翌日。六時間パックの延長なしで店を出るため、バイブレーションのみのアラームで数時間の休息を終えて起床した俺は、いくらか体力を回復させた状態で今日一日の行動を始めることにした。
朝、明るく人通りの増した街並みは夜の顔のそれとまるで違っていて、都会ならではのさんざめしい喧騒には『そうそうこれこれ』と頷きたくなるものを感じる。
安心感があった。
「それで、昨日の話だけど」
俺とホルンは、近くのハンバーガーチェーン店に足を運んで朝食を食べていた。ホルンはパンケーキセットを選び、俺はソーセージエッグマフィンにかぶりつく。
このチェーン店の朝食の限定メニューを口にしたのはこれが初めてだが、うむ。なかなかイケる。
「あやのお家で考えていた作戦を、やはり実行することにしませんか」
ホルンは、そんなことを切り出した。
俺は得心がいったように頷く。
確かに、俺たちは綾姉の家に滞在していた頃は対ベイタの方針をずっと固めていて、それに向けた作戦会議を年末ぐらいから何回かに分けて開いていたんだよな。
交番での襲撃時にベイタを良いように言いくるめられたのも、二人でなんとか知恵を絞って、このやり方ならベイタのプライドを刺激できるんじゃないか……と考え出した立ち回りを実行した結果だ。
現に通用はしている。
ラーズグリーズにはその選択をあっけなく否定されてしまうことにはなったが、『逃げる』か『立ち向かう』かの二択で言えば後者のほうを選んでいこう、というのが当初の俺たちの方針ではあった。
ホルンはいま、改めてその方向性で舵を切りたいと俺に相談しているのだ。
「姉様に『高望みはするな』と言われてから、私、ずっと考えていたんです。確かに逃げるだけの生活でも、あやのお家で過ごしたようなかけがえのない時間を送ることはできる。……だけど、そこに私がいたせいであやにあんな顔をさせるのは、やっぱり間違いだと思うから」
そう語るホルンの顔は、いつものように深く思い詰めたような悲壮感ある面持ちではなく、俺の目を真っ直ぐに見つめて、覚悟と自信に溢れているように見えた。
俺がこう言うのもなんだが、綾姉や俺の身に命の危機が迫ったのもあって、ホルンのなかで何か大きな心境の変化を迎えることになったのだろう。
ようは、それだけ彼女は俺たちの存在を大切に思ってくれるようになったことの裏返しで。
「それに、しぐまには笑っていてほしいと思いました」
「ん?」
突然、急角度の予期せぬ球が気恥ずかしそうにはにかむ彼女の表情と共に投げつけられて、困惑する。
ホルンは慣れない本音にぽりぽりと頬を掻きながら。
「一緒に暮らしていて、気付いたんです。しぐまは、険しい顔をするだけじゃなかった。実はとっても表情が豊かで、あどけなくて、あやといるときのしぐまはすごく自然だなと私は思いました」
「……あどけないって、なんだよ」
横浜での生活に想いを馳せるようにして語るホルン。
その感想が妙にこそばゆくて身じろぐ。誰かが聞き耳を立てているわけでもないのに、牽制するように周囲に視線を配ったりした。
「……別に、お前の前でも笑ったりするだろ俺は」
「でも、悩ませてしまうことが多いから」
図星を突かれて言葉に詰まる。しかしホルンは気を悪くすることなく、自然な流れで話を結論に導いた。
「姉様は喜ばないかもしれませんが、私はこのまま現状維持というのも嫌です。目立たず大人しくしていても殺しにくるとベイタが宣言するのなら、それが例え解決には繋がらなくても私だって彼女にやり返したい。……これ以上、立場が悪くなることはありませんから」
意志強く、ホルンはそんなことを宣う。
沸々と胸の内に込み上げてくる感覚があった。
突如として日常を破壊される恐れ。
きっとホルンは、昨日の出来事を機に、そんなことを強く意識したわけだ。
「そうだな――」
頷いて同調する。
