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第60話 経過観察

『本日、東京都心では初の積雪を観測することになりました。午後には一度雪が止むという見方はされていますが、今後しばらくはこのような天候が続いていくという見通しです。一部地域では運転見合わせなど……』


 ▲▽▲▽▲▽▲


 その後、オリヴィアさんは治療効果のある高度なルーン魔術を俺の体に施してくれることになった。

 ルーン魔術は理解と応用。ホルンが使うのは特定のルーン文字を基にした単一の意味を由来とする効果の魔術だが、複数のルーン文字を掛け合わせることで更なる違った効果を発揮させることができるのだそうだ。


 これは習得難易度が非常に高いらしく、ゲートを作り出す魔術もこちらに該当する(ホルンには使えない)。


 思えば、ラーズグリーズでも落ち着いた環境で長い時間かけて詠唱しゲートを作り出していたのに比べて、オリヴィアさんは戦場でベイタの隙を見て作り出していたくらいなのだから、その練度の違いというのも窺い知れよう。


 まるで理科の授業で先生が行う実験を覗き込むみたいに、興味深そうに目を丸くして観察するホルンの姿が印象的だった。


「おぉ……。めっちゃ楽になった……」


 そのルーン魔術は、俺としても感動ものだった。

 ずっと腕に残っていた鈍痛や軽率に体を動かせないほどの腹部の痛みが、文字通りすーっと癒えていくのを感じる。

 目を輝かせて感謝する。


 これまでにも超常現象や不可思議は何度か目にしたことがあるが、自分に掛けられることはなかったので猛烈にその実感を芽生えさせることになった。

 これは、まさしく魔法のような所業だ。


 とはいえ怪しまれることは避けたい現状、医師から見てあまりにも不自然すぎる結果にはなってしまわないように、完全回復とまでは行かず、その手前での調整になったが……。


 ひとまずの退院予定日は数日早めることができそうだった。


「シグシグのばかぁ!!」

「ごめんって!」


 しかしその翌日は、事態を聞きつけた綾姉がわざわざ見舞いに来てくれて、俺は病室でこっぴどく叱られることに。


 綾姉はニュースをよく見る人だから、報道されている重傷の学生はすぐに俺のことだと確信したみたいだ。

 だけどこちらのスマホが壊れたせいで一切の連絡が取れなくなっていたことを、かなり心配させてしまったようだった。


「本当にもう……! ほんとにっ、もう……っ!!」


 言いたい言葉はいっぱいあるだろうに、その全てを呑み込んで涙ながらに「よかった」と言ってくれる綾姉に胸が詰まる。

 本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「……でも、ほら、元気だから」


 自分でもそう口にしながら、オリヴィアさんに回復魔術を掛けてもらったあとでよかったなとつくづく思う。

 思ったよりも俺がピンピンしているから、なんとか綾姉も落ち着いた顔色を俺に向けてくれるようになった。


「それで、綾姉に頼みたいことがあるんだけど」

「……なに?」

「俺の車から勉強道具取ってきてもらっていい?」

「ばかじゃない?」


 それはひどい。歯に衣着せぬ痛烈な物言いに思わず首が落ちそうになる。こんな体になりながらも勉強を頑張ろうとする若人に掛ける言葉じゃないぞ、それ。


「休みなよ……休んでる暇ないのも分かるけど……」

「どうせすることがなくて退屈しちゃうから」


 へらっと笑うと綾姉がムッと怒った顔をする。

 いざ入院してみると、当事者よりも周囲のほうが事態を重く見て暗い顔をするものだなと気付いた。目を覚ました直後こそ俺も気が動転していたが、いまでは内心楽しんでいたりもする。

 ホルンの無事が確認できたのも大きいか。


 綾姉は少しだけ不服そうだったが、了承すると俺の荷物から車の鍵を受け取り、入院生活に必要な品を持ってきてもらえることになった。

 勉強も、進めなきゃいけないのは事実である。


 俺が入院している間に冬休みは明け、センター試験は約一週間後。俺はそもそも私大志望で、来月の一般入試枠参加の予定だから、こちらは気にせずにいられるのだが、同学年の生徒から『お前一人だけ馬鹿やってる』みたいに思われるのは嫌だ。

 周囲と同じように、やるべきことはきちんとやっていきたい。


 そういう意味では、勉強に向き直れる時間を確保できたのはいいことなのかもしれない。

 この入院生活、それくらいの利点を見出さないとやっていられない節はあった。


 そんなわけで、入院から四日目。


「――骨折なし。血管損傷、神経損傷状態だったものの、こちらは驚異的な改善傾向。腹部のほうも遅発性出血の兆候はなく、排便や排尿も正常にできていて、感染症の疑いもない。うん、君、すごく運がいいね」

