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第62話 洋館

 元は質の高い庭園であったのだろうと想像の容易いその跡地も、いまでは土気色を帯びている。広々とした土地の中央に堂々と座するは英国風のエッセンスが感じられる西洋建築の建物で、建物西側には軽自動車ぐらいなら収容できそうな車寄せが備えられていた。

 ここは昭和初期頃に建造され、築百年ほどになる洋館らしい。

 車寄せが小ぶりなのは時代だろう。


「おお……」


 思わず感嘆の息を漏らしながら見上げる。かつては白やクリーム色だったと思われる外壁も、今では雨風にさらされ、くすんだ灰色や苔むした緑が混じっていた。

 部分的にレンガが露出している箇所もあり、経年劣化のほどは窺い知れる。


 外から見える限り、色ぼけた窓はクラシカルな造りをしていて、大きなアーチデザインやステンドグラスが特徴的だ。一部ガラスがひび割れているところもあって、それを見つけると軽やかな足取りで接近したシグルドさんが嘆かわしそうに頭を振るっているのを見た。

 近くに太い枝が転がっていたので、年月重ねる間に風か何かで事故が起こったのだろう。


「直しましょうか」

「そうだな」


 すると、彼のもとに駆け寄ったオリヴィアさんは呪文の一つも唱えずに手を翳して割れた窓を修復してみせる。それは当然のように行われるものだから、俺とホルンは思わず顔を見合わせる。


「すごい……」


 ホルンは、オリヴィアさんの魔術の技量に憧れを込めた眼差しを向けていた。


 そうこうしているうちに玄関口へ到着。


 重厚な木製の扉の両側には石造りの柱が立っていて、かつての威厳をこれ以上なく物語っている。

 特徴的な意匠の真鍮製のドアノブとノッカー。

 ここまで見慣れない景色続きで戸惑ってばかりいる俺を差し置いて、慣れた様子で鍵を開けたシグルドさんはスマートな所作で俺を迎え入れてくれる。


 ぐあっと強く引き込まれる独特の空気感があった。


 シックでダークな内装だ。壁のスイッチを入れると天井から吊るされたペンダントライトが、ぼんやりと暖かみのある色を点ける。

 一階広間は吹き抜けで、二階建て。部屋の数はとても多い。

 どこか少しだけ埃っぽくて、古書堂を連想するような香りがあった。室内のあらゆるレトロ調デザインに時代を感じることができて、これが現代でも住居として使えることに驚きを隠せない。


「悪いが、まずは掃除だ」

「はっ、はい」


 立ち止まって心奪われたように周囲を見渡す俺の横をスタスタと通り過ぎ、木製の掃除用具入れから箒と古びたブリキのバケツ、雑巾を持ち出したスクルドさんが皆に呼びかける。

「はいはぁ〜い!」と軽快に返事をしたオリヴィアさんが前に出てくると、くるっと振り返って俺にこんなことを言った。


「シグマちゃんは休んでていいわよ! まだ怪我が辛いでしょう」

「いや、そんなわけには……」

「そうです。しぐまは休んでてください」


 一人だけ見学なんてそういうわけにもいかない。と、否定しようとする俺の言葉に被せるように、隣にやってきたホルンがやけにはっきりとした口調で言う。


 いやいや、左手で重たいものを持つのは控えるようにと言われていることと、腹部の傷口が開く心配から咄嗟で屈んだりすることができないだけで、別に俺は……。

 ………さすがにボロボロすぎるか、俺。


 気まずい顔で首の裏を掻く。


「じゃあ、ホルンのサポートに回ります」

「ええ、そうしちゃって」


 戦力外通告も仕方ない。渋々と了承すると、優しく微笑んだオリヴィアさんは典型的な主婦が身につけるような白いエプロンを取り出して全員に配った。

 成熟した大人の女性であるオリヴィアさんとは違い、見よう見まねで白エプロンを首から手前に吊るしたホルンは、まるで家庭科の授業を受ける中学生みたいな感じであどけなさのほうが強調されている気がした。


