「カーラだ!! カーラがお前を裏切ってる!!」
必死に叫びながら現状打破に注力する。
状況としてはあまり芳しくない。考えうる限りこれは最悪のケースだ。本当はベイタがホルンを見つけ出してしまう前に俺がホルンを連れて逃げ出せればベストだったのだが、こんな状況になってしまっては、もはや俺に残されていた手段はたった一つ。
ベイタは話が通じる奴だと信じて『賭けに出ること』でしかなかった。
「……っ!」
分が悪い賭けだとは自分でも思いながら、堂々とつい先ほどまでこの目で見てきたものを赤裸々に口にする。
「俺は、さっきまでヴァルハラにいたッ!!」
「なんだと?」
ここでベイタは綾姉から視線を外し、俺にだけ注目した。
すると、ふらふらと腰が抜けたようにへたり込む綾姉をホルンが抱き止めて保護する。その様子を視界の隅に抑え、俺はわずかにほっとする。
ここで本当なら、心配をかけてしまった彼女たちに対して何かしら慰めの言葉でも掛けてやりたいところなのだが、当然そんな猶予はこの場に一切なく、ただベイタと睨み合いを続けた。
少しでも言葉の真実味を高めるために、見聞きしてきた言葉の数々を指折り数えるように告ぐ。
「本当なんだ。天穹陸に、グラズヘイム、ヴィンゴールヴ、ディース、ギムレー……。俺は全部この目で見てきた。俺の言葉は嘘じゃない!」
「………」
ベイタは顔色を一つも変えなかった。
しかし、片手で持ち上げていた状態の人質を用済みとばかりに投げ捨てると、今度は俺にツカツカと近付いてきてその喉元に矛先をスッと突き立てる。
冷や汗が顎筋を伝って、その上にぽたりと垂れた。
「れ、冷静に考えろ。誰がお前にこの場所を伝えた?」
……だが、俺は怯まずに対話を試みる。
現状、カーラがベイタに情報提供をしたという確証はないが、このタイミングの良さを考えるとまず間違いないだろうという打算は俺のなかにあった。
ベイタの表情は変わらないが、ここで言い返してこないことはある意味、俺の仮説が間違っていないことの証明でもある。
慎重に言葉を選んで訴えかけていく。
「カーラと俺たちは過去に一度接触していて、そのときに俺は奴の恨みを買っている。奴は俺に報復するためにヴァルハラへ連れ込み、ホルンの情報でお前たちの監視の目を遠ざけて好き勝手にやるつもりだったんだ」
「そんな話を信じられると思うか?」
「いや、信じるべきだ。お前は相手を間違えている」
知ったかぶったような俺の言葉に、ベイタの眉間は不快そうに歪む。
俺はちらりとホルンにアイコンタクトを飛ばしながら、両手を上に持ち上げて無抵抗の身であることを示した。
ホルンも俺と同じように両手をおずおずとあげる。
「冷静に、考えるんだ。確かにホルンは掟を破っている身なのかもしれないが、何もしていない。問題行動は何一つも。ただ死にたくなくて、静かに暮らしていただけだ! お前が来たときにしか抵抗していない!」
「だからといってその存在を認めることはできない」
考えが変わる様子を欠片も見せないベイタにガリッと唇を噛み締めた。この調子ではこの先もずっと、ホルンが生きたいと願う限りはこの女が見逃してくれることなどないのだろう。
苦虫を噛み潰したような顔になる。
「……でも、だからこそだ」
しかし、俺は声音を弱々しくはさせなかった。
あのときの堂々たるラーズグリーズの口の上手さを見習って、俺もひたすらに立ち向かう。
「いまもヴァルハラにいるカーラは、お前の仲間は、ヴァルハラに人間を連れ込んだんだ。私怨でだ。俺の首の痕でも見てくれ、あいつは俺を殺さずに何度も痛ぶろうとした! お前をホルンの元へ差し向けた、その間の時間を使ってだ! これのどっちが問題だ!? どっちのほうが〝大事〟か、お前はよく見極めるべきだ!」
「………」
ベイタは俺のことを睨みつける。核心に触れたような感触があった。
ホルンが心配そうに俺のことをじっと見つめるなか。
緊迫した膠着状態だ。
たっぷりの間を置いて、ベイタは呟くように口にする。
「嘘だな」
「――ッ、嘘じゃない……!!」
ダメだ、対話は不可能なのか……!?!?
