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第58話 最強のカップル

 それから数時間後、手持ち無沙汰に病室のなかで過ごしていると突然の来訪者の気配を察知した。

 コンコン、というノックに対して素直に入室を受け入れると、スライド式の扉が横に開いてぬっと見覚えのある少女が覗いてくる。


 ホルンだ。


「ほっ、ホルン!?」

「しぐまっ!」


 目を見開いて驚く俺に対し、彼女はタッと駆け出すといまにも泣き出してしまいそうな表情を浮かべながらベッド横の手すりにしがみついて足を止めた。俺がこんななりでなければ、その勢いのまま抱きついてくれていたんじゃないかと思うほどの急接近だった。

 心臓が高鳴る。ずっと不安だったから、俺だって涙ぐんでしまいそうになるなか、入室してきたのは彼女だけじゃないことに気付いた。


 やや緊張した面持ちで部屋のなかをぐるりと見渡しながら中に入ってくる美人な女性と、かなり背が高く一際の存在感を放つイカした壮年男性の姿。

 直接の面識はないが、映像で確認したので見覚えがある。

 交差点からホルンを連れ出した人たちだ。


 彼らのことも気がかりだが、それ以上にやはり再会できた喜びが俺のなかでは上回っていて、目の前のホルンに再び目を向けた。


「無事だったか……!」

「しぐまこそ……! よかった! よかったです!」


 動かすことのできる右手でホルンと手を繋いで、お互いの無事を実感し合う。彼女は両手を重ねて握り返すと、まるで愛おしいものを抱きしめるみたいに頬を寄せて目を瞑るものだから、それをされた俺は腹の内から込み上げてくる羞恥心を感じた。


 口元をもごもごとさせてしまっていると、微笑ましいものを見る目で見守ってくれていた男女がふいに机の上の名刺に気が付く。

 手に取り、二人で確認すると、少しだけその表情を強張らせていた。


「あの……」


 俺は神妙に声をかける。

 何者なのかをまず問いたかった。

 しかし、彼らが何かを口にする前に手前のホルンは明るい表情と弾む声音でこう言う。


「しぐま、この二人はとても信頼のできる、私たちの心強い味方です!」


 そんなホルンの態度に目をぱちくりとする。彼女がこんなにも心を開いているとは意外だった。ゲートを使っていたこともあり、ワルキューレの関係者であることはきっと間違いないのだろうが、俺は少しだけ置いていかれたような気分になってしまう。


「ご挨拶が遅れて、ごめんなさい。ホルンちゃんの言う通り、私たちはあなたたちを助けに来た、味方よ」


 少しだけ前に屈みながら、うやうやしくそう口にする女性。不思議とホルンが大人に近付いていけばこのような面立ちになるのかなと連想する。ラーズグリーズやベイタ、カーラを見たときには感じなかったものだ。


 あまり争いごとを好まなそうな眉の形が特に似ているのだろうか?

 その髪型や身長、体型については比べるものじゃないと分かっているが……。思わず視線が下に下っていって、意識せずに喉が鳴る。

 かなり目のやり場に困るものを感じた。


 少しのやましさから、ホルンのほうを振り向くことができなかった。



「私の本当の名をブリュンヒルデ。元異界警備隊に属し、愛する妹たちワルキューレの長姉。ここ三世紀くらいは平和を意味する『オリヴィア』という名を好んで名乗っているわ。ダァリンはリヴ、リーヴァって呼んでくれる」


 病床の俺を囲むような形で椅子に座ってもらって、自己紹介と近況報告をお互いにすることになった。

 椅子に座るブリュンヒルデ……オリヴィアさんは、膝の上で手のひらを重ねている。その手首には確かにドラウプニルが装着されていたが、左手のそれはひび割れて壊れてしまっているように見えた。


