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第48話 ノルニル裁判

 志久真たちが次の方針を定めて動き出そうとしている一方、天穹陸に聳えるヴァルハラでは、情状酌量の余地もない蛮行を為したカーラではあるがその真意を問い質し厳正に処罰するために臨時の会合が開かれていた。


 その名も――ノルニル裁判。

 三百年前、とあるワルキューレを永久牢獄に収監して以来通算八度目になる開廷だ。


 結論として、此度のカーラが死罪を免れるのは不可能と目されているが、その動機や手段は今後のためにも詳らかにしていく必要がある。

 カーラは、本来あってはならないことをした。


「さっさと座れ」

「チッ、乱暴なんだよ!」


 連行するベイタに背を突き飛ばされる形で中央座席に座らされたカーラは、忌々しそうに睨みを返しながら、真正面の法壇に堂々と座するスクルドを見上げるように向き直る。

 その手元からはドラウプニルが剥奪され、代わりとばかりに両腕の前腕部を覆い隠す鉛製の分厚い手枷が装着させられていた。


 ノルニル裁判は、裁判といっても、その実情は異端審問のようである。この場には弁護士も検察官もいなければ、全ての決定権を持つ運命の女神と執行官としてのベイタ、書記が法壇にはいるくらいだ。

 しかも、今回は臨時で執り行われたノルニル裁判であるため、本来は三柱の運命の女神が横一列で並んで審議するはずがうち一柱のスクルドのみが出席する。


 事件が露呈した時点で、元より生き延びる道などあるとは思っていないが、そりゃないぜ、とカーラは苦笑した。

 ヴァルハラを聖域のように考えるスクルドが、この場所に人間を連れ込んだカーラのことを許してくれるはずはなかったのだ。


 周囲を見渡す。被告人席に座するラーズグリーズは一度もこちらと目を合わせず涼やかな顔をしているし、法廷をぐるりと取り囲むような傍聴人席には任務中の者を除いて多くの見知ったワルキューレの姿がある。

 その全てが、いまや自分の敵だ。


「ヘッ……」


 ついつい、不敵な笑みを溢す。何も抵抗の意思があるわけではない。ただこれほどまでに大層な出来事になってしまったのが、妙に面白くて仕方がなかった。


「静粛に」


 険しい顔をしたスクルドがガベル(木槌)を二度打ち付けると、法廷内は瞬時に静寂を取り戻す。

 彼女はカーラのことを見下ろしながら、まずはこうなった原因を周知させるための経緯説明から入った。

 その声は低く、怒気を感じられる。


「いまから約四時間前、認定罪人であるカーラは任務と偽ってミッドガルドへ出立、あろうことか無辜の民を捕縛するとヴァルハラ内部へ連れ込み、第三条で禁じられているところの『人間と触れ合ってはならない』掟を破って、実際に皮膚と皮膚で触れ合いました」

「……きしょい表現すんな」

「聴こえていますよカーラ。お黙りなさい。こちらは、ヘルヒヨトゥルの目によって宮殿からの脱出を目論む人間の姿と、カーラ自身からポータルを起動させる権限の消失を確認したため、認定罪人自身の弁論は必要としません」

「ハァ!? 言い訳もさせてもらえねーのかよ!」

「はい」


 背面にルーン文字の刻まれたタブレットのような石板を操作しながら、こちらには一切目もくれずに答えるスクルド。普段は掛けていない眼鏡を装着し理知的に振る舞っているのも、いまのカーラにはいけ好かない。

 淡々と議会は進行する。


「しかし、問題はここからです。執行部の監視をすり抜けてカーラが事を為したのは、地上一階南西の方角の壁によく目を凝らさなければ知覚できないほどの微々たる魔力で形成された『秘密の部屋』と呼ばれる空間の存在でした。当然ながら執行部は感知しておらず、正真正銘、我々の目を欺くために作られた部屋であると認識します」


 スクルドの目がラーズグリーズに向けられる。


「カーラの証言によると、あなたの手引きのようですね」

「………」


 ラーズグリーズは目を瞑った。


 カーラと手を組んでしまった時点で、この展開もある程度は予期していたのだろう。ラーズグリーズは動揺こそせずにいたものの、強く否定の言葉も吐かずにただ沈黙する。


「沈黙は肯定と見做しますが――。答えなさい」

「………、ああ」


 避けられず、ラーズグリーズは返答した。

 それを見てカーラは口角をニィと上げる。


「――キヒッ!」


 それはとても満足のいく姿だった。粛々と罪を認めるような姉の情けない姿を見て、カーラは拘束された身でありながら子どもみたいに飛び跳ねてはしゃぐ。

 アタシはこの姿が見たかったんだ!とカーラは爛々と瞳を輝かせる。


 これは、思惑通りの展開だった。


 カーラとてタダで処分されるつもりはなく、連行前、秘密の部屋を見つけ出してきたヘルヒヨトゥルとベイタの靴を舐めるような勢いで浅ましい命乞いをしてノルニル裁判の開廷まで漕ぎつけたのも、全てはこのためだ。


