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第39話 誘拐

「……確かに協力したぞ。この隠し部屋のなかでなら何をしても人間を連れ込んだことが外の妹たちに勘付かれる心配はない」


「さっすが物知りな姉様! 宮殿のなかにこんな場所があるなんてアタシ知らなかったぜ。おかげで、アタシは心置きなくあの人間を虐めることができるってワケだ」


「……ああ」


「これで姉様もアタシと共犯だな!」


「……………」


 ▲▽▲▽▲▽▲


 目が覚めたとき、真っ先に感じたのは鈍器で殴られたような側頭部の痛みだった。

 おかげさまでぼんやりした頭は、本調子からは程遠いものだ。


「っ……」


 状況を確認する。

 どうやら俺は、椅子に座らされた状態で両手を後ろ手に拘束されているらしい。

 すぐさま脱出を試みるが、縄どころじゃない頑丈な拘束具に早くも絶望感を覚える。よくよく確認してみるとドラウプニルのような液状金属がへばりつくように俺の腕と椅子を接着させているようだった。

 認めたくはないが、全くの身動きが取れなくなっていることを理解したあと、次に俺はどうしてこんな目に遭ってしまったのかを振り返る。


 思い返すのは、意識を失う直前。

 俺は夜道を誰かに襲撃されたのだ。

 そのとき確かに聞こえた声は、かつて聞き覚えのある女の声だった。



『――人間!! お前はアタシが殺してやる!!』



 性格の悪い赤髪のワルキューレ。

 カーラと、同じ声だった。


「あの女か……」


 苦々しく吐き捨てる。あの耳障りなほど甲高い声を聞き間違えるはずはない。なんていったって、あの日のことはいまでもよく夢に出てくるのだ。ホルンを追い詰める刃物のような言葉の数々に、惜しげもなく殺意を向けてきやがったあの声。あの言葉。あの眼光。

 俺にとっては襲撃者のベイタよりも、怖くて嫌な奴。


「よぉ。目が覚めたみてぇだな?」


 ―――、はっと顔を上げた。

 俺の真正面には、俺が綾姉のために買ってきたシュークリームを勝手にむさぼる赤髪の女がいる。

 そいつは座面に片足を乗せて柄の悪いヤンキーのような態度でこちらのことを見下しながら、ひどく楽しそうにクツクツと喉奥で噛み締める笑い方をする。


 舞台役者のような大仰な身振り手振りで語った。


「どれだけ見つけ出すのに苦労したか。なァ? つまんねぇ。なんか言えよ」

「――ホルンは」

「ハッ、ホルン!? 知らないねェ! あんな奴はベイタにでも任せときゃいいんだ、アタシがムカついてんのはお前だよお前。おーまーえ」


 丸めたゴミが顔に投げつけられてイラっとくる。

 焦るな、冷静に。冷静に……。こいつは、俺に強い恨みを持っていることがよく分かった。前回もそうだが、こいつはお喋りだ。機嫌がいいうちに情報を集めて、どうにか逃げ出すための糸口を探す。それしかいまの俺に残された活路はない。


「滅多なことは考えんなよ〜〜〜?」


 すくっと立ち上がったカーラは、手元のドラウプニルを変化させた槍の石突で俺の胸をトンと小突き、そのままグッと押し込んで椅子の角度を不安定にさせてくる。


「っ」


 このまま押し出されたら、俺はあっけなく背中から倒れることになるだろう。つい安定感を取り戻したくて床を探すようにつま先を伸ばしてしまうと、嗜虐的に顔を歪めたカーラは胸部から槍を退かしてくれる。

 椅子の角度が元に戻る。

 奴は、俺の反応を楽しんでいる。


「こんなことを、していいのか。ワルキューレが」


 綱渡りのような感覚で、慎重に問いかける。確かホルンの話では、ワルキューレとは原則人間に手を掛けることができなかったはず。

 最近の不審死事件を考えると、やはりワルキューレ側で何かが変わった? それとも……。


「ハァ? うるせぇうるせぇ、関係ねェだろ。ここにいるのはアタシとテメェだけだ。知ったような口聞いてんじゃねー」


 取りつく島はないみたいだ。

 カーラは、こつ、こつ、とかかとを鳴らしながら俺の背後に回り込んでくる。


「アタシさァ、お前みたいな奴が一番嫌いなんだ?」


 感情を感じさせない、あっけらかんとした口調でカーラは言った。

 しかし、滔々と語るその口振りには徐々に憎悪の色が滲んでくる。


「行動と実力が伴っていない奴。現実がまるで見えていない奴。ホルンもそうなんだよ。いい子ちゃん気取りってヤツ? 自分では何もできない、なんの力もない雑魚のくせして、口だけは一丁前にまともなことを吐きやがるんだ。恥ずかしくないのかねェ、それで何か変わるわけでもねーのに」


 後方から威圧感を感じる。「なァ? どう思う?」と奴はこちらの意見を求めてくる。腹が立つ。

 あの日のことを思い返す。半ば精神支配されているようだったホルンなら、ここで言い返すことはなく萎縮してしまって、更なる口撃を許してしまっていただろう。

 これはカーラの……いじめっ子特有の、一種の手口のように思える。相手に一方的にレッテルを貼って、威圧して、精神的優位に立ちたいのだ。負けたくない。


 そうだ。ここで俺まで呑み込まれたら、いったい誰がホルンを庇ってやれる?


