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第40話 ラーズグリーズ

 車椅子に座るワルキューレと取り残されてから、長い沈黙がこの場に残り続けた。

 不服そうに、だがカーラの言いつけを守るように、頬杖を付きながらただじっと俺のことを見つめる女。


 現状、この女がどういう性格をしたワルキューレなのかが分からないから、下手に身動きを取ることができない。身体的なハンディキャップを抱えているのは見て取れるから、拘束を外すことさえできればどうにか逃げ延びれるような気もしているが……このように監視されていては難しい。

 それでも、カーラが相手よりはずっと希望がある。

 猶予はあのサディストクソ女が戻ってくるまで。

 俺は、苦々しく女を睨み据えた。


「……あんたは、カーラの味方なのか?」


 俺がそう問いかけると、女はフッと鼻で笑い、それから鉄仮面のような表情を取り戻して答えた。


「あいにくだが、話し相手になってやるつもりはない。私は人間が嫌いだ」

「だから、俺をこんな目に?」


 女は少しだけ不快そうに目を細めると、投げやりに口にする。


「カーラが勝手にやっているだけだ」

「………」


 こいつは、カーラの仲間ではないのか……?

 チームワークというには些か難のある連帯感だ。カーラの性格を考えると、この女は弱みを握られて協力させられている? その可能性はたぶんにある。

 どうする。だとしたらチャンスは本当にこれきりだ。


 どうにか突破口を切り開きたくて、俺は食い入るように女の姿や仕草を観察した。


 これまで見てきたどのワルキューレよりも背が高く、成熟した大人の雰囲気があるワルキューレ。現に服装もショートワンピース一枚ではなく、肩の出た軽装鎧のようなトップスに腰までスリットの入ったロングスカートを身に付けている。サイドに寄せて、肩に流したロングヘアと、思考や感情を読み取りにくい仏頂面。

 片腕にはドラウプニルが装着されていない……。


 ワンピースほど分かりやすく一色にはなってないが、その衣服に落とし込まれたイメージカラーは、黄色。


 ――ハッと俺は逃亡生活一日目のことを思い出した。


 仙台に向かう途中、立ち寄ったアパレルチェーン店でホルンに潜伏用の仮の衣服を買い与えたときの記憶だ。



『黄色、とか』

『ほう。その心は?』

『私に優しかった姉が、その色だった』



「……!」

 俺は気付く。


 この女はホルンの味方だ……!


 いやしかし待て、だがまだ腑に落ちないことがある。

 もし仮にそうだったとして、ならばこの現状はいったいどういうことなんだ?

 目の前にいるこの女が、ホルンと親しい間柄にある例のワルキューレだったとして。

 ホルンをいじめていたと思われるカーラと協力関係にある理由が分からない。


 ホルンと一緒に活動する俺を、こうして捕らえる意味が分からない。


 ……まだ、探るべき情報は多い。

 ここで判断を見誤るな。慎重に見極めろ、俺。


「ホルン」


 ぽつりと呟く。

 すると、本当に細やかな反応だが、確かにぴくりと女は眉を動かす。表情に現れる心の機微が繊細で非常に分かりにくいが、冷静に観察すれば何がこの女の心の琴線に触れるのかは判断できそうだ。


「ホルンが、優しい姉がいると言ってた」

「………。お前はホルンを知っているのか?」


 ヨシ食い付いた!

 しかし、同時にまた一つの課題が出現する。

 この女は俺がホルンの仲間だと気付いていない?

 慎重に、言葉を選んで答える。


「俺はいま、ホルンを保護している。ホルンを庇うために俺はあいつに喧嘩を売って、いまこんな目に遭っているんだ」

「……………」


 女は考え込むように押し黙った。

 その姿を見て、やはり俺は確信する。


 この女はカーラに与するワルキューレではない。なんらかの事情があって手を貸しているに過ぎず、先ほど言っていた言葉通り、これは『カーラが勝手にやっている』だけだ。


 ――ここに現状打破の糸口がある気がする……!