「あ、ありがとうございます」


 医師からの診断を受けて処方箋を与かり、ようやく退院することになった俺は玄関口の屋外で肌寒い空気を一身に浴び開放感を得ることになった。

 本当は伸びをしたいところだったが、あまり大きな運動をするなとは注意を受けているので最小限に留める。


 退院後はオリヴィアさんたちと合流の予定だが、タクシーでも捕まえるべきか……と考えていると。


「……志久真くぅ〜ん」


 ぬぅっと背後から姿を現した宮内さんが俺の顔の真横で突然そう囁いてきた。


「うおぁっ!?」

「今日退院なの言ってくれなきゃ困るよぉ〜。僕ぁまだ君と話したいこといっぱいあるのに」

「俺はないですよ……」


 咄嗟に飛び退いたせいで「アイタタタ……」と腹部をさすることになりつつ。

 厄介な人に見つかったな、と正直感じた。病院の入り口でオリヴィアさんたちと待ち合わせすることができなかった最大の理由の人だ。


 胡乱な眼差しで宮内さんのことを煙たがっていると、彼は「ははは」と乾いた笑い方で悪びれもせずにこう誘ってくる。


「よかったら僕が君の行きたい場所まで連れてくよ」

「結構です」

「遠慮しないで。荷物を持っているのも大変でしょ?」

「………」


 宮内さんが、こう見えて抜け目ない人なのは俺も重々承知している。

 が、有無を言わせないような独特なオーラに飲み込まれ、抗う術を持たなかった俺は渋々とその手を借りることにした。


 慣れない芳香剤の香りが充満する他人の車の助手席に乗り込む。


「そんなに警戒しないでよ」


 行き先はひとまず、荷物を置きたいというていで車を停めっぱなしにしているコインパーキングを目指してもらうことにした。当然ながら宮内さんをホルンたちのもとには連れていけないからだ。


 しばらく走り出したところで、宮内さんは悪い顔をしてこんなことを問いかけてくる。


「それで? 早く退院した理由はあれかな、僕にやましいことがあるからだったりして」

「経過がよかったから早期退院できたんです」

「そりゃそうだ。医師の許可あってだもんね、はは」

「………」

「あ、怒ってる」

「別に怒ってません」


 付き合いが続くにつれてこの人の人となりがよく分かってきたのだが、宮内さんはなかなかの曲者だった。

 あの日見せてくれた情熱のように一つの芯は感じられるのだが、どうにも掴みどころがなくて飄々としていて、厄介な人だ。外見に違わず。

 仮にも警察の人なので非協力的な態度も貫くわけにもいかず、一定のやりづらさを感じてしまう。


 新鮮な酸素を求めてサイドガラスを少しだけ開けると、肌寒い空気が一斉に車内に流れ込んでくることになった。


「志久真くんは夏が好き? 冬が好き?」

「なんですか急に」


 世間話の一環として話題を振られる。「いいからいいから」と胡散臭い笑顔で唆され、俺は「夏ですね」と端的に答えた。

 別に冬も嫌いじゃないのだが、例年じっちゃんの狩猟期の仕事に付き合わされていた記憶もあって、のんびりと長期休暇を味わえる夏のほうが個人的には好きだ。

 冬は除雪作業でも苦心するし。


「ありゃ。じゃあ僕と真逆だね」

「冬好きなんですか?」

「夏は貧血ですぐ倒れるからね……」

「ああ……。レバー食べてください、レバー」


 半分どうでもいい話題だったので投げやりにコメントする。それさえも面白がるような宮内さんのキャラクターがよく分からなくて、やっぱり変な人だなと思った。


 そうこうしていると目的地に到着。


「車、ある?」

「あります」


 シートベルトを外して下車し、自分の車のロックを外すと細い道路の路肩に車を留めていた宮内さんが運転席の窓から顔を覗かせる。


「ふぅん。レンタカーじゃないんだ。持ち車? 学生で? すごいね」

「はい」

「でもそんな状態じゃしばらく車運転できないと思うけど、帰りはどうするか考えているのかい?」

「いや……それはそのとき考えますよ」

「じゃあまだしばらくこっちにいる予定なんだ」

「………」

「ん?」


 嫌そうな顔で押し黙る俺と、ニコニコした表情を浮かべる宮内さん。

 彼の手は手帳とペンを握っていて、何かをメモするみたいに走り書きするものだから、おおかた車両ナンバーでも控えられたのだろうかと疑う。

 何か一言断りでも入れてくれたら喜んで教えるというのに、やはり抜け目ならなくて信用には難しい人だ。

 若干の不平不満を感じつつ、俺は何も言わずにその作業の終わりを待つ。


「さて、じゃあ後は大丈夫かな? くれぐれも二度と巻き込まれないように気をつけてね、志久真くん」

「はい。頑張ってください」


 一応はお世話になった相手なので、深々と頭を下げて走り去るその車を見送る。

 腹いせに俺も向こうの車の車両ナンバーを記憶しておくことにした。


 厄介な人に目を付けられたものだと感じる。

 ひとまず、ホルンたちと合流を目指そう。

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