「は……、ハンッ。恥ずかしいのは、お前だろ」


 恐れを押し殺して、鼻で笑ってやった。

 俺は真っ向から言い返すことを選ぶ。


「ま、まともな言葉って、お前は自分が間違ってる自覚があるからそう思ってるんだろ? グサグサと、言葉が胸に突き刺さるんだろ。みっともないぞ。お前こそ悪ぶるのをやめたほうがいいんじゃないか?」

「チッ。舐めてんじゃねぇぞ」


 ガッと背もたれが強く蹴られる。痛い。


「だから、テメェは、現実が見えてねぇんだよ。相手が誰だか分かってねぇんだ」


 興奮を隠せない様子でそう口走ったカーラは、俺の首元に両側から手を回すと、その手の間にドラウプニル製の細いチェーンを形作った。

 それをゆっくりと俺の喉に押し当てる。


「ただ殺すだけじゃつまらねぇからなァ〜〜〜。死なない程度に首を絞めてやる。何度も、何度もだ。しょんべん撒き散らしたってやめてやらねー。お前の精神が崩壊して殺してくれって懇願するようになるまで、延々と痛めつけてやる。現実を見せてやるよ」

「はゥッ……カッ……!?」


 ……!? まずい。息ができない。気道が塞がって、嗚咽のような声が吐き出される。ジタバタと必死に身悶えても、どうすることもできない。

 抜け出すことができない!!

 グググ、と強く締め付けられる。頭上から聞こえる魔女のような笑い声が、最悪だ。涙が出そうになる。限界が近付いてくると、フッと奴の力が緩む。

 息ができるようになる……!


「反省したか?」

「ふざ、けんなッ……!」

「はいはい」


 すぐに二度目が来た。息が詰まる。クソクソクソ、どうにかならないのか!? 苦しい、苦しい……!

 人の死にかけの姿を嘲笑うように、カーラは大はしゃぎする。


「キハハッ! 無様すぎんだろー!? 苦しいなァ!? 苦しいよなァ!? めちゃくちゃ気持ちいいぜアタシぁ! こちとらグズのホルンがいなくて、しばらくフラストレーション溜まってんだ。お前、最高のオモチャだな!」

「ッ……てめ……ホルンにもこんなことをッ……!」

「まさか。かわいいかわいい末の妹にこんなことするわけないだろ〜? お前はアタシに楯突いただからこんな目に遭わされてんだよ反省しろ。あの日庇ってくれた王子様がアタシの従順なペットになっていたら、アイツどんな顔するんだろうな! な!? 楽しみだぜ!」


 こいつ……! こいつこいつ!!

 許せない。度し難い。やり返してやりたい。苦しさと屈辱と復讐心に俺の心は歪みそうになる。こいつだけは絶対に赦したくない。


 ――どうしてホルンが処罰の対象になって、こんな奴の自由が許されてるんだよ……!!


 世の理不尽を思い知る。一度反省したふりをするべきなのか、このまま地獄の責め具を味わい続けるべきなのか、俺のなかで葛藤が繰り広げられていると。


「カーラ」


 どこからともなく女が光に包まれて現れた。

 車椅子に乗った女だった。


 思わずカーラの手が止まる。

 その女は、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。俺を一瞥すると、すぐに目を逸らしてカーラを睨んだ。


「カーラ。ヘルヴォルがお呼びだ。その人間に拘るのは目を瞑るがやるべき責務はしかと果たせ。魔物を間引くのを疎かにするな」

「……………」


 返答はすぐには返ってこなかったが、「チィッ」と盛大な舌打ちが聞こえ、背後から奴の気配が離れる。


「うるせぇーなぁ〜。いまイイトコだってのに……」


 どうやら、カーラは仲間の女の言葉通りにすることを選んだみたいだ。ドラウプニルを元に戻したカーラはしばらく移動するとこちらを振り返り、指を差してくる。


「姉様は代わりにこいつを見張っててくれ。すぐ戻る。おいテメェ! 続きはそれからだかんな!」

「騒がしい奴だ」


 呆れたように首を振る女。対して、物に八つ当たるように踵を地面に強く打ち付けてガニ股で歩いていくカーラは、女が姿を現した特定の場所に向かっていく。

 もしかして、あそこが出口なのか?


「………」


 じっくりと観察する。カーラの姿はまるでどこかへ転送されるように、光に包まれると瞬時に消えた。

 確信する。せめて俺もこの空間から逃げ出すことさえできれば……。


 奴の気配がなくなったことに安堵し、脱力する。

 ふいに取り残された女と目が合う。

 ――この女は、いったい何者なんだろうか?

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