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幕間 訪日

 PM二時二十五分・羽田空港着。一月四日。

 フィンランドの首都ヘルシンキから出発した民間の航空機は、約十時間余りのフライトを終え、雪色に染まる東京の街なかに異国からの乗客を連れてきていた。


「手を」

「あらっ。ふふ、ありがとう」


 ファーの付いたヴィンテージのレザージャケットを着込み、ブランドもののサングラスとゴールドの腕時計を身につけた背の高い壮年の男は、遅れて降機する見目麗しい妻の手を引いてスマートな仕草でエスコートする。


 シンプルで取り立てて派手ではない服装でも、海外のセレブやハリウッド女優のような煌びやかなオーラを纏うその女性には、集団になって降機するはずのタラップにおいてもあまりの威光に同じく搭乗する別の観光客らをささやかに敬遠させていた。


 この二人はまるで親子ほどの年齢差を感じさせる外見だが、長い年月を共に歩む夫婦だ。

 手を引いてくれる夫の確かな愛情を感じたのか、女性の顔はとても幸福を感じていそうだった。


 国際旅行には慣れているのだろう、煩雑な手続きを手早く完了させると手荷物受取所で四台ものキャリーケースを回収し、女性は二台ずつ、計二回に分けて空いている女子トイレへ移動すると、しばらくしてすっきりした顔で夫の元に帰ってくる。

 荷物を忘れたのか手ぶらだった。


「さっ、色々見ていきましょう、ダァリン!」

「ああ」


 身軽な彼女は嬉しそうにそう提案すると、彼を連れて意気揚々と散策を始める。まずは羽田空港内のレストランやショップの数々からだった。

 二人が日本に訪れるのはこれが数十年ぶりの出来事であるからして、施設内の店舗の入れ替わりには目新しいものを感じているみたいだ。


 端正で整った面立ちの彼女は、そんな頬を緩め、瞳をキラキラと輝かせながら土産物のコーナーに食い付く。


「これ! これとっても美味しそうだわ! ぜひいただきましょう!」

「ああ」


「まぁー!? なんて可愛らしいのかしら! これも買っていきましょう! ね、ねっ?」

「そうだな」


「こ、こんなに買ってしまって大丈夫かしら……! 大丈夫よね、今回は長く滞在するのだもの」

「んっんん。とはいえ節度は大事だ。分かっていると思うが……」


「大丈夫よぉ。私だって自立した女です。フン」

「そうか」


「あなた……。ちょっと抱えきれないわ。持って?」

「………ああ」


 その様は言うなれば、天真爛漫。いつまでも若々しくエネルギッシュな妻の姿に、男は感心と辟易するものを感じていた。


 スーツケースを身軽にしたのも束の間、一転して大荷物を抱えてしまうことになりながら、少しばかり疲れたので二人はお茶をすることにする。


「はぁ〜っ。やっぱり日本って素敵だわ。ごくわずかな時間で色々なものが発展していくのだもの。このケーキだってとても舌触りが繊細で美味しいの。あなたも食べる? はい、あーん♡」

「いや……。遠慮しておこう」


 差し出されたスプーンを手のひらで軽く押し返すと、途端に彼女はショックを受けた顔をしてプクーっと頬を膨らませる。最近では自身の加齢が久方ぶりに進行しつつあることもあって、気後れから遠慮をする男だったのだが、「ダァリンったらひどい!」とおかんむりな様子の彼女に根負けしてスプーンを咥えることになった。


 満足げな様子で彼女ははにかむ。


「ふふ、可愛い♡ どう?」

「……うむ。美味しい」


 彫りが深く、険しい面立ちには不釣り合いな頬色を浮かべ、年甲斐もなく恥じらう不器用な男がいた。


「でしょう!?」


 そんな男の反応に大きく喜んで、ニコニコと絶やさない笑みを浮かべる彼女。

 男はほっと胸を撫で下ろす。


 ズ、と啜ったブラックコーヒーの苦味のほうが、男の性にはよく合っているようだ。


「私ね、行きたいところと食べたいものが沢山あるの! 東京のデ◯ズニーランドには絶対に行きたいわ! それにス◯ッチャ! 山のような海鮮丼! しゃぶしゃぶ! うどん! ジンギスカン! ソーキそば! いっぱい巡りましょうね、特に居酒屋は欠かせないんだから。前回はお酒を飲む余裕すらなかったもの、真っ先に行きましょう! ね、ねっ? 今回は、それくらいの時間はあるわよね?」

「うむ。しかし分かっているとは思うが、今回も遊びに来たわけではない」


 ひどくご機嫌な様子で日本での暮らしに思いを馳せてそういくつもの夢をつらつらと語る彼女に、半ば諌めるような形で男がふとそんな言葉を放った。

 するとそれまでは楽しそうにしていた彼女も、スッと表情に影を落として答えた。


「……もちろん、分かっているわ」

「ああ」

「もし竜が現れたとしたら、それを倒せるのはダァリンだけだもの」

「うむ」


 彼女はカップのなかでいまだ溶けきらない、五粒の角砂糖を溶かすようにくるくるとティースプーンを回しながら、呟く。


「いつぶりなのかしらね、

「さてな」


 男は遠い目をして短く答える。

 深々と呼吸しながら、身じろぐように座席に背もたれると、古き記憶を呼び起こすようにコーヒーを口に溜めて一気に飲み下した。


「だが、途方もなく久方ぶりのであることは間違いない」


 ――この二十一世紀において、超常現象の最先端となった混迷を極める地・日本。

 そこに一組のカップルは降り立ったのだった。

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