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第49話 ゲル

 カーラが、「あいつはアタシとラーズグリーズが取引をした現場にいた!」と息巻くので、法廷には証人として年若いワルキューレの少女・ゲルが招集されることになった。

 その待ち時間に、イライラとした様子で腕を組み何度も指先をタッピングさせていたベイタは、隣のスクルドに顔を寄せて耳打ちする。


「一つ、仕事を残している。長引くのならあとはヘルヒヨトゥルに任せてもいいか?」

「おや。仕事ですか」

「もう一人の掟破りの追跡だ」


 ベイタがそう言うと、スクルドは得心いった様子で大きく頷いて彼女の離席を認可した。

 人知れずベイタはノルニル裁判を抜け出し、幾度目かのミッドガルドへ向かう。


「へ、へへェ……どうしたラズ姉? 内心、恐怖で心臓がバクバクなんじゃねぇかァ? 涼しい顔しちゃってよ〜〜〜。キヒヒッ、まさかゲルの野郎がアタシとラズ姉の運命を決める最後の砦になるとは思わなかったぜ!」

「………」

「あいつはバカだ! 絶対に真実を言う! ヒリつくなァ〜!? 知ってるか、嘘つきは重罪なんだぜェ!?」


 この裁判において、ラーズグリーズは事実を根底から覆す『嘘』で乗り切ろうとしている。なかでもホルンのために交わした取引の否定は決定的で、ここに突破口があるとひらめくとカーラの心は浮き足立つ他なかった。


 ――ゲルは、そのやり取りを見ている――。


 どれだけ巧妙に嘘を吐こうが、口が上手かろうが、やはり最後には真実が勝つのだとカーラは興奮する。これで当初の目的を果たすことができる。ラーズグリーズを道連れにしてやりたいというカーラの醜く捻じ曲がった欲望は、あの時はただ疎ましいだけだった馬鹿正直な妹の証言で叶えられるのだ――……。



「へっ? なんのことっすか??」



 カーラは、空いた口が塞がらなかった。


 証言台に立たされたゲルは、事の重大性と『冗談の許されない空気』と言うものがよく分かっていないのか、とぼけた様子と困り果てた態度でへらへらと笑う。


「っ!」


 仕組まれたのか――?

 カーラは咄嗟にラーズグリーズのほうを振り向いて睨んだが、彼女もまた瞑目して静かに座するのではなく、ゲルのことを一点に見つめることから、『これはラーズグリーズのとっての予定調和でもないのだろう』という確信をカーラは得た。


 とするとだ。


「!?」


 こいつは、バカなのか……!?

 いったい何を考えていやがる……!?!?


 カーラは拘束具を打ち付けて大きな音を鳴らすように暴れ、聴衆の注目を集めながら、ゲルを詰問する。


「おい! おいバカ! 分かってんのか!? てめーの鶏みたいに小せぇ脳みそは鶏みてぇにたった三歩でも歩いたら忘れんのかァ!? 違うよな!? バカって言われたくなきゃ真面目に答えろッ、こンのバカ!!」

「ハァ!? ちょっとなんなんすか!! ひどい言いようっすよ!? うちは正しいことしか言わないっす!! カーラが全部悪いっす!!!」

「ンなぁ!?」


 声を大にして指を突きつけ、まるで先生に悪事を告げ口する優等生みたいに振る舞うゲルの姿を見て、カーラは視界がぐにゃりと歪むのを感じた。


 それは明確な裏切りであり、ラーズグリーズに対して感じたもの以上の失望だった。


「な、なぁ、嘘だろ、ゲル……? な、なんでアタシを裏切るんだ? 正直に言えば、それでいいんだぞ?」

「おや、カーラ。裏切りだとは、自身で招いた証人と口裏を合わせ共謀でもしていたことの自白ですか?」

「ッ、違うッ!! むしろ共謀してるのはラズ姉様のほうだよ! これは事実じゃない! 間違ってる!!」


 そう懸命に訴えかけるカーラの目には涙さえ滲んでいた。いよいよ立場が危うくなってきて断罪を意識したから? 否。カーラにとってゲルは唯一の友人であったことから、彼女のその嘘はどんな言葉や出来事よりもカーラの身に堪えた。


 それは、唯一カーラの心のメッキの内側に深々と突き刺さる『嘘』だった。


「ゲル! ここは正直に言わなきゃダメなんだ! 何を考えてんだ!? 姉様に脅されたか? 姉様に美味い条件でも見せびらかされたか?? 口が上手いもんなぁ、騙されることはねぇぞゲル! ――お前はっ、アタシの友達だろ……!?」

