ホルンの元へ駆けつけるため、俺は下半身不随のワルキューレ・ラーズグリーズと手を組むことになった。
車椅子を押しながら秘密の部屋のポータルを抜けようとすると、その目前で光の柱が立つ。
思わず俺は足を止めてしまった。
「いよォ〜し別の奴に押し付けてきてやったぜ〜。待たせたな姉様、続きを再開……ぁ?」
「っ……!」
これは、あまりにも間が悪い……っっ!
呑気な言葉を口にしながら秘密の部屋に転送されてきたカーラが、脱走間際の俺を見て間抜けな面をする。
そしてすぐに状況を理解すると、舌打ちをして後頭部を掻き毟った。
甲高い怒声が響き渡る。
「姉様ァッ!! こりゃどういうことだ!?」
「悪いな。この男に付くほうが利があると判断した」
毛が逆立つほど荒ぶるカーラに対して、ラーズグリーズは気圧されることなく淡々と受け応える。
その度胸ある姿に感化され、俺もなんとか意気地を損なわずに済んだ。
「ハァ〜ッッ!? ふざけてんじゃねえぞ! ホルンのことが知りたかったんじゃねえのかよ姉様!?」
「俺のほうが、詳しいに決まってんだろ」
「ッ!?!?」
言い返すと、キッとそれだけでネズミを殺せそうな鋭い睨みが向けられる。姉であるラーズグリーズからならともかく、ただの人間である俺に口答えされるのは相当腹が立つみたいだ。
ハンドルを握る手に思わず力が入りながらも、ラーズグリーズと一緒になってカーラに立ち向かった。
「ふざけてんじゃねえぞ!! ふざけてんじゃねえぞ!!!」
カーラは、まるで子どもの癇癪みたいにその場で地団駄を踏み、何度も何度もそう言葉にする。
ヒステリックな金切り声。思わず耳を塞ぎたくなる。
「お前! お前お前お前!! 絶対殺す! 殺す!!」
「こっ殺さずに、痛めつけるんじゃなかったか?」
「うるせぇ!!! 殺す!! 姉様もだ!! アタシを裏切って許されると思うな!!」
「それは怖いな」
それでも、俺とラーズグリーズは全く怯まずに言葉を返すから、憎しみで歯茎を剥き出しにしたカーラは真紅の光輪と羽根を浮かび上がらせた。そうして両手のドラウプニルを液状化させると、その形を見るも禍々しい凶悪な武器へと変貌させる。まるでカーラの内面、その加虐性を反映させたかのような狂気。
一つ二つなんてものではない、それはチェーンで繋がれた様々な処刑具・拷問具の具現だった。
「いいかァ……テメェらはここから出られない。なぜならアタシがここにいるからだ。テメェらは一生、ここでアタシにいたぶられる! もう命乞いしたって許してやんねー!! テメェらは、アタシを怒らせた!!!」
肌がビリビリと粟立つ覇気だった。確かに、ポータルを背にして複数の禍々しさ溢れる道具を展開させ立ち塞がるカーラを、突破することはできないと思われていて当然だ。
だけど……、
「ああ、そのことなんだがなカーラ」
ラーズグリーズの目配せを受けた俺は、車椅子から一度手を離し、前に出る。
「ぁん……?」
こちらのことを舐め腐っているカーラは、今更俺の不審な態度を警戒しようとはしない。むしろ余裕たっぷりの見下した表情で、一度きりのチャンスを与えてくる。
こちらの反骨精神を、真っ向から叩き折りたいからだろう。そうはいくか。
ラーズグリーズは言葉の続きを言う。
「私は掟のことをこの男に伝えた」
瞬間、俺の背後にいるラーズグリーズの手元のドラウプニルから、発射されるように細く長い棘のような銀槍がひゅんっと伸びてカーラの左脇腹を掠めた。俺からではなく、ラーズグリーズからの突然の不意打ちにカーラは目を丸くして気を動転させるなか、その隙をつくように俺は更に踏み込んで接近する。