「あんたが、ホルンの言っていた優しい姉なのかは分からないけど……そうだと思うから言う。あんたも知っているんじゃないのか。カーラの、ホルンに対する辛辣さを」

「それはホルンが自分で乗り越えるべき課題だ」

「違う。何事にも限度はある。ときには誰かが近くで守って、味方はいるんだって思わせることも大事だ」

「………」


 女はあからさまに不機嫌になる。肘掛けに乗せられた左手が、微かに握り込まれるのを見た。

 もしも、この女がいまでもホルンのことを気に掛けてくれているのなら。


「あんたに、それができるのか」

「………」


 詰めていく。

 俺の言葉は、徐々にヒートアップしていく。


「ホルンが、諦めてからじゃ遅いんだぞ」

「………」

「守れるのは俺だけだった」

「………」

「なんで、カーラに協力したんだ!」

「――奴は当時執行部以外で、唯一ホルンと接触したワルキューレだったからだ」


 観念したように女は口を割る。肘掛けの拳はすでに固く握り締められていた。


「私だってこれは本意ではない。貴様には悪いと思っている。だがこれは取引だ。地上に身を落として以来行方知れずとなったホルンの情報を私が得るための」

「その対価をあいつが本当に握っていると思うのかよ!?」

「縋れるのはカーラだけだったのだ!」


 力強く拳が叩き付けられる。露わになった感情は、憤り。これまで堪えていたフラストレーションの数々が、ついに我慢の限界を迎えたように思えた。


「私には自分で探しに行くことができない……!!」


 女は恨みがましそうに自身の脚を見下ろして、そう吐き出す。その言葉の重みに、俺は思わず息を呑んだ。


「ベイタに殺させるわけにはいかなかった! どんな些細なことでもいい、いまのホルンの様子を私はどうしても知りたかったのだ!」

「なんでよりによってそれがカーラなんだよ……!」


 誰に八つ当たるでもなく激昂する。こればかりはどうしようもない話題で、ただひたすらに行き場のない怒りだった。

 仮にこの女の頼った相手がカーラではなかったら。


 決してこのような形で、ホルンの信頼する姉と会う必要はなかったのに。


「言っておくが、カーラは何も知らない。あいつはホルンのことをコケにして、時間を稼いで、ベイタを呼ぼうとしていただけだ。俺たちはすぐに移動したから、あいつがホルンの現在地を知るはずもなくて……」


 ………?

 そこまで口にして、はたと気付く。

 どうしてあいつは俺に辿り着くことができた?


「どうやって、カーラは俺を見つけたんだ?」

「? 奴は警備小隊の一員だ。主にミッドガルドの防衛を任される。お前がいる地は日本だろう? いまでは派遣要件がもっとも多い土地だ。カーラはお前に執着していたし、任務よりも私事を優先したのだろう」

「……あんたはどんな協力を?」

「この秘密の部屋を用意した。ここではヘルヒヨトゥルの監視の目も届かない。カーラは、お前を自由にいたぶれる空間を私に欲しがっていた」

「ヘルヒヨトゥルって?」

「執行部の内に向ける『目』の役割を持つ女だ。カーラは狡猾でな、自分の悪事を高位の姉にはバレたくないと思っている」

「――だとしたら、まずい……」


 カーラは、ずっとホルンと一緒に行動している俺を自力で見つけ出して、俺が一人になったタイミングを狙って、意図してこの場所に連れ込んだ。

 自分は罰されたくないと思う、典型的ないじめっ子仕草をする女だ。


 悪い予感だが、ホルンをあえて放置したのには理由があるとしか思えない――。


「ホルンが危ない」

「なに?」


 前回は時間稼ぎだった。

 今回は俺を痛めつける時間を確保するための陽動――囮として、ホルンの所在地を密告していたとしたら?

 ベイタがそこに向かう。

 ホルンだけじゃない。綾姉だって危ない。


 さぁーっと血の気が引いた。

 俺は訴える。


「頼む!! お願いだ、俺をホルンの元に返してくれ! このままだと俺たちがここで時間を食っている間に、ホルンの元にベイタが行っちまう……ッ!」

「―――」


 俺の真に迫った表情を見て、女も事の重大性を理解してくれたようだ。

 ハッと目を丸くした彼女は直ちに車椅子を動かして俺の背に回り込み、自身のドラウプニルでできた手枷を解除する。

 俺は動けるようになる。


「その言葉に偽りはないな」

「ああ!」

「ではいまから私が言う場所に私を連れていけ。ゲートを開いてやる」


 今度は俺が女の後ろに回り込み、車椅子のハンドルをしかと掴んだ。

 ここからは反転攻勢。

 俺はこの女と協力し、脱出を試みる。

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