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第44話 エンカウント②

 時は事の始まりまで遡り―――。


「全然、帰ってこないジャン」


 どれだけ待っていても帰宅してこない志久真に業を煮やした綾は、呟くように不満を洩らす。食事はすでに済ませていたが、まだ志久真の席は食事中の状態だったので皿を片付けるにもそのタイミングを見極めるのが難しく、手持ち無沙汰そうにちょこんと座席に座っていたホルンの特に心配した顔が綾には印象的だった。

 はじめのうちは「まぁ寄り道してるんでしょ。男の子だし」と軽く慰めていたりしたのだが。


 いい加減に食器を片付け、入浴し、一日を終える支度を済ませ。

 深夜零時を過ぎても一向に玄関扉が開くことはなく。

 これは、何か様子がおかしい。

 綾がそう確信したのは、さすがに怒ろうと思って通話を掛けようとしたときだった。


『ただいま通話に出ることはできません』


 それは、向こうがスマートフォンの電源をオフにしているときや圏外にいる場合にのみ返ってくる自動音声のメッセージだ。

 あの志久真が意図的に連絡手段を断ち切るとは綾には到底思えず、ここでなんらかの事件性を悟った彼女はホルンを連れて最寄りの交番に駆け込む。


「同居中のいとこがコンビニに行ったっきり帰ってこないし、連絡が付かないんです。行方不明かも」

「え〜? でも一応は成人の男性でしょぉ? ただほっつき歩いてるんじゃないですか?」

「そんなので心配かけるような子じゃないっ……!」

「そうは言ってもねえ。心配しすぎだと思いますよぉ? 大丈夫なんじゃないんですか? きっと、家出ですよ家出。だって年頃の男の子デショ」

「っ、家出って!」


 普段はおおらかでいる綾の語気にも思わず熱が入る。

 受付台をバンと叩きつけるが、駐在する交番職員は対応を面倒くさがって肩をすくめるばかりだった。


「そんなに仰るならねえ、行方不明届の提出をご進言します。ま、一般家出人として処理されるだろうから期待しても仕方ないと思うけどね。そういうのだいたい一週間以内に自分で戻ってくるんだから。ちなみに、ここでは捜索願いの手続きを進めることはできないので、ご自宅近くの警察署の生活安全課まで……」

「はあ!? ここじゃできないの!?」

「できませんよ?」

「じゃあなんだったのよこの時間!」


 憤りを露わにしてしまっていると、これまで両者のやり取りを静かに見守っていたホルンが綾の袖をくいと引っぱった。


「あや、私たちで探しましょう、この人たちは使えません」

「つかっ……お嬢さんあのねえ、そんなこと言ったってねえ、おじさんたちも忙しいんだから……!」


 もごもごと口ごもるような言い訳に対し、その大きな瞳を細めてホルンが非難するように睨みつけると、バツが悪そうに交番の人間たちは目を逸らす。

 一方で、やはり先ほどの対応には釈然としないものを感じている綾は、なかなか自身の心と折り合いがつけられず、簡単には引き下がれなくなっていたが、すでに見切りを付けたホルンに連れられる形で渋々と交番を後にしようとした。


 しかし義務感からだろう、そんな二人を呼び止めるために受付から飛び出して職員は声をかける。


「ちょっとちょっと! 若い女性が二人きりでこんな夜更けに外を探し回るのは危ないですよ!」

「ッ、だからあなたたちが――!」


 そんな口論に発展しそうになっているときだった。

 ホルンのドラウプニルに赤い信号が点った。


「うそ……っ!」


 ホルンの顔は青ざめる。


 その直後、強風を纏いながらガラス張りの出入り口の向こう側に赤い羽根の女が降り立った。

 騒然とした様子で交番内の警官二名は重たい腰を持ち上げ、ホルスターの拳銃に手をかける。

 ホルンはドラウプニルを盾に変化させながら、綾を庇うようにして前に立った。この場にはいない志久真の代わりに、志久真が大切にする彼女を守ることをホルンは使命とした。


 力強い一蹴りで扉が蹴破られ、ひしゃげたそのものが向かいの受付台に衝突し、けたたましい音と共にガラスを飛散させる。


「直ちに人間はひれ伏せ」


 交番のなかに足を踏み入れながら、ベイタはその手の槍の矛先を向けて一人一人の顔を標的と定めていく。

 真っ先に降伏してしまう職員。

 震えて腰が引けていく綾の手を、ホルンは空いているほうの手でぎゅっと握り返す。


 一目で危険人物と見做すことのできるベイタを前に、一人の警官は咄嗟に拳銃を抜いて威嚇射撃をした。


「う、動くな!」

「ひれ伏せと言ったろう」


 がしかし、ベイタが怯むことはなく。

 側に置かれていた観葉植物のガジュマルの木を高々と持ち上げると、ベイタはそれを強引に放り投げる。その反撃を見て「抵抗をやめなさい!」と二人目の警官が続けざまに三度ほど発砲した。


