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第53話 最後のチャンス

 その後、ベイタを出し抜くために入念な打ち合わせを行った俺たちは、じっくりと機を窺うように潜伏し、その日の深夜零時を回ってからついに作戦を決行することにした。

 定点のライブカメラが置かれている場所もしっかりと把握済み。まずは予定した場所へ移動し、物陰に潜んでホルンと最終確認をし合う。


「本当に、大丈夫なんだな?」

「はい……。やれます」


 二人で頷き合った。

 すると、ホルンは左手のドラウプニルをなめらかに変形させてブラスターの形状にし、その射出口を天高く上空へ向けて小さな光の弾を放つ。

 その光がしぼむように消えるまでを見届ける。

 これで、おそらく俺たちの居場所を探し回っているであろうベイタはすぐに勘付くはずだ。


「始めよう」

「はい」


 俺たちは表通りへ出た。



 深夜の渋谷駅前、スクランブル交差点。各行先の終電も見送り、世の中の社会人は明日も出社を控えるはずの今日だが、夜更けであることなどお構いなしにやはりこの周辺は人の数や車の往来が激しいし多い。これでも日中よりはまばらなのだから、人口比は地元と比にならない。


 もう少し時間が回ってからのほうがよかったか――。と街行く人々の様子を盗み見しては少しの不安を感じてしまいつつ、妙子さんとの兼ね合いもあるのでこの時間帯に決行するしかなかった。


 スマホを開いてライブカメラを確認する。同接視聴者数は三百二十人。今朝怪鳥の出現があったことを考えると、興味本位で張っている層も多いようだった。


 路肩の薄く張った氷のような雪を見る。たっぷりの排気ガスとゴミを含んでいるからその色は汚い。いま現在もはらはらとみぞれのような雪が舞い散るが、傘を差すほどの天気ではないのが幸いだった。

 とはいえ、長く待ち構えることもできない。決戦には邪魔だからと俺の隣に待機するホルンは本来のワンピース姿に戻っているからである。


 着込む俺とは対照的に肌寒そうな格好を余儀なくするものだから、いつか誰かの目に止まって補導されてしまわないかと別の意味でも緊張していた。


「ふぅ……」


 深呼吸をして息を整える。

 いつベイタが現れてもいいように周囲を警戒した。


 ホルンのドラウプニルがある限り、奇襲に怯える必要はあまりない。ホルン自身の身に降りかかる危険を予測した非常信号で致命的な結果は避けられるからだ。

 本当に注意するべきは、それ以外の形で奴が姿を現すシチュエーション。長く追い続けた獲物が自ら姿を現したわけなのだから、ベイタの性格を考えると、その意を汲んで正々堂々乗り込んでくるだろう、というのが俺とホルンの考察だった。


 交差点の信号が一斉にその色を変えると、歩道で立ち止まっていた人々の塊が一様に歩み出す。

 大きな動きが発生する、瞬間。

 その人混みを、よく目を凝らして確認する。


 格好が分かりやすいからすぐに判別できた。

 ――確かに、奴の姿はあった。


「……!」


 息を呑んで身構える。その威圧感をまるで隠さずにズンズンと力強い足取りで接近するベイタは、やはり周囲を気にしてか目立つ行動は避けているみたいだ。しかし、それもこの瞬間まで。横断歩道が青信号になったということは、関連して足を止めていた人間はいなくなることを意味する。

 慎重に対話を試みなければならない。


 ベイタが何かを言う前に、俺は真っ先に口を開いた。


「待て、俺は話がしたい。ここは生中継されていて、三百人がお前のことを見ている」

「それがなんだ?」


 手に持っていたスマホの画面を見せつけ、ここが生中継されている現場であることを知らしめようとすると、ベイタは瞬間的に変化させたドラウプニルの槍で俺のスマホの画面を刺し貫いてきやがった。


「な……ッ!」

「それがどうした?」


 抜き払うように容易く捨てられ、ベイタは涼しい顔をして槍を元の形状に戻す。そのあまりの手の速さ、手際の良さに俺は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 いまのはまだスマホだったからいいが、あの速度で肉を抉られていたらたまったもんじゃない。