「それとこれとは関係ないっす!!」


 落雷のような言葉が鋭くカーラの胸を抉った。


 ………。

 バカだ、バカだとは思ってきたが、これほどまでとは思いもしなかった。

 バカだ、バカだとは思ってきたが、アタシとお前は仲が良いと思ってた。

 バカだ、バカだとは思ってきたが、ゲルだけは他の姉妹と仲良くできないアタシにも懐いてくれていたと思ったのに。


「――お前もアタシを裏切るのかよ」


 その呟きは、誰の耳にも入らなかったはずだ。


「ともかく! うちは何も知らないっすからね!! 早く解放してほしいっすー!!」


 カーラの心象の吐露すらも掻き消すみたいに、ゲルの騒がしい声が法廷内にややこだまする。

 ガベルを打ち付けたスクルドは、改めて確認を取るようにゲル、そしてラーズグリーズにこの場で証言した言葉の全てが正しく真実であると誓わせた。


 いったい何を考えているのか、ゲルは自信たっぷりに頷き、ラーズグリーズはやや眉根をひそめながらも神妙に頷く。


「嘘つきだ」


 それを見たカーラは、目から血を溢しそうなほどに二人に対して惜しみない憎悪を向けた。


「嘘つきだ! 嘘つきだッ! ぜェーいん嘘つきだ!! ラーズグリーズは!! アタシと取引したんだ!! そしてゲルはそれを見てたんだ!! それを口止めするためにゲルのきったねぇ部屋を掃除したのもアタシだ!! アタシはあの男が憎かったから、ラーズグリーズに知恵を借りて痛めつけることにしたんだ!! ただ部屋を借りたわけじゃない、ラーズグリーズはアタシに協力したんだよ!! なのになぜ裏切ったか! 男がホルンを逃すのを手伝う奴だったからだ!! ラーズグリーズはだからアタシは裏切ったんだ!! ホルンのために姉様方を裏切って、ホルンのためにアタシさえも裏切ったんだ!! 本当だ!!」


 一息にカーラは事実を陳列する。


「どうなんですかラーズグリーズ?」

「いいや?」

「ヂィッ! なんでだよォっ……!!」


 しかしまともに取り合ってはもらえなかった。

 ラーズグリーズとゲルが首を振ると、スクルドはそれを受け入れる。まったく仲がよろしいことで。カーラは全てに絶望していった。


 それは元々の信用の違いだろうか。いま起きたこととは何ら関係ないその判定材料で、スクルドはラーズグリーズの言葉を簡単に鵜呑みにし、事実は軽々に覆され、全ての罪はカーラに集中し、処刑が決定する。


 乾いた木槌の音がやけに耳にこびりついた。


「卑怯だぞ……卑怯だぞ、姉様。こんなのあんまりだ、こんなのってあんまりだ! アタシだって妹なのに。あんたの妹なのにっ!!」


 ヘルヒヨトゥルに連行されながら、通り過がりにカーラはラーズグリーズへそんな言葉を残した。

 怨みを向けられたラーズグリーズは、何も言い返せずに沈黙した。




 ……それから。


「エェッ!? カーラ死んじゃったんすか!? えっ!? うちのせいっすか!?!?」


 カーラの刑執行は、約二十四時間後となった。


 ラーズグリーズは個別にスクルドから呼び出されているが、閉廷に伴い数々のワルキューレが解散していくなか、彼女は近くにいたゲルを呼び止めて証言台での発言の真意を問い質す。

 カーラはまだ死んだわけではないが、やはりゲルは証人というものの発言力を正しく理解していなかったみたいだ。


「……いや、私のせいだ」

「ああ、それなら良かったっすー。なんか揉めてましたもんねぇ、お二人」


 ゲルに車椅子を押してもらいながら人気のない回廊を二人は行く。彼女はあっけらかんとそう口にして、呑気にも朗らかな笑みを浮かべていた。


 そんな彼女の希薄な姉妹愛にラーズグリーズは釈然としないものを心のうちにどす黒く描いてしまいながら、それを表情には出さずに淡々と問う。


「どうして私を庇った?」

「あ、それなんすけど」


 ぴたりと足を止めたゲルはラーズグリーズの前に回り込み、視線の高さを合わせてニマッと笑う。


「うち、初めて男の人を見たんす。めっちゃかっこよかった! 心の奥がじんわりと熱くなって、お腹の下がぐぐぅっと疼いてしまうような……! そう、うちは恋をしちゃったんす!」

「……は?」


 それは、志久真と共にヴィンゴールヴの裏庭を目指していたなかで、呼び止められかけたあの一瞬の出来事のことを言っているのだろうか。

 予想の斜め上を行くゲルの真意に、ラーズグリーズは思考を硬直させる。


「だから、取引したいっす。言っときますけど、ラズ姉様には拒否権ないっすからね? うちのおかげでここにいられるんすから! 忘れないでほしいっす」

「……ゲル。それがどういう意味か分かっているのか?」

「もちろん、分かっているっすよ。乙女の恋は誰にも止められない! うち、生きがいを見つけちゃったんす――!!」


 そうやってきゃぴきゃぴとはしゃぐゲルを目の当たりにして、ラーズグリーズははたと思い知る。


 この先、私はいくつ罪を重ねていくのだろうかと。

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