そして、カーラの皮膚に直接触れる。
「な……、な……!!!」
「これでお前も、『掟破り』になるんだよな」
「っっっ!?」
〝ワルキューレは、人と触れ合ってはならない〟
これで禁断の掟を破ったことになるカーラは、そのあんまりな事実を受け止めきれないのか、よたよたと気が抜けたように後退りをする。
その表情は、絶望一色。
黒目が小さくなるほど目を剥いて脂汗を噴出させ、荒い息切れに滲んだ涙、武器を取りこぼした両手で必死に顔を覆う様。普段の人物像からは想像もつかないくらい取り乱した様子を見せる彼女に、俺は思わず自身の手のひらを見下ろす。
―――――それは車椅子を俺が押すとなったときに、予めラーズグリーズから伝えられた話だった。
『気をつけろ。私に直接触れてくれるなよ』
『? あ、ああ』
『我々にとって、人間は毒なのだ。
『………。権限っていうのは?』
『お前を送り返すためのゲートはおろか、あらゆる施設の利用、あらゆる部屋のポータルを開くことさえ叶わなくなるだろうよ』
だから私は人間が嫌いなのだ、と忌々しそうにラーズグリーズは話を締めくくった。
それがあったから。
「あぁぁぁ……! あぁぁぁあああ!!」
膝から崩れ落ち、激しく慟哭するカーラを見て思う。
純朴だったホルンとは違って自分がやましいことを続けていたという自覚があり、プライドがクソほど高いカーラには、この状況は容易に受け止め切れないはずだ。
「人間! 行くぞ!」
「あっ、ああ!」
号令を受けた俺は拳を握り直し、ラーズグリーズを押して急ぎポータルへと向かう。
「ぜっッッてぇぇぇえ許さねェエエエエ!!!」
その頃には怨みのはけ口を見定めたカーラが武器を手にしながら俺たちに向かって飛び掛かってきたが――。
「悪いな」
どこか悲しげにたった一言、そう呟いたラーズグリーズがポータルを起動させる。すると所定位置についていた俺たちを光の柱が包み込み、カーラの毒牙が届くすんでのところで秘密の部屋の外へ俺たちは転送された。
目の前から、脅威が消え失せる。
「っは……っ」
場所が変わり、周囲の明るさが変わり。
心の底から深い安堵感を覚えた俺は、へろへろと腰を抜かしたように崩れ込んでしまう。
どうやら息の吸い方を忘れてしまっていたみたいで、呼吸を取り戻す傍ら、しばらく頭がクラクラとした。
そんな俺をラーズグリーズが見下ろしていた。
「これで、カーラは自力であの部屋から外に出ることはできない。よくやったな」
「ど、どうも……」
あの場でアイコンタクトの意味を理解し、機転が利いたのはよかったが、カーラがあと少しでも思慮深かったら――俺を侮ってくれていなかったら、簡単に失敗し、あっさりと殺されていただろう。
よくやったの一言で報われるものではない。
それに。
「……お前こそ、よかったのか?」
「何がだ」
「一応は、妹だろ。あいつも」
「………」
俺がそう尋ねると、ラーズグリーズは目を逸らして細やかに首を振る。
「貴様には関係のないことだ」
………。
そう言われると、そうなんだけど。
カーラの顛末についてラーズグリーズは思うところがあるみたいだが、口を閉ざすというのなら一時の協力関係でしかない俺がこれ以上気にかけてやる必要はない。
カーラが、俺の敵だったのは事実だ。
掟破りになり苦しんでいたホルンをあいつはわざと追い詰めた。この顛末は、自業自得だとしか思わない。
そこに同情を抱くことはない。
「この城には多くのワルキューレがいる。気は抜くな。見つからないようにゲートを目指すぞ」
「分かった」
まだ、山場を一つ越えたに過ぎない。
ここからが正念場だった。