 これが、誘き出すということ。

 ベイタは内なる怒りを眼光から覗かせていた。


「まったく、何がやりたいのかよく分からないぞ。自ら姿を現して、これは罠のつもりか? それとも観念でもしたか……。よもや更なる罪を重ねる気ではないだろうな?」


 そう言いながらベイタはホルンに目を向けるので、俺はその視線を阻むように間に割って入った。


 ベイタの言葉の意味を考える。


 ホルンからも話は聞いているが、ワルキューレは本来人間に感知されてはならない存在らしい。ホルンは実戦経験が少ないのと、じっちゃん家での戦いのように相手が少数であればベイタは問答無用で乗り込んできた事実もあって、掟の適用範囲がよく分からなくなっていたみたいだが……。


 異界警備隊は、『陰から世界を守護する』とするように表舞台には基本立たない。それこそがラーズグリーズの忠告の真意であり、俺たちの数少ない強みだった。

 そして、それを利用すると決めたのも、生き残るために目を背けてきた選択も、ベイタには本来糾弾する権利などないはずなのだ。


 それは前回も俺が指摘したように、俺たちは抵抗のためにしか目立つ行動は取っていないから。


 ――そう、お前さえ殺しにこなければ、俺たちはウィンウィンの関係になれるはずなんだよ……!!


「お前に用はない」


 ホルンを庇う俺を前にして不快そうに眉を寄せたベイタは、俺のことなどあっけなく無視するとその背後に立つホルンを挑発する。


「十分楽しめたのだろう、ホルン。先日まで着ていたあのチンケな服はどうした? お洒落がしたいなら私を見習えばいいものを」


 ベイタはかかとを鳴らしてご自慢のヒールを強調するとホルンの服装を鼻で笑う。確かに、綾姉の前では綾姉が買ってくれた服を「嬉しいから」と律儀に着るようにしていたホルンだ。ベイタに見られてしまったのは苦々しく感じる。

 ……気に食わない。ワルキューレってのはどいつもこいつもこんな性格なのか?


「だが、死に装束にワルキューレとしての正装を選ぶその心意気は買ってやる。分かったのなら、早くその男を払って前に出てきたらどうだ?」

「ホルンのことを馬鹿にすんのも大概にしろ……!」

「十秒だ」


 俺が憤ったところでベイタにしてみれば虫ケラ同然なのか、相手にされない。

 冷酷無比なカウントダウンが始まる。


 舌打ちが出そうになるのをグッと堪える。


 やはり交渉など不可能なのか? こいつらに話は通じないのか? 歯噛みする俺とは対照的に、ベイタはその手に槍を形作っていく。ダメだ、計画の破綻を自覚する。もはやベイタには、人目など関係ないようだった。

 こいつは本気で今回を最後にするつもりみたいだ。


「ちっ――!」

 もはや、対話の余地などない。


「ゼロ。ここまでだな」


 全身の筋肉を振り絞って投擲の構えを取るベイタ。その目は俺とホルンを丸ごと刺し穿つことに一切の躊躇がないようで、これ以上はどうにもならないと悟ると俺は退避するように間一髪で飛び退いた。


 槍が、ホルンの体を貫く。

 彼女は身動きの一つも取れないほど固まっていて。



「――残念です! ベイタ!!」

「ハッ、だろうなァ!」



 霧のように霧散していくホルンの体。人形デコイを生成するルーン魔術で形作られたそれはベイタを撹乱し、俺が買って出た交渉の失敗を確認した本物ホルンが陰から奇襲する手筈だったが、しかしその作戦もベイタは予期していたように背後を振り返って対応する。


 目の前で交戦が始まる。


「くっそ……!」


 俺はその余波から逃れるようにすぐさま起き上がって様子を窺った。

 ホルンとベイタの戦いは、この渋谷スクランブル交差点を中心に幕が開けたのだ。

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