 うち一発の銃弾がベイタの肩に命中する。


 その衝撃に少しだけ体を反らしたベイタだったが、大したダメージにはなっていないようだった。


「抵抗をしているのはお前たちだ」


 ズカズカと接近するベイタ。乱射される拳銃。電灯が割れて綾の悲鳴が上がる。ホルンは懸命に彼女の身を護った。交番の窓口と事務所を仕切る受付台に足を掛けて力んだベイタは、台を丸ごと蹴飛ばす暴挙に出る。


「なッ!?」

「ぐぅっ……!」


 約八十キロの重量ある受付台が勢いよく押し出され、応戦していた警官らはデスクごと巻き込まれる形で壁際に追いやられてしまう。

 片や足を挟まれてしまい、片や銃を取りこぼして手が届かなくなった。

 二名の警官は、あっけなくも戦闘不能に陥った。


「力の差を思い知ったのならそこで目を閉じ耳を塞ぎ息を殺していろ。大人しくすればこれ以上の危害は加えない。用があるのは、ただ一人だ」


 そこで初めて、ベイタは部屋の端に身を潜めていたホルンに目を向ける。

 それはいままでと全くやり方の異なる、脅迫。


「っ、こんなやり方はおかしい……!」

「あいにくと手段を選んでいられなくてな」


 ベイタは、足元で縮み上がり、丸くなって伏せの姿勢を取っていた職員の襟を鷲掴んで強引に持ち上げると、人質としてホルンに見せつける。


「いつもの男ではないみたいだが、どうだ。これ以上歯向かうのなら貴様のせいで人間が死ぬ」

「……っ」


 歯噛みするホルン。ワルキューレがここまで人に干渉するなんて、本来あってはならないことのはずだ。

 言葉通りに手段を選ばずホルンを追い詰めることを選んだベイタに、ホルンは取るべき選択肢を見失う。


 ――死にたくなかった。でもこの場ではそれを貫くほどの力がなかった。それに、自分のために誰かに死んでほしくなかった。それだけは耐えられないとよく分かっていた。


 だから、ホルンは葛藤する。

 もしもこの場に志久真がいてくれたら。

 どうしても考えてしまう。

 彼の顔をもう一度見たい――。


 よりにもよって、頼もしいあの人がいないときにベイタに襲撃されてしまって、はたとホルンは思い知る。

 ………私はこれまでなんだ、と。



「分かりました……。分かりましたから……」



 ドラウプニルの変形を解除させるのではなく、ホルンは手放して降伏の道を選んだ。その足元に転がる盾は、敗北を認めたことの証となってしまった。


 茫然自失といった様子の彼女は不安定な足取りでベイタのもとへ向かっていく。その目の前で膝をついてしまえば、後に待ち受けるは掟破りに対する処罰だろう。


 この数日間の――かけがえのない、尊い日々を走馬灯のように振り返りながら、ホルンは運命を受け入れようとする。


 その瞬間だった。


 ▲▽▲▽▲▽▲


 ――元の世界に帰ってきた俺は真っ先にネットワークの復旧したスマホで綾姉への連絡を試みながら、彼女とホルンが俺の帰りを待ってくれているはずのマンションへと無我夢中で目指していた。

 が、パパパパン! と連続して住宅街のなかに鳴り響いた発砲音に事態の異変性を察知。


 本来であれば近付くものじゃないんだろうが、因果関係を疑わずにはいられなかった俺は踵を返して現場へと急行する。


 住宅街から少し外れた位置にある町内の交番。

 壊れかけの電灯が不安定な明滅を繰り返す。荒れ果てた内装。そのなかにはやはりベイタとホルンがいる。


 そこで俺は、目を剥く光景を目の当たりにした。



「どういうつもりだ人間?」


「――どかない! 絶対にどかない!! ホルるんを傷つけさせない!!! 絶対!!!」



 建物のなかでは、ベイタとホルンの間に割って入るように両手を広げた綾姉が、大粒の涙をぼたぼたと零しながら命を張って彼女のことを庇っていた。

 状況への理解が追いつかなくて困惑するが、躊躇っていられない。俺も助っ人に向かう。


 綾姉のその決死の行動には、ホルンさえも驚いた様子で「やめてっ、やめてくださいっ……!」と泣きじゃくるように彼女を引き下がらせようとしていた。

 綾姉とベイタの対話は続く。


「貴様は何か勘違いをしている。その掟破りに、庇い立てするほどの価値はないぞ」

「馬鹿言って!! あなたは、姉なんでしょう!? 私だって姉!! だから譲らないの!!」


 深々とため息を吐いたベイタは、これ以上の問答は意味がないと槍を振り上げようとする――。


「おい! まてっ待て、待って、待ちやがれ!! お前はっ、相手を間違えてるぞ!!!」

「――ッ。次から次になんだ……!」


 綾姉が稼いでくれた時間により、全身で息切れを体現してしまいながらも、なんとか俺は駆けつけることができていた。

 そして二人の間に割って入るように吠える。


「カーラだ!! カーラがお前を裏切ってる!!」


 これは一つの賭けだった。

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