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第42話 天穹陸

「なんだっ、ここ……!」


 秘密の部屋から転送されてきた廊下をしばらく進むと大きな通路に出る。そこで俺は、自分がいまとんでもないところにいるのだという実感を得た。


 煌びやかな装飾の施された宮殿のなか。


 五十人ぐらいが横一列になって渡れそうなほどの幅広さを誇る大回廊から、楽園のように美しく色彩豊かな異世界の風景を見渡すことができる。

 思わず手すりまで駆け寄った。

 雲ひとつない快晴に、煌々とした太陽。その光を存分に浴びて反射し、キラキラと輝く黄金色の建物は、どうやらこの浮島の一番の高地に聳えているらしい。

 陸地の途切れ目に海は見えず、空が全面を覆う。


「ここが、神の世界……」


 食い入るように眺めながらそう呟いた。

 あまりに美しい幻想風景なものだから、そう思うことに躊躇いはなかった。

 ここがワルキューレの居城、北欧神話の地なのだとしたら、この土地は恐らく神の国・アスガルドで――。


「いいや、ここは天穹陸といってな。我らワルキューレの総本部にして、異界の海を揺蕩う……貴様らふうに言ってみれば超大型空母と言ったところか」

「な……」


 絶句する。空母?? 空母と言ったか?

 航空母艦。複数の戦闘航空機を格納し、海上においては航空基地の役割を果たす軍艦の特徴に、ラーズグリーズはこの浮島を例えてみせる。

 ……言葉での意味は理解できても、その意図を全く理解することができない……。

 うわ言のようにただ言葉をなぞった。


 ラーズグリーズは細やかに首を傾げて言う。


「間違っていたか?」

「いや……どうだろう、よく分からない。平和そうな場所なのに物騒な例えだ」

「平和に思えるなら『正解』だ」


 えっ?と尋ね返す前に、車椅子の車輪を転がしたラーズグリーズが俺の隣にやってくる。そして空を指差しながら、その言葉の真意を教えてくれた。


「この大地を覆う天穹は、謂わば終末時計の役割を果たしていてな。日没が進むにつれ、異界の破滅が近いことを暗示する。遠ざかれば日は登り、我らを見下ろす。ここが平和に思えるのは依然として、世界の均衡が保たれているからだ」

「もしも、日没を迎えたら?」


 ラーズグリーズはその問いには答えなかった。


 夕焼け空とはいかないまでも、正午とはいえない位置にある太陽を見る。彼女の言葉をもとにするのなら、この太陽の位置は決して破滅がまだ遠いことを暗示するわけではないのだろうと思う。

 まあ、それも当然か。

 俺には異界の数や広さといったものがよく分からないが、少なくとも巨獣災害あんなこと魔物出現こんなことが俺らの世界では頻出してしまっている現状、正しく世界の均衡が維持されているとは到底言えるはずがない。

 終末の暗示の空……と言われると、この幻想的な景色にも不安を掻き立てられるものがあった。


「さあ、いつまでボケっとしているつもりだ? ホルンが危ないと言ったのはお前だろう」

「あ、ああ……悪い。立て直す」


 諌められ、頭を振って気持ちを切り替える。あいにくだがここでは物思いに耽る時間がない。すぐにラーズグリーズの背に回ってハンドルを掴むと、車椅子を手押しながら俺は本格的に脱出に乗り出した。



 ――そして宮殿の広さに翻弄されることとなる。



「そこを右に曲がれ」


 誰かと鉢合わせてしまわないよう、ラーズグリーズの適切なナビを受けながら、巨人さえも住めそうな大きさの宮殿を右に左に走り抜けていく。


「この時間帯はほとんどの面々が出払っているはずで、警戒すべきは高官の姉上共だ。多少遠回りにはなるが安全なルートを選んで行くぞ」


 現在地は巨大な宮殿の中核ヴァルハラ。ラーズグリーズの言う目的のゲートは、ここからグラズヘイムという兵士たちが住まう大屋敷を跨ぎ、男子禁制の女神の楽園ヴィンゴールヴの裏庭へ出て開くのが望ましいという。

 普段使いされる正面の桟橋門からでは、ヘルヒヨトゥルの監視の目を潜り抜けられないからだそうだ。


 ポータルを使って階を降り、人気のない通路を渡って聖堂に行き当たる。七色のステンドグラスが天蓋に嵌め込まれた幻想的な造りの大広間だ。

 壇上の上には、聖火台のような燭台が飾られている。


 そこには絶えず燃焼を続ける炎があった。


「あれは?」

「おい足を止めるな。好奇心の塊なのかお前は」

「気になるんだから仕方ないだろ、流石に」


 空母だかなんだか知らないが、俺にとっては通常誰も目にすることのできない本物の異世界の光景だ。それに信じられないほど豪奢な宮殿のなかにいる。


 どうしても好奇心というのはそそられてしまうもので、通りかかりに少しだけ覗き込んだりしてしまっていると呆れた様子のラーズグリーズが親切に答えてくれた。


「……星の寿命を表すギムレーだ。こと天穹陸においては動力源として機能する。だからそれ以上は近付くな」


 その頃、ガコンッと重たそうな音を立てて聖堂の正面扉がゆっくりと開きかけた。話題を掘り下げる暇もなく、瞬時に訪問者の気配を察知した俺たちは、慌てて反対側の物陰に移りなんとか身を潜める。