 そして素直に身につけるシグルドさんと、少しだけ小っ恥ずかしくなってしまう俺。


「二階のほうがひどいと思うから、一階の雑巾掛けと庭先の枯葉払いをお願いするわ。扱いが分からないところがあったらあとで任せてくれたらいいから」


 ぱちりとウィンクを披露しながらそう取り決められ、かくして俺たちは拠点の清掃活動からまずは始めることになった。

 思えば、ホルンと二人きりになるのは交差点での戦い以来これが初めてだ。


 天井や壁の埃、蜘蛛の巣を払ってから、ちりとりでゴミを集めて雑巾掛けをする。

 そんな分担作業の折を見て、俺は箒の上に顎を乗せながら丁寧な雑巾掛けに勤しむホルンの背に問いかけた。


「なあホルン。これだけ聞いておきたいんだが、本当に彼らを信用して大丈夫なのか?」


 疑っているというわけではなかった。悪い人たちじゃないのはもちろん俺も認識している。

 ただ、あまりにも夫妻の存在は俺たちに都合が良すぎる気がしてしまって、警戒する気持ちが働いた。普段警戒心強めで人見知りな印象のあるホルンが、やけに信頼しているからこそ俺は一歩引いた目線を持とうと考えた節もある。


 ホルンはバケツの上で雑巾を絞りながら、熟考ののちに、俺の目を見てこくりと頷く。


「大丈夫、だと思います。実はこの数日間の間に、私としぐまの身に起きたことを御姉様にお話ししました」


 神妙にそう口にしたホルンは、次に少しだけ恥じらうように破顔しながら打ち明ける。


「そうしたら、しぐまのことを『すごい、すごい!』『とても勇気がある方なのね!』『素敵だわ!』『ダァリンみたい!』って……たくさん、褒めてくれたので」

「な、なんだそりゃ」

「向こうのお話もたくさん聞きました」

「恋バナ??」


 がくっと首が滑り落ちそうになる。思わぬ角度からの信じる理由に、困惑した顔と気恥ずかしさを隠せない。

 照れを隠すようなホルンの表情を見ていると、恋バナというのもあながち間違いじゃなさそうだ。向けられている当人である俺が持つべき感情じゃないが。

 なんだこの絶妙な間合い。

 リアクションに困ってしまっていると、一方で真摯な眼差しをしたホルンが俺をまっすぐに見つめた。


「ともかく、悪い人たちじゃないのは事実です」

「それは、俺も分かっているけど……」


 唸る。あまり釈然としない。

 まあ、ホルンが信じると決めたのなら俺は元より付いていくしかなかった。

 夫妻のような頼もしい存在が味方についても、俺を必要としてくれたのは他でもないホルンだ。

 その期待には応えていきたい。


「――そうだ、あともう一つ聞きたいことがあって」


 気恥ずかしい空気感を打破するように話題転換。

 今度はさらに真面目な話だ。


「オリヴィアさん……ブリュンヒルデがこの世界にいること、ホルンは前々から知っていたのか?」


 ワルキューレの長姉・ブリュンヒルデ。

 その話題を始めて耳にしたのはラーズグリーズと指輪で交信したときだったように思う。


 確かそのときのラーズグリーズは『長姉のようなことはもう起きない』と自由を求める俺たちを戒めていた。


 確かに、オリヴィアさんたちはこれ以上なく自由の身にあるように見える。

 それがどんな経緯を経て掴み取ったものであるかは知らないが、俺たちが目指すべき最終到達地点であるのはやはり間違いないように思う。


 しかしラーズグリーズの言葉が真実なら、それは俺たちには叶えられない未来なのだろう。


 夫妻の前では問い質しにくいことを、この機会に俺はホルンへ問うた。

 ホルンは気難しそうな表情で首を振って答えた。


「いえ、私は何も知りませんでした。御姉様のことは、聞くのもダメ。語るのもダメ。知ろうとしてはならない禁断だったから」


 暗い顔を見せるホルンに納得を示す。

 通りで、あのときのホルンは押し黙っていたわけだ。当時の不自然な反応の正体が理解できてホッとする。


「ただ、」とホルンは言葉を繋げて語る。


「御姉様が、原罪のワルキューレであること。御姉様が起こした事件を発端にしていくつもの掟が敷かれるようになったことを、私たちはまず教えられます」

「原罪のワルキューレ……」


 それは物々しい肩書きだった。

 つまりは、ワルキューレとしての法律が明確に定められる以前のことだから、長姉の罪は特例視されているのだろうか?


 ……いいや、それでも納得はいかない。


 話を聞いている限り、ブリュンヒルデは何百年もこの地上で暮らしているはずだ。あれほどホルンのことを執拗に狙ってくる連中が、平気でルーン魔術を乱用する長姉を見逃している辻褄が合わない。


 何か別の理由がある気がする。もしブリュンヒルデとホルンの違いを埋めることができれば、もしかしたら。


「知りたいことが山積みだな」


 長考の末に後頭部を掻いて俺は吐き捨てた。

 ホルンが自由の身になるヒントはここに転がっているはずだった。


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