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第46話 逆境のなか

 その後、事情聴取となっても語れることがなく困るだけだったので、惨状に頭を悩ませる警官らを尻目にいそいそと交番を後にした俺たちは、帰り道を徒歩で歩きながら情報共有を行った。


 連絡がつかなかった間、俺の身には何が起きていたのかをかいつまんで説明すると、綾姉もホルンもひどくショックを受けたように言葉を詰まらせる。


「……ごっ、ごめんなさい、私のせいで………」

「ああいや、カーラに楯突いたのは俺の勝手だ。あのときもホルンはやめてって言っていたのに、俺が黙っていられなくて勝手に口を挟んだだけで」


 暗い顔をするホルンを慰める。今回の件について責任は感じてほしくなかった。別にホルンの味方でいたことを後悔したわけでも逆恨みをしたわけでもなし、結果オーライといえば聞こえはいいのかもしれないが、こうして無事に俺は戻ってこられたわけだ。


「ラーズグリーズ、嬉しそうだったぞ。ホルンがこっちでは元気にやってるって伝えたら」

「………!」


 ハッと顔を上げたホルンが、震えた目で俺のことを見つめるから、笑みを浮かべて力強く頷きを返す。

 強張っていたはずの表情は次第に綻んでいき、嗚咽のように嬉しそうな吐息を溢していた。


 その一方で、綾姉はピタリと足を止める。


「綾姉?」


 思わず振り返って俺も足を止めた。

 その様子を伺う。彼女は言葉を選ぶように、気難しい表情を浮かべている。深く刻まれた眉間の皺と、伏目がちの瞳。何か言いたげに開いた口。葛藤するように何度も強く握り込まれる両手。


 初めて見るような綾姉の表情だった。


「……その、さ。シグシグじゃなくてもよくない?」


 気まずさを誤魔化すみたいに、にへらっとぎこちない笑みを浮かべながら綾姉は吐露する。その言葉の真意が気になって、俺は真っ向から彼女に向き直った。

 これは真剣な話だと思った。


「いや、ホルるんのことも心配だよ? 幸せでいてほしいなって思う。庇ったのだって、嘘じゃないし。でも、なんというか……。ダメかな。ダメなのかな、こんなこと思っちゃ。やっぱりゴメン」


 頭を抱え込むようにぐしゃっと髪の毛を揉みしだいた綾姉は、そう言って先へと歩き出してしまう。

 その背に「あ、綾姉!」と声をかけても、彼女はツカツカと早歩きで俺たちを置き去りにするばかりだった。


 その場に取り残された俺とホルンは顔を見合わせ、心に妙なしこりを残しながらマンションへ帰宅する。




「―――とりあえず……。ベイタのあの口振りじゃ要件が済んだらすぐにこっちに向かってくるだろうから、逃亡の準備をしないと」


 急にこんなことになってしまったので少々ごたついているが、依然として時間的猶予はない。じっちゃんの家では問答無用で窓ガラスを粉砕しながらベイタが突撃してきたことを考えると、綾姉の家に留まり続ける選択肢もいまの俺のなかにはなかった。


 この逃亡生活において綾姉には一番お世話になった。

 これ以上の迷惑はかけられない、かけたくない人だ。


 朝が来る前に広げていた荷物を段ボールにまとめ、どこか遠方まで車を走らせる。さすがに綾姉が目をつけられて人質のような扱いをされる展開は考えたくない。ベイタは、カーラほど悪趣味な性格はしていないはずだ。

 奴は必ず俺たちを追ってくるだろう。


 そう、今回大変な目に遭ったのは俺だけじゃない。


 綾姉は先ほど、「少し一人で落ち着きたい」と自室に引き篭もってしまったのでその意思を尊重し、いまのうちに俺とホルンは次の行動のための準備を押し進めた。


 荷物を整理していると、ふいにラーズグリーズから託されていた指輪の装飾の一部にドラウプニルの信号と同じような光が灯った。

 ホルンを呼びつけて確認する。


「どっ、どうやるんだこれ」


 使い方は教わっていないので手探りだ。

 しばらく頭を悩ませる。

 応答のやり方の正解は、指輪の背をもう一方の手の指先で触れることみたいだった。


 ドラウプニルの欠片でできた指輪はその形状を少しだけ変化させると、まるでスピーカーのような機能を有するようになる。


『あー、聴こえているか?』

「ラーズグリーズ!」

『通信に問題はないようだな。そっちはどうなった』


 淡々としたラーズグリーズの声音に対して、俺たちは顔を見合わせてはしゃぐ。指輪をホルンに近付けて、質問に対する回答を彼女に任せた。


「ね、姉様……! お久しぶりです、ホルンです! こちらは、大丈夫です……!」

『―――。その声は、ホルンか。よかった』


 ささやかにその声音に温度が宿る。ラーズグリーズの表情はこの通信では見えないが、別れ際に見せた穏やかな表情が俺の脳裏には浮かんだ。

 声が聞けて、きっと喜んでくれているはずだ。


「ラーズグリーズ。ひとまずはなんとか退けたが、ダメそうだ。次はないと言われた。どうしたらいい?」


 通話越しではあるが姉妹の再会を祝福したのち、俺は本題に入る。

 ラーズグリーズの返答は早かった。


『人が多い場所へ行くべきだ。我々は目撃されるのを避ける。夜間もできるだけ孤立するな。周囲に人がいる環境を維持し、口封じも効かないくらい公の場にいろ。その場凌ぎにはなるはずだ』

「いや、その場凌ぎじゃダメなんだ。奴を倒さないとホルンは一生自由になれない」

『何を勘違いしている? ベイタを退けたところでその役割は別のワルキューレに引き継がれるだけだ。安易に解決すると思うな』


 ……厳しい意見だ。落ち込んだ表情を見せるホルンが居た堪れなくて、確認するようにラーズグリーズには問いかける。


「それでも、あんたはホルンの平穏を祈ってくれているだろ?」

『まあな』


 ラーズグリーズは抑揚が少なく言葉も強い。彼女と俺とではホルンに向ける優しさの角度も違う。なのでこうして言質を取った上で、ホルンを励ますみたいに背中を叩いて勇気付けてやった。

 少しでも気を病まずに済むようにと。


『くれぐれも高望みはしないほうがいい。長姉のようなことはもう起きない。少しでも生き永らえることを目標にして日々を謳歌することを目指せ、ホルン」

「は、はい……」

「長姉?」

『………』


 俺がそう尋ね返すと、ラーズグリーズもホルンも口を閉ざしたように押し黙ってしまった。

 なんだかよく分からないが、せっかくの通信なのに会話が止まっていては仕方がない。こっちの状況は話したのだから、天穹陸に留まったラーズグリーズのその後を聞こうと思って俺は質問してみることにした。


 すると、ラーズグリーズは『ああ、そのことなんだがな……』と言葉を濁しながら打ち明ける。


『私はこのあとノルニル裁判に被告として出廷する』

「「ノルニル裁判??」」

『カーラに訴えられてしまってな』


 思わず俺とホルンの声が重なった。ラーズグリーズは苦笑しながらもあっけらかんと他人事のように答える。

 そして時を同じくして、俺たちの背後にあった綾姉の部屋の扉がガチャリと音を立てて開く。


 彼女は荷物のまとめられているリビングの様子を目の当たりにすると、わななくようにこう口にした。


「……ちょっと、コレ、どういうこと?」


 少し、間が悪く感じた。

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