確かに、俺たちが今後どんな行動をしたところで向こうの対応というのは変わらないわけで、仮に投降したとて生き延びられるという保証さえないのなら、やり返したいと考えるのは大いに賛成だ。
俺だって、じっちゃんの家の窓と襖に、車のサイドガラス、綾姉のことでベイタには深い恨みがある。
「俺が触れればワルキューレは掟破りになる……って気付けたのも、切り札の一つにはできるしな」
それが火に油を注ぐことになるか、カーラのように失意の底に叩きつけることができるかは分からないが。
俺自身にも強力な武器があると気付けたのは大きなポイントの一つだった。
ただ、そうなるといくつか問題が。
「ベイタが警官を巻き込むのは意外だった」
そもそもの作戦会議では、年末のオカルト特番でトラック運転手から証言されていた『動画を消せと黒い女に迫られた』という情報をもとに、映像に残る環境にベイタを誘い出してなんとか対話に持ち込めないか……という案をまず考案していた。
例え対立が確定していても避けられるならそれに越したことはなかったから、どうにか議論の場に待ち込むため、ベイタに強気に出させない方法というのを何かないか必死に考えていたのだ。
ラーズグリーズからの情報提供によって、奴らが人目を避ける習性がある事実は裏付けられたが……。
「見境ない動きをされると、危険だ」
一般人を巻き込みたくはない。しかしベイタの動きを制限するためには観衆の存在は必要不可欠で、全くのひと気のない場所で戦うというわけにはいかない。
ここで頭によぎる懸念点といえば、数日前にテレビで見たニュースの内容だった。
「ラーズグリーズに確認すればよかったな」
「そうですね……」
巨獣災害のニュースを特に取り立てて連日報道していたマスコミの上層部が、年明けから相次いで不審死した。以来、パタリとテレビではUMAなど関連したニュースを扱わなくなってしまって、昨日の交番の件も一言紹介されるだけで朝は流れて終いだった。
ワルキューレは原則人間を手にかけることはない。
この認識で対応を考えていたから、それが破られているとなると迂闊な行動も取れないのだ。
「周囲に人がいないが、カメラなどの注目があり、奴を安全に誘い出すことができて、俺たちが先手を取りやすい有利な場所……」
向かい合って頭を悩ませる。
そんな都合のいい場所があるはずもなかった。
そんなときだった。
「ねー、スクランブル交差点の近くに変な鳥が止まってるらしいよ」
「それマ? 見たい見せて」
「てゆーか、見にいく?」
「ヤダ。危ないヤツだったら大変じゃん」
マ◯ドナルドの隣の席で会話するJKだ。
ファッション制服という概念がよく分からないため、『まだ冬休み明けてないよな??』と内心怪訝に思ってしまいながらも、興味深い会話に思わず耳をそば立てる。
窓辺のカウンター席に座る二人組の女性は肩を寄せ合いスマホの画面を食い入るように見つめていた。
思わず俺もスマホを取り出して検索してみる。
「これか」
ネット上では話題になるのが早く、すぐに情報源を見つけることができた。
どうやら渋谷スクランブル交差点のライブカメラに珍妙な鳥が映っていると十五分前から話題になっているみたいだ。
動画サイトに飛んでみると、七百人近い視聴者がリアルタイムで映像を確認しており、実際に画面の右端あたり、街灯の上に留まっている大鷲のような三つ首の鳥を確認する。
画面越しでも現場の困惑具合が伝わるようだった。
「向かいますか……?」
「いや、今は用心しよう……」
下手に関わりに行って、ベイタが先に俺たちの所在地に気付いてしまうような展開は避けたい。
息を呑むように画面を見つめる。
しばらくして、バサリと羽ばたいた怪鳥は画面にも映らない遠くへと飛び去っていった。
コメントの盛り上がりが最高潮に達するなか、ほっと息をつく。
そこで、はたと思いつく。
「なるほど……、これを使ってみるか」
「はい?」
ホルンは不思議そうに俺の顔を見上げた。