ゆったりとした波が砂浜を濡らす。遠くの方では子供たちが遊んでいる声が響いていた。
春樹は砂浜に膝を抱え額をつけて座っている。家にいれば祖父母に心配さてしまい、かといって何処か出かけたい場所があるわけでもない。この砂浜なら人は少なく目立つこともないので、春樹は此処で暇を潰すことにしたのだ。
ふわりと欠伸をする。睡魔が残っているのか眠そうだ。昨日はなかなか寝付けなかったので、春樹はこの砂浜で寝れなかった分を取り戻すように瞼を閉じていた。
まどろむ中、あぁ本当に寝てしまいそうだなとぼんやりそんなことを思う。寝ても大丈夫かなと意識を夢へと旅立たせようとして、はっと瞼を上げた。
「こんなところで寝ては風邪を引くぞ」
凛とした綺麗な声音に春樹はちらりと見遣る。間違いないあの龍だ。龍玄と名乗った龍は笑みをみせながら隣に座ってきた。そのあまりにも自然な動きに春樹反応ができずに固まってしまう。
「……なんでいるのさ」
「此処は俺が見回っているからな」
龍玄は「だから、俺がいるのは当然だろう」と笑む。そういえば海龍様が海を見回っているというのを祖父から聞いたことがあった。
そのおかげで鮫などの被害も少ないのだとか。彼がその海龍様なのかもしれないと春樹は納得したように頭を上げる。
「海龍様は見回りにいかなくていいんですかー?」
「なんだ、俺が嫌か?」
「そうは言ってないけどー」
「ならいいじゃないか」
丁度、見回りから帰る途中だったのだから寄り道しても怒られはせんと、笑う龍玄に明るい龍だなと春樹は眺める。夢幻のように麗しい顔立ちは人間にも人気がでるのではないだろうかと、ふと思う。
男の自分が見ても格好いいと目が奪われてしまうのだから、そこらの女性が放っておくわけがないはずだ。そんなことを思っていれば、「俺の顔に何かついているか?」と問われてしまった。
「いや、別に……」
「なんだ?」
「……モテそうだなぁって」
人気ありそうと春樹が言えば、どうだろうなと龍玄は考える素振りをみせた。
人間の基準というのはあやかしである龍には分からないようで、「気にしたことがない」と龍玄は答えた。春樹はその返答にそうなんだと返して海のほうへと視線を映した。
「あやかしって美人しかいないの?」
「なんだ、それは」
「いや、見るあやかし美人だから……」
妖狐や鬼、龍に化け狸や猫又と多種多様なあやかしを見てきたが、美人だったり可愛らしかったりしていた。
もちろん、人間に紛れるような容姿のあやかしもいたのだけれど、妖狐は特に美人だった記憶がある。と、春樹が話せば、「あいつらは化けるのが上手いからな」と笑った。
妖狐というのは目ざとい。どういった容姿が人間に受けてちやほやされるのかを熟知している。だから、人間が好みそうな容姿に化けて自分の良いように手籠めにするのだと龍玄は教えてくれた。
「俺だって元は龍だ。今は人の姿となっているが、本来の姿は人間にとっては恐怖だろうな」
「見たことないから分からないや」
「見せるつもりもない。怖がらせたくないからな。そうだ、俺も人間に関して思っていることはあるぞ」
「何、思っていることって」
なんだろうかと春樹が聞けば、龍玄はいろいろあるぞと話してくれた。人間はよく働く生き物だとか、得意不得意がばらばらだとか。
話を聞くに人間自体はそれほど気に留めることはないようなものが気になるようだ。
あやかしから見れば人間の行動というのは生き難そうだと感じるらしい。もう少し気楽にやっていけばいいのにと何度も思ったのだという。
「そんな人間も嫌いじゃないがな」
「何処が?」
「面白いだろう?」