 聖堂に入ってきたのはそれほど特別なオーラを感じさせない、白い衣に身を包んだ男たちの団体だった。

 先頭には女の姿があるが、ワルキューレとは異なる雰囲気を纏っているように見える。


「(ほとんど出払ってるんじゃないのかよ……!?)」

「(愚か者めそれはワルキューレの話だ……!)」


 わざとではないが身を隠すときに車椅子の側面を壁に叩きつけてしまったからだろう、腹立たしげに口角を歪ませたラーズグリーズが特に強い言葉で俺を叱責する。

 俺としては、彼女の言葉を信じて周囲への警戒をやや緩めていた節があったので、この奇妙な団体の登場には意表を突かれてしまうこととなった。


「(に、人間か……?)」

「(違う。あれらは兵士だ。来たる戦に備えるための。貴様我らの伝承を全く知らないのか? いちいち尋ねるな。煩わしい)」

「(んなこと言ったって、俺の知る北欧神話と実際の話が違うからいちいち確かめてるんでしょうが……!)」


 他愛のないことでひそひそと言い争う。


「(先頭の女は、ワルキューレじゃないのか?)」

「(……ああそうだ。彼女はディースの一人だ。戦士としての我らとは異なり、兵士の教育や全般的な事務ごとを行う)」


 なかには炊事や清掃などが含まれる、と彼女は俺の問いかけにうんざりした様子で語る。ワルキューレが戦の女神だとすれば、ディースは非戦闘職としての女神なんだろうという理解を得ることができた。


 実際、兵士たちを導くあの女は、西洋絵画で見られるような普遍的な女神の格好をしている。


 遠目ながらにその肉付きも、これまで対面してきたワルキューレたちのような筋肉質で引き締まった細身の体型ではなく、比較的ふくよかで男の情欲を煽り立てるような豊満な体つきをしているように思えた。


「〜〜〜、〜〜〜〜〜」


 兵士たちはギムレーに向かって祈りを捧げる。言葉が聞き取れないのが惜しい。

 数分間の礼拝を済ませると、再び重たい正面扉を開けて彼らは退出しようとするので、ここぞとばかりに俺はそっと背後から接近。

 扉が閉じ切る前に手を掛けることに成功した。


 覗き込み、兵士たちが去るのを見届けたあと、正面通路へと俺たちは躍り出る。


「ここから先がグラズヘイムだ。兵士に気をつけろよ。分かっているな?」


 グラズヘイムは、ヴァルハラと打って変わって生活感のある内装のお屋敷だった。その大きさも人のサイズに合わせて作られているようで、聖堂がワルキューレと兵士たちとの領域を切り分ける中間地点となっているみたいだ。


 部屋や階層の移動にもポータルを介さず、階段やレースカーテンで仕切られているところが親しみやすさに拍車をかける。


 一階は校舎のようになっていて、確かに教鞭を取るのはいずれも両腕にドラウプニルを嵌めていないディースたちだった。


「ここはまずいな」


 人の数が多い。それでもワルキューレに見つかるよりはリスクが少ないので、安全な回り道ではあるらしい。

 グラズヘイムにいる兵士やディースたちは、与えられた役目以上の事情を知ることはないのだそうだ。


 閑散としていたヴァルハラとは違って、日常生活を送るような彼らから身を隠しながら屋敷のなかを移動するので、まるで泥棒になったかのような気分になる。

 道中、通行人と鉢合わせそうになって逃げ込んだ場所は訓練用の武器庫だった。木と鉄製の剣や槍、盾や弓矢、鎧などがずらりと壁一面に立て掛けられており、物々しい印象を受ける。


 そのうち、取り回しのしやすそうな短剣を一つ拝借する。


「何をしてる?」

「もしものために持っておくと安心するだろ」

「役立たないと思うが……」


 ラーズグリーズには呆れたように首を振られるなど。



 かくして、慎重にゲートを目指していく。



 この細く長い渡り廊下を突き抜ければ次に待ち受けるのはヴィンゴールヴ。そして裏庭、そして俺の世界だ。

 コツコツと俺の足音がやけに反響する。

 自然と足早になって突き進んでいると――正面に虹色の雲が突如として現れる。

 ラーズグリーズが、止まれと俺に指示を出した。


 そして彩雲が晴れると、そのなかから一人の可憐な少女が。


「なにごと?」


 短く言葉を発する。外見上はとても幼いのに、その威圧感は凄まじいものがある。


「ヘルヒヨトゥル……」


 ワルキューレの監視の目。

 彼女は、俺の存在に気付いてしまったみたいだった。

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