が越してきても覚えており、訳も聞かずに迎えてくれた数少ない人間の一人だ。
そんな彼がどうして此処にと動揺すれば、察したように棗は「此処でバイトしてるんだよ」と手にした水着を上げて見せる。
「春樹っぽい子いるなぁって思ったら、春樹だったから声かけたんだけど、水着?」
「え、あっと……」
春樹は棗から目を逸らしながら手にしていた水着を直した。その怪しい行動に棗はうーんと目を細めて、「何かあっただろ」と指で腹を突いてきた。
なんでわかるのだといったふうに春樹が突かれた腹を押さえれば、見ればわかると返されてしまう。
「動きがむっちゃ怪しかったぞ」
「マジかぁ……」
自分では普通にしていたつもりなのだがと、春樹が肩を落とせば棗は訳を聞いてくる。別に隠すことでもないことだったので、昨日あったことを話すことにした。訳を聞いた彼は可笑しそうに口元をにやけさせる。
「子供に押し負けるって……」
「棗、笑うなよ!」
「いや、だってっ」
はははと棗は腹を抱える。彼のツボをついたのだろう、若干涙目であったが春樹からしたら笑い事ではない。
泳ぐなど苦手なことをやらなければならないからだ。それにあの龍のことを考えると胃を押さえたくなる。
「いいじゃん、イケメンと一緒なんだろー」
「僕、男なんだけど? 女子でもあるまいし、それにあやかしだし」
「え? おれはあやかしの男は守備範囲内だけど?」
「はぁっ!?」
マジかといったふうにびっくりしている春樹に「あやかしに種族と性別は関係ないんだよ」と棗は教えてくれた。
どうやら、あやかしにとって性別は関係なく、同性同士での結婚など当たり前なのだという。男同士だろうと女同士だろうと好きならば結婚まですると、それに人間もあやかしもない。
人間はそこを気にしがちではあるけれど、あやかしは気にしないらしい。老若男女問わず、彼らは恋に落ちればどこまでも追ってくるのだとか。
「おれの親戚の姉さん、今年に女の猫又と結婚したよ」
「ふぉー、マジか!」
「なかなかの女性だった」
三毛猫の猫又だったのだがなんとも可愛らしかったと棗は話す。身近に異種間婚姻をするものがいなかった春樹は興味深げにその話を聞いていた。
「だから、性別とかあやかしとか気にしないでいいと思うよ」
「そうかもしれないけど、僕には関係ないね」
「まぁ、そうかもしれないけど。で、どうするの?」
子供たちと約束してるんだから水着を買うんだろと言われて、春樹はそうだけどと口籠る。そんな様子に棗は「断れなかったのが悪いんだから諦めろ」と肩を叩いた。
「だって……あんな無垢な瞳で見られたら断れないだろ?」
「まー、うん。その気持ちは分からなくは無い」
子供の純粋な瞳というのは断りづらいものだ。特に田舎というのは子供の数も限られている。
近所の大人が面倒をみるというのはよくあることなので、子供が遊ぼうと気軽に声をかけてくることがある。
「大人が近くにいないと遊べない場所とかってあるからなぁ。あと遅くまで遊べないし」
「僕、利用されてるだけ?」
「いや、そうじゃないと思うよ? 美羽だろ、あの子は人懐こいから」
棗は美羽を知っているようだ。そういえば何処の子なのか春樹はは知らなかったので聞いてみれば、「親戚だよ」という返事がかえってくる。四軒隣の家の子らしいが、いまいちピンとこなかった。
「おれも遊んでーってよく言われるから、単純に遊んでほしいだけだよ」
「そうなのか」
「そんなに子供たちと遊ぶのが心配なら、バイト終わってから見に行ってやろうか?」
もうすぐ上がるしという棗は提案に春樹はお願いしますと即答した。彼はこういうのに慣れているであろうから、その申し出は有り難かった。春樹にとって棗はこの港町で唯一の知り合いなので、心強く感じたのだ。
「いいよ、あの砂浜だろ。そのイケメンな龍も気になるし」
「気になるんだ」
「そりゃあ、気になるさ」
にやりと笑みをみせると棗は「じゃあ、後ほど」と手を振って持ち場へと戻っていった。
その背を見送りながら春樹はほっと胸を撫で下ろす。一人では不安だったので彼がきてくれるのは助かる。棗が自分を覚えてくれていてよかったとこの時ばかりは彼の物覚えの良さに感謝した。
友達というには数年以上も経ってから再会したということもあり、少し違っている気がするけれど。言葉にするならそうなるのかもしれない。自信はない、相手は友達だと思ってくれているのだろうかとそう考えてしまって。
春樹は考えるのを止めて、水着を持って会計へと向かう。さっさと終わらせて昼前には家に戻っていなければ、約束の時間に間に合わない。
「僕、泳げないんだけどなぁ……」
春樹はそう嘆きながらも約束を無碍にすることはできなかった。