思わず半歩下がってしまう。それにより両者の間の均衡は崩れて、一気に俺は劣勢となる。ホルンも立ち上がって臨戦態勢を取ろうとするなか、ベイタは俺へ攻撃を行おうとした。
だったら、だったら、だったら――!
「――ヘルヒヨトゥル……っ」
脳みそを超速稼働させる。どうにか起死回生に出たいとふいに口から飛び出た言葉によって、ベイタの攻撃の手がぴたりと止まったことを感じ取った。
「っ?」
薄目を開けてベイタの動揺を確認すると、わずかばかりの可能性に縋るように、俺はそのまま言葉を続けた。
「へ、ヘルヒヨトゥルに聞けば、その真偽は分かるんじゃないか……?」
「ヘルヒヨトゥルに、会ったのか。貴様」
「あ、ああ。彼女なら、カーラの悪事を知っているはずだ。カーラは本当に危険な奴なんだ」
俺がそう言うと、考え込むように押し黙るベイタ。
そして腹立たしげに舌打ちを一度打つと、俺に向けていた槍を下げ、腕輪の形状に戻して何やら表面に触れながら操作する。
その指先を、イヤホンで通信を試みるように耳珠に当てがうと、耳を傾けるようにしばらく沈黙した。
「………」
ベイタを中心にして、この場にいる誰もがただその様子を静かに見守ることしかできなかった。
やがて。
「……確かに、事実なようだな」
ベイタは一言そう言うと、俺から視線を外してホルンのほうへ向かおうとする。
「て、手を出す気なら俺たちは抵抗するぞ」
その背中に、小石を投げつけるような感覚で俺は言い放ってやった。ぴくりと反応したベイタは苛立ちを隠しきれない様子で振り返る。
俺は不敵に笑いかけながら、奴の癪に障るであろう言葉を口にしてやる。
「お前は、お前を利用しようとした裏切り者の協力を得て自分の使命を果たすつもりか?」
「―――」
ベイタがどういう人間なのか。
それはこれまでの間ホルンと積み重ねてきた作戦会議の間でよく理解している。
生粋の仕事人気質でありながら、非常に高潔な精神性を持ち、邪道を嫌う。
堅苦しい軍人のような人間。身近なところでいえば風紀委員長にはいてほしくないタイプか。
そんな人間が嫌う言葉といえば、その誇らしげな矜持に傷が付く『恐れ』を思い抱かせること。
俺の読み通りならば、この言葉を言われたベイタにホルンを手にかけることはきっとできない。
なぜならそれは奴のなかで、自分自身に対しての精神的な敗北に繋がってしまうから。
そう、お前は、試合に勝って勝負に負けることが一番認められない人間性のはずだ……!
「……貴様のような輩の口車に乗るのは癪だが――」
ベイタが俺のことを忌々しそうに睨む。
そしてホルンへと振り返った。
「確かに、優先順位というものはある。よって、カーラを始末したら次は貴様だホルン。せいぜい首を洗って待っていろ」
「……っ。イヤ、です……!」
スッと目を細めるベイタ。
最後に、俺とホルンを除いたこの場にいる全ての人間を見渡すと、ベイタは「口外したら殺す」とそう宣告し、交番を出て道路の真ん中へ。
大きく羽を広げ、とてつもない速度で天高く飛翔していった。
交番は嵐の事後のような惨状だった。
―――緊張からの弛緩で、どっと腰が抜ける。
「しぐまっ……!」
駆け寄ってきたホルンが勢いよく俺に抱きつく。
信じられない修羅場を立て続けに潜り抜けてきて、俺はまだ乗り越えたという実感があまり湧いていなかった。
曖昧なリアクションで俺がホルンを抱き止める一方、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたホルンは俺の顔を一点に見つめ、また激しく泣き出してしまう。
さらには、その少し離れたところから、
「しっ、シグシグのばかああああああああああ!! まったく、どこいってたのよぅうううううー!」
と、綾姉がわんわん泣き出してしまう始末だった。
思わず俺の顔も緩む。
まだ気を抜くことはできないが、俺は二人の元に無事戻って来られたんだとホッとする。