 カーラは寝返ったラーズグリーズを許していない。

 この際自分の生存可否はどうでもいい。

 ただ人の愉快な気持ちに突然小便を引っ掛けてきやがって、あまつさえ人を掟破りにまでしやがったラーズグリーズのことだけは、なんとしても道連れにしてやりたかった。

 その執念だけでカーラはいま動いていた。


「非常に残念ですね、ラーズグリーズ。貴女はそこまで愚かな妹であると思ってはいなかったのですが」


 ラーズグリーズの手引きに関しては、現在裁判で公開されているのはカーラの証言のみだ。つまりラーズグリーズには先ほどのカーラとは違ってまだ弁論の自由が残されているのだが、彼女は何も語ろうとしない。


 ラーズグリーズは、過去の出来事で下半身不随となり、いまでは天穹陸から外に出られない無用のワルキューレである。それでも、カーラよりは実績があって他のワルキューレからも厚く信頼されている節があった。

 本来誰かが掟を破る行為もそう頻出する出来事ではなく、いまのいままではラーズグリーズも誉れあるワルキューレの一人だったのだ。


 スクルドは惜しむような顔で首を振り、カベルを振り落とそうとする――。と、ようやく気の迷いを払拭できたのか、ラーズグリーズは緩慢な動作で片手を持ち上げると伏せていた目を開き、カーラを見据えた。

 スクルドは彼女に発言権を与えた。


「確かに、カーラには誰にも見られない部屋が入り用だと言われて私が用意した。……それが、まさかこんな愚行に走るとは露にも思わず言われたままに部屋を与えたのは私の過失かもな」

「はっ……ハァ!? そりゃないぜ姉様! アタシに協力してくれたのは紛れもなく姉様だろうが!! 正直に言えよ、ホルンが心配だったんだろー!?」

「はて、なんのことだかさっぱりだ」


 とぼけるラーズグリーズに鬼気迫る勢いで脅しに掛かろうとしたカーラだったが、立ち上がろうとした矢先に鎖がガキンッと大きな音を立てて彼女を食い止めた。

 あからさまに憤りを露わにするカーラは、必死に脳のみそを働かせて言い返す。


「――だいたいっ、アタシ一人で誰にも見られずに人間なんか連れ込めるはずがねーんだ! アタシがそんなに賢いと思うか!?」

「思っているよ。賢しく、悪知恵の働く私の妹だ」

「ッッッ違うッ!!! ふざけんな!! アタシには、協力者がいたに決まってる!! それはスクルド姉様から見ても明らかのはずだ!! そして、それは誰かッ! ラズ姉様だったって話だ!!!」


 猛獣のように牙を剥いて、なんとか周囲を巻き込もうと必死に振る舞うカーラに対し、ラーズグリーズは狼狽えることなくどこまでも悠然とした調子だ。


 当事者間のやり取りから事実を見定めるため、場を鎮めることはなく、スクルドは静観を続ける。


「どうかな。こののワルキューレ一人、人間を連れ込むのに役に立つとは思えないが」

「ヂィッ! 言い訳に使ってんじゃねえよ!!」

「なに、聴衆が客観的に見定めれば済む話だろう」


 ラーズグリーズは自身が車椅子から離れられない身であることをこれみよがしにアピールする。実際にはヴァルハラのことを誰よりも知るラーズグリーズだ、秘密の部屋のポータルを別地点に繋げる方法や、人目につかない時間、その場所、人間の連れ込み方などを教唆して、実行に当たってヒントを与えたという事実はあるが……、


「その証拠はあるか?」

「ッッッ!……ひ、卑怯だぞ!!!」


 カーラがそのことを突いても、全ては秘密の部屋のなかでした会話であり、どんな魔術を使用したところでこの事実を証明する手立てはいまこの場になかった。


 事実はこちらにあるはずなのに、白を切るラーズグリーズは手強い。言った言わないの問答では全く歯が立たないと追い詰められている自覚がようやく芽生えたのか、カーラは人相を歪めて屈辱に堪える。


「――お互いの、主張は以上ですか?」


 頃合いを伺って、スクルドはそれぞれを一瞥しながら確認を取った。静まり返る法廷内。


「……………、まだだ………」


 カーラは、ぽつりと口にする。


「ゲルがいる」


 その言葉に、ラーズグリーズは眉をぴくりと動かして初めて狼狽して見せた。

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