多種多様な人間がいるということはそれだけ面白いものを持っている。悪い奴が居れば、良い奴も居るのと同じように、そんなところが龍玄は嫌いじゃないと話す。
春樹にはよく分からなかった。それのどこがいいのか、自分なら嫌になっている部分も彼からしたら嫌いではないのだ。
理解できない、そう呟けば笑われてしまった。よく笑う龍だなと、春樹は思いながら彼の話に耳を傾ける。
「春樹は此処の人間ではないのか?」
「うん」
春樹は頷くと膝を抱え直す。ぎゅっと縮こまるその様子に龍玄は気づいたようだが、それを指摘することはなく言葉を待ってくれていた。
「あの時に越してきたばかりだから」
自殺をしようとした日に春樹は越してきていた。まだ一週間ほどしかこの町にはきていないのだと話すと、「何処から越してきたのだ」と聞かれて、「都会」とだけ返す。
こんな自然もあれば海もあるといった場所に住むのは初めてだと、春樹ははぁと溜息をついた。
「此処が嫌か?」
「嫌ってわけじゃないけど……」
歯切れの悪い返事に首を傾げる龍玄にじっと見られて春樹は言い難そうに口を開いた。
「虫とか出るし、海岸にいけば海水浴している学生多いし、何処か時間潰せる場所があるわけでもないしさぁ」
都会でないこの港町に暇を潰せる場所というのは少ない。商店街や駅周辺に少し店があるだけで、あとは畑や田んぼに海だけなのだ。都会から越してきた身としては、娯楽の少なさに多少の不満を抱いてしまう。
「海で泳げばいいじゃないか」
龍玄は良いだろうと提案する、今は海水浴のシーズンだと。此処のところ天気は良くて気温も高い、海で遊ぶにはもってこいである。今も子供が海に入ってきゃあきゃあとはしゃいでいた。
「僕、泳げない」
不貞腐れたように呟く。何を言っているのだこの龍はと思ったのもあるがそれ以上に泳げないのだ、春樹は。
祖父に海にでも遊びに行くかと問われても、自分は泳ぐことができないので断っていた。そもそも何が楽しいの理解できない、泳いで何が良いのかと。
「泳げないのか?」
「そうだよ」
「なら教えてやろう」
「……はぁ?」
今、この龍はなんと言っただろうか。春樹は思わず間の抜けた声で返し、龍玄を見ると彼は良い笑顔を向けていた。
「泳ぐのはいいぞ。気持ち良いし、楽しいものだ」
眩しい、春樹は思わず目を細める。綺麗な顔立ちにその笑みは眩しすぎる。なんだ、これがイケメンパワーか。そんなことを考えていれば龍玄はどうだと手を取ってくる。
「いやいや、どうしてそうなるんだよ。泳がないよ、僕」
「楽しいぞ?」
「楽しくない」
「楽しいよ?」
可愛らしい声がしたかとおもうと、ぬっと龍玄の背後から女の子が顔を覗かせる。花柄の浮き輪を身につけている女の子は、「兄ちゃんこんにちはー」と挨拶をしていた。
赤茶毛の髪を二つに結った可愛らしい女の子は、春樹の前に立つと顔を覗き込むように身体を曲げる。
「泳ぐと気持ち良いんだよ、お兄ちゃん」
「美羽の言う通りだ」
美羽と呼ばれた女の子は、「お兄ちゃんも泳ごうよ」と春樹の手を引っ張る。すると、その様子を見ていたほかの子供たちが、どうしたーと集まってきた。
美羽が集まってきった子供たちに話すと、彼らも泳ごうと誘ってくる。なんだ、この子たちは。僕は泳げないと断るのだが、「オレが教えるといっているだろう」と龍玄に返されてしまう。
「みんなで遊ぶと楽しいんだよ!」
きらきらとした純粋な瞳を美羽は春樹に向けてくる。そのあまりにも無垢さに反論することができない、いやできるわけもなかった。
「……水着ないから明日なら……」
「明日だって!」
わーいと喜ぶ子供たちに春樹は根負けしてしまった。