「そして、ダァリンの名前はシグルド。とてもい時間、私と一緒にいてくれる運命の人よ」


 惚気るように頬に手を当て、体をくねらせるオリヴィアさん。

 隣に目線を向けると、サングラスをした男性は会話を邪魔しないように無言で頷いて妻からの紹介を認めた。


 シグルドに、ブリュンヒルデ。


 その名を聞いて、気付かないでいることのほうが難しい。片や叙事詩や伝説で語られる竜殺しの英雄の名で、片や北欧神話において代表格のワルキューレの名だった。

 以前図書館に足を運んだ際、ワルキューレと人の物語であったことから、俺はその内容を認知している。


「……本物?」

「そう問われては、少しばかり返答に困るものがあるが」


 低く重圧のある声に振り向く。サングラスを外しながら俺の問いかけに答えてくれたシグルドさんは、まるで名俳優のジョージ・クルーニーみたいな人だった。

 野生的かつ紳士的。相反する二つの属性を同時に兼ね備え、大人の色気をムンムンと放つダンディズム。

 全男の憧れのような『渋さ』がある。


「ちょうど、君たちのような境遇に我々が陥ったとき、当時の我輩とその妻には後世に語り継がれるような悲劇的な幕引きが必要だった。改変され、一人歩きしたものも多いが、我らを語る物語の大半は創作だ。我輩がそうであることを望んだ」


 伝説上のシグルドとブリュンヒルデを扱う物語では、輝かしい栄光を掴み取った男の悲劇的な最期を描くものとして語られることが多い。


 この二人が悲恋を迎える理由として、シグルドが自覚的に行動する場合と一国の王女に薬を盛られ無自覚に行動する場合があるのだが、いずれにしてもブリュンヒルデを別の男と結ばせるために男になりすまし、試練を乗り越え、婚姻する。そのとき別の男はシグルドになりすましており、試練を乗り越えられなかったシグルド(偽)にブリュンヒルデはひどく落胆するのである。


 時は流れ、その後、試練を乗り越えられなかったシグルドを情けない男だと思っていたブリュンヒルデは一国の王女と口論を繰り広げるのだが、そこで王女の口から真実が明かされてしまう。

 信じていた男は自分を嵌めたのだと裏切りに失意したブリュンヒルデは、シグルドのことを殺め、その火葬の火に自身の身も投じてしまうのであった……。


 竜を屠った英雄にしては、なんとも人間的で、愚かで、残念すぎる顛末なのだろうと思う。

 それが俺の知る、シグルドとブリュンヒルデの物語だった。


「しかし、実際のところは」

「見ての通り、ラブラブってワケ♡」


 きゃっ、とあどけなくはしゃぎながら、オリヴィアさんは隣の夫にもたれかかる。その仲睦まじい様子には、見ているこちらのほうが気恥ずかしくなるものを感じてしまう。

 気まずくてリアクションに困っていると、咳払いをしたシグルドさんが話をまとめてくれた。


「つまり、我々は、君たちの先達であるということだ」

「先達……」


 まさか、実在する人物だとは思わなかった。

 シグルドとブリュンヒルデ。最古の人間とワルキューレの物語。

 いま俺たちの目の前にいるのは、年末から始まった俺とホルンの関係の最終到達地点であるのかもしれない。


 ……目の前で行われている邪念は、脳内から必死に振り払いながら。


「どうやってワルキューレの追跡を逃れたんですか?」

「契約をしたの。でも簡単じゃないわ。それに、私たちは今回の件でそれを反故にしたことにもなる。本来、彼女たちの任務に介入してはならなかったのだけど……」


 オリヴィアさんはホルンに目を向けると、その後ろからそっと首に手を回して包み込むようにハグをした。

 ホルンは頬を緩め、嬉しそうに受け入れている。


「当時の私のような妹が、目の前にいたんですもの。目を背けることなんてできやしないわ」


 二人は見つめ合うと、お互いにくしゃっとはにかんで笑った。いままで見てきたワルキューレの姉妹関係からは想像もつかないくらい、ただの仲睦まじい美人姉妹だった。


 そんな光景を見て嬉しくも思う反面、急速に侘しさのような感情も生まれる。自分でもよく分からない。本来は祝福されて然るべき状況なのに、俺は……。


 俺は、自分がお役御免になったことをまだ受け入れられていないのか……?


「じゃあ、もうホルンは安全なのか……」


 ほっとして絞り出したコメントは、ささやかに震えていて不自然だったような気もする。俯いて独り言ちるように声にすれば、しかし間髪入れずに「いや」とシグルドさんから否定が入った。


「それが、そうもいかないだろう。先の交差点での戦いは終末への時計の針を推し進めるものだ。この先、時代はさらに神話の頃の色を帯び出していく」

「え……」


 シグルドさんは窓から見える外の風景を指差した。

 東京はみぞれのような天気が続いていたが、本格的な雪模様となっているみたいだ。


「〝風の冬〟だ」

「………風の、冬……?」


 彼は険しい顔でその到来を告げた。

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