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第37話 〝冬〟の備え

 天穹陸に聳えるヴァルハラの管制室には、運命の女神であり戦乙女の少女が座っている。

 永年変わらずの美貌を誇る彼女の名はスクルド。目元に包帯を当てがい、来る黄昏の日までその瞳を閉ざしたワルキューレだ。

 彼女は管制室に呼び出した、小隊長クラスののワルキューレに問う。


「〝例の獣〟の動向は掴めていますか?」


 穏やかでありながら、彼女の性質を知るものにとってはどこまでも冷ややかに感じる声。

 萎縮した態度で一人のワルキューレは答える。


「げ、現在追跡中……。しかし、異界の海を泳ぎ続けていることは確認できています」


 異界の海とは異界と異界の狭間に横たわる無限の空間のことであり、この空間において魔物は存在するし存在しないものとして扱われる。巨獣の場合、スリップを経たことでその存在証明がなされているので、異界の海においてもワルキューレたちにその居処を追跡することができていた。


「――動向。の意味が分かりますか?」


 にこり、と微笑みながら、スクルドはワルキューレに詰め寄る。一切の沈黙を許さないように「答えなさい」と言葉を重ねて回答を迫った。

 緊張に呑まれたワルキューレは、首を横に振って正直に打ち明ける。


「わ、分かりません……」

「愚かですね。ああ、愚か、愚か。頭の悪い妹のためにわたくしが教えて差し上げましょう、動向とは『先を読む』ことです。追跡するだけでは頭が足りません。しかと、『未来』を視ないと」


 耳元で囁かれ、ビクつくワルキューレ。普段は各班を取りまとめる小隊の長として、多くの妹たちを従える身分にあるワルキューレが、こうしてわたくしの前では力を持たない少女のようにただ怯えていることに――嗜虐性を胸のうちに隠すスクルドは微かに笑みを浮かべると、言葉で更に彼女を追い詰めていく。


「もしや、無闇に追いかけているのではありませんね? 先日のような動きを許されては困ります。狩りの経験は貴女にもあるでしょう? ゆっくり、ゆっくり、我らが望ましい場所へ誘導していくのです。獲物には気取られぬように、じわじわと体を蝕む毒のように」


 分かりますね? と問われ、ワルキューレは何度も頷きを返す。反論もなく、詳細を語ろうともしないワルキューレにスクルドはつまらなそうな顔を向けると、


「分かったのなら。なぜ、まだここにいるのですか?」

「ハッはいっ、失礼いたします……! 引き続き、作戦に当たります!」


 と、辛辣な言葉で彼女を管制室から追い払った。


 ――巨獣の討伐を任される小隊の長があれでは黄昏も早まるばかりですね……。と呆れから来るため息にスクルドは彼女の評価を著しく低下させていると、今度は同席していた警備小隊の長であるワルキューレに異なる問いを持ちかける。


 警備小隊は、世界の均衡の守り手たる異界警備隊の主力となる部隊であり、五つの分隊に分かれて各世界に流出した異界の魔物の掃討に当たる。

 蛇足だが、カーラは警備小隊第三分隊に在籍する対魔物特化のワルキューレだ。


「ミッドガルド(地球)の状況は?」

「〝冬〟の到来は、避けられないかと」


 端的に言葉が返される。先ほどのワルキューレと違ってこちらのワルキューレには明確に『慣れ』があり、動揺している素振りがない。スクルドは先ほどと同じように詰め寄りながら、一言感想をこぼす。


「嘆かわしいですね」

「……はい。もっとも神秘が薄れ、我々の影響下から遠のいていたはずの惑星が、いまやその危険性は随一です。魔物の流出件数もさることながら、何かあと一つでも決定的な出来事が起きたら――〝冬〟は始まることでしょう」


 そうすれば、じきに大型の魔物も偶発的スリップを起こすようになるだろう。数百年前とは違い、技術力の進歩したミッドガルドでは情報の伝達速度が目覚ましい。

 世に言う『巨獣災害』発生後、連日連夜各所でその話題は取り上げられ、その影響は途切れることなく波及し続けている。

 認知が魔物の出現を加速させるという仮説も、あながち間違いではなかったりするのだ。


「――必要とあらば、干渉を許しましょう。ミッドガルドを神話の時代に戻してはいけない」

「ということは」

「手段は、選ばずとも結構です」

「はっ」


 スクルドからとある許可を得た警備小隊長は、礼儀正しい仕草で管制室を後にする。


 最後に取り残されたのは、スクルドともう一人の小隊長クラスのワルキューレ――規律を重んじ、規則を破ったものに制裁を加える権利を持つ、執行部の黒いワルキューレだった。


 彼女に振り向いたスクルドは、穏やかな表情で言葉を投げかける。


「貴女は、相当なヘマをしたわけですね。ベイタ」

「私のせいにしてくれるな。あの掟破りには、ワルキューレとしての矜持がなかった」


 不満げな顔で腕を組み、顔を背けるベイタはスクルドに口答えをしてみせる。他のワルキューレであれば間違いなくスクルドの静かな怒りを買うだろうが、不思議とベイタと話すときのスクルドには先ほどまでのような威圧感がない。


 スクルドと似た思想を持つベイタは、彼女にとって、特に可愛い妹だった。


「矜持ですか」

「ああ」


 掟破り――ホルンの行動は、ベイタにとって理解しがたいものがある。正々堂々たる決闘において気を衒った戦術を取るような戦への侮辱から、知ってか知らずか世界への影響力を考えないルーン魔術での大々的な攻撃。

 もしもこれが挑発のつもりならば賛辞に値する。

 忌々しいにもほどがあった。


 例によって、ごく至近距離にまで接近したスクルドは背の高いベイタのことを見上げながら口にする。


「〝冬〟の訪れは必ずや避けねばなりません。分かりますね?」

「ああ」


 異界警備隊ワルキューレにとって、もっとも大事なことは世界を守ることだ。目下、最重要任務とされている巨獣の追跡・討伐も、慢性的に各異界で発生している魔物事件の対応に比べればさほど困難なものでもない。


 人員を割かなければならない都合上、人手不足にはかなり悩まされるが……。


 それもこれも〝冬〟の到来を避けるために。

 流出した魔物の処分も、巨獣の討伐も、掟破りの処罰も、全ての目的はそこに回帰する。同時並行的に当たらなければならない。


「〝冬〟は……何がキッカケとなるかは分かりません。貴女だけ、貴女だけがワルキューレの矜持を正しく有する。運命の時を待つばかりの私の代わりに、貴女が、貴女だけが内にも外にもその目を光らせなければ」


 深々と念押しするように、言い付けるように、スクルドは告げる。ベイタはわずかに疎ましそうに顔を歪めるも、眼前のスクルドを見下ろしながら「……ああ」と短く返答した。


 スクルドはベイタに背を向け、天を仰ぐと、祈るように両手を胸元で組む。


「あぁ、あぁ、私の可愛い妹、ベイタ。清廉潔白を重んずる貴女には酷なお願いだと分かってはいますが、時には貴女も卑劣に身を染めなくてはならないのです。分かりますね? 悪魔のような妹を出し抜くために、そしての妹を護るためにも、貴女が身を張らないと。これは貴女にしかできないことなのですから」

「分かっている」

「えぇ、期待しています」


 スクルドは、薄く笑みを浮かべてベイタを見送った。

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