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第61話 稲多市

 待ち合わせは最寄りの駅前でよかったはず。

 一旦、荷物を車内に置いて病院近くまでタクシーでとんぼ帰りし、軽装で目的地に足を運んだ俺はすぐにホルンたちと合流することができた。


「お待たせしました」

「しぐま!」


 俺を見つけるや否やタッと駆け出してくるホルンが、まるで飼い主との再会に喜ぶわんこみたいに花が咲いた笑顔を見せるものだから、つい愛らしく感じる。

 久々(といっても数日だが)の再会なのも事実だったから、自然とこちらの頬も緩むというものだ。


 いつも一緒に行動していた分、別行動だったこの数日間をお互い寂しいと内心思っていたことが白日のもとに晒されたみたいで、それがなんだか気恥ずかしく、とても嬉しかった。


「退院おめでとう〜! シグマちゃん」

「は、はい。ありがとうございます」


 そしてその奥に目を向けると、両手を合わせて自分のことのように喜んでくれるオリヴィアさんの姿が。

 その服装が、やけにボディラインが強調されてしまうタイトなニットセーターなものだから、思わず目を逸らした。隣には当然ながらいかつい風貌をしたシグルドさんがいるわけで、やましい視線がバレたら殺されるんじゃないかという緊張感が俺には付き纏う。


 ……なんというか、オリヴィアさんは目に毒な人だ。

 それなりに硬派を気取っている俺だからこそ意志強く我慢できるけど、クラスメイトの男たちがオリヴィアさんを見たらすぐに下世話な話題で盛り上がりそうなくらいには、女性的な魅力に溢れている色気がある人のように思えた。


 いまいちシグルドさん自身がどういう考え事をしているか分からないポーカーフェイスみのある男性だから、余計に怖いように感じるのかもしれない。

 まぁ、オリヴィアさんに寄り付く数多の虫を牽制するには十分すぎる男前だった。


「それでは早速行こうか」


 合流を果たすと、シグルドさんの号令によって俺たちは電車で移動することになる。誰も大きい荷物を持っておらず身軽な服装をしているため、これから新たな拠点に向かう道中だとはとても思えない。


 そう、今回の目的はオリヴィアさんが『もっとも安全な場所』と語る都内某所に拠点を移すことだった。


 行き先は多摩南部地域あたり。田園都市線で移動した東京二十三区郊外の市町に目的の家があるらしい。

 電車内ではちょうど三席空いており、退院したばかりなのを気遣ってかシグルドさんが譲ってくれたので申し訳なく思いながら座らせてもらう。


 いつもホルンとは車で隣り合って座っていたわけだが、こうして肩が触れ合うくらいに密接な距離感で座るのは初めてな気がする。心に、妙な恥じらいが。

 思いついたように俺は声をかけた。


「そうだ、ホルンはいまから行く場所、もう足を運んだことはあるのか?」

「いえ、私もこれから初めて行くので、どういう場所なのかはまだ何も……」

「ふふっ。ホルンちゃんったら、あまり離れたくないからって拠点の移動を望まなかったのよこれまで」


 娘の思春期を面白がる母みたいに頬に手を当てうっとりした顔でオリヴィアさんがコメントしてくる。

 表情を覗き込まれたホルンはかーっと顔を赤くして俯くものだから、いまの言葉は嘘じゃないんだろうなと思えてしまって俺も気恥ずかしい。

 オリヴィアさんのくすくすとした笑い声が、俺たち二人のことをからかっているみたいだった。


『次は稲多、稲多です。お出口は右から……』

「――ここだ」


 数回目の車内放送を受けて、おもむろにシグルドさんがそう呟く。

 まさかの偶然に、弾かれたように俺は顔を上げる。


「えっ?」


 稲多というと、町田市のすぐ横に位置する比較的小さな市町の名前で、ゆったりとした自然感の残る郊外。学生や子育て世帯の住みやすい街としても知られ、何を隠そう、その昔は俺の両親が住んでいた―――。


「? 大丈夫ですか? しぐま」

「あっああ、大丈夫。問題ない……」


 口早に取り繕いながらも、思わぬ偶然に心臓が高鳴るのを感じた。

 窓の外を見つめてみると、自然と都会の街並みが一帯になった稲多市らしい景色が横に流れていく。幼少期、ここに住んでいたという頃の記憶は不思議と全く抜け落ちていて、いまこうして眺めていても懐旧の情が湧き出てくるわけではない。


 それでも、ここは俺がずっと来たかった街。

 わざわざ地元を飛び出して、東京の大学を志望した目的。


 それが、まさかこのような偶然で足を踏み入れることになるとは思いもしていなかった。



 駅で降り、その後コミュニティバスに乗り込む。

 都内にしてはこぢんまりした印象の市民御用達な複合商業施設を見送り、十分ほどかけて住宅地の奥まったところまで行くと途中下車。


 そして、


「とうちゃ〜く!」


 きゃぴきゃぴと若々しいリアクションを見せるオリヴィアさんに両手を広げて元気よく紹介されたのは、なかなか寄りつきにくさのある西洋風の外観をした建物とその門構え、広大な敷地だった。

 冬場なので鋭利な枯れ木が立ち並ぶ。蔦も這っていたりと、一見して廃墟同然の建物だ。


 郊外とはいえこんな華族邸宅のような建物が法人管理にならず残されているのも意外だが、それが目的地と言われてしまったことが尚更信じられなくて思わず半目になる。


 本当に、これがオリヴィアさんたちの"家"……?

 なかなか信じられず、その意図を震えた声で尋ねることになった。


「どういうことですか……?」


 オリヴィアさんはきょとんとした顔で言った。


「あ、あらっ? 思っていた反応とチガウ……。ダァリン説明しちゃってっ!」

「うむ。かつて親交のあった夫妻から譲り受けた大切な場所だ。時々帰ってくるが、毎度のようには行かないので、その管理が行き届いているわけではないのだ」


 説明を任されたシグルドさんは端的にそう語り、懐から取り出した古びた鍵で錠を開ける。

 ギィィ、と軋む音が響き渡り、次第に俺の顔も引き攣っていく。


 こんなの、地元の小学生たちからお化け屋敷扱いされていてもなんら不思議じゃないぞ……。

 ごくり、と生唾を呑み込んでから俺とホルンは神妙な面持ちで足を踏み入れる。


「こ、これは……本当に大丈夫なんでしょうか……?」

「おいホルンお前、俺はお前を信じて来たんだからな」

「えぇっ? そ、そんなっ」


 流石に気後れした様子のホルンに苦笑する。大丈夫、俺も同じ気持ちだ。

 ここが俺たちの新たな拠点。そう言われても、現実味からは程遠い印象があった。

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