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第34話 大晦日

 クリスマスが終わると、翌日にはもう大晦日を迎えることになった。


 簡単に年越しそばを食べ終えた俺たちは、夜中の十一時過ぎ、横浜マリンタワー近くの山下公園へ足を運ぶ。

 ここでは毎年のように年越しのカウントダウンイベントが開催されるらしい。

 煌びやかなイルミネーションショーも近くで行われていて、観光がてら三人で固まりながら一緒に行動した。

 綾姉は寒がっているのか、口数がやけに少ない。


「これ、きれい……」

「写真撮るか?」


 イルミネーションの特設オブジェを見てそう呟いたホルンが一瞬だけ足を止めるので、すかさず俺はスマホを取り出して提案する。すると、「いいですね! どうぞ」と彼女は当然のように俺がオブジェ単体で撮りたがっていると勘違いしてオブジェから離れた。


 呆れたように「違う違う。ホルン撮るんだよ」と言い直すと、彼女は「えっ!? い、いいですよ……!」と気恥ずかしそうに遠慮する。ここまでは想定通り。最近はホルンの扱いがよく分かってきたつもりなのだが、ここで引くと実は少しだけ寂しそうな顔をするのだ。

 なので、


「ほらほら、そっち寄って」


 と問答無用でその背中を後押ししてやると、ちょろいというか押しに弱すぎるというか、ホルンはまんざらでもなさそうに応じてくれることが多かったりする。


 おずおずとオブジェに近寄って、気恥ずかしそうにピースをする彼女を撮影する。


「うぅー」

「ほら、よく撮れてるぞ」

「……画像で見る私、なんだか恥ずかしいんです」

「そうか? 別に、写りはいいと思うけど」


 とことこと俺のそばに駆け寄ってきて画面を確認するホルンが、そんなことを言う。でも本当に嫌がっているわけじゃない。その反応は顔色を見るとよく分かる。


 末っ子……なんだけど甘やかされていない分か、彼女は甘え下手なところがよく目立つ気がした。

 ホルンはお節介を焼かれたがりだ。ここにきて初めの頃は綾姉がああいう人だから、ホルンのことだから変に気を遣って息苦しくなっていないだろうかと気にしていたのだが、むしろ相性は良かったらしい。


 最近のホルンは暗い顔もしなくなってきていて、ようやく、年相応の女の子らしさが見られるようになった。


「見せつけてくれるねェ」

「なんだよ綾姉」


 じっ……とした目をしながらマフラーに顔を埋めた綾姉がつまらなそうに呟く。パッと雰囲気を切り替えた綾姉は俺に接近すると、「あっためて!」と言いながらその手を人の上着のポケットに突っ込んできた。

 すげぇ邪魔。


「歩きにくいんだけど」

「じゃあ手ぇ繋ぐ?」

「いやだよ恥ずかしい」


 すっと綾姉が人の手を取り――暖を取りたかったからなのだろうが――まるで恋人みたいに指を絡ませて握ってこようとするから、即座に手を上に挙げて逃れる。


「けちー!」


 と、綾姉は唇の先をとがらせて言った。

 いとことそんな真似ができるかオイ。


 拗ねる綾姉を連れて寒空の下、俺たちは目的の広場に到着する。


「ほらホルン、あれがこの前乗った観覧車」

「楽しかったですね、あそこ……!」


 さすが人口の多い横浜市だけあって、広場はカウントダウンを心待ちにする人でごった返していた。

 なるべく早く家を出たつもりだったが、それでも遅かったみたいだ。

 観覧車が見える場所に移動して待機する。


 山下公園の広場は海に面していて見晴らしがとてもいい。〇時近くになると観覧車のほうでカウントダウンの表示が行われ、時間になると汽笛がなり、向こうの大さん橋と新港埠頭(横浜ハンマーヘッド)から打ち上がる花火を眺めることができるそうだ。


 ここでの暮らしに適応してしまって深夜の冷え込みが相当厳しいのか、体を揺すって必死に寒さを堪える綾姉を東北民として苦笑する。

「パンチ!」と言いながら不服そうに拳を向けられた。


「あーもう! お酒が飲みたい!」

「その発言はあまりに呑んべいすぎないか……?」


 そんなことを言っていると、少し離れた場所で騒ぎが発生した。


「うおっ!? なんかいるぞ!?」

「きゃっヤダ! 鞄が切られたんですけど!」

「なんだなんだ」「通り魔か?」「動物らしいぞ」「何だって?」


 思わずホルンと顔を見つめあって、俺たちは頷き合う。


「悪い、綾姉はここにいてくれ!」

「様子を見てきます!」

「えっ? ちょっと、二人とも――」


 これが魔物の出現だったら大変だ。徐々に喧騒が広がっており、その中心点が動き続けていることから魔物本体は移動しているのだろう。騒ぎのなかには「いたっ!」「血が……」という複数の悲鳴がある。

 海の公園でも話したことだが、これが害をなす魔物だったら見過ごすことはできない。


「ちょっと道を開けてください!」


 人混みを掻き分けるように追いかける。足元をすり抜けるように移動しているらしい小型の魔物は広場から外れて茂みのなかに身を潜らせていった。

 躊躇せず俺たちはあとを追う。


 カウントダウンイベントを待ち望む集団から外れ、公園を縦断していく魔物を追う。暗くてその姿はうまく判別できないが、どこか見覚えのある動物を思い出した。


「イタチか――?」

「しぐまっ!」


 ふいに声を掛けられて突き飛ばされる。先ほどまで俺がいた地点を狙うように頭上の木の枝から飛びかかってくる――鎌があった。

 キラリと鈍色に光を反射させる前肢。

 すらりとした胴体。

 さすがの俺でも、瞬時にその正体と伝承を紐付けることができる。


 これは日本の妖怪・カマイタチだ。


「気をつけて! 複数います……!」


 駆け寄ってきたホルンが俺の前に出る。俺は自身の体を注意深く観察してみると、躱したはずなのに腕や頬にかすり傷のような裂傷がいくつも発生していた。

 逃げ続けていた個体と俺に飛びかかってきた個体は身を寄せ合うように合流し、警戒するように俺たちと睨み合う。茂みから、遥かに小さな二匹の幼獣も表に飛び出した。

 思わず絶句する。


「こ、れは……」

「家族……?」


 人目を気にしてのことだろう、小振りのダガーを両手にして臨戦態勢を取っていたホルンも、困惑した反応を見せる。

 俺は魔物に対しての見識が浅い。

 判断を仰ぐように彼女へ視線を送った。


「こ、こんなことは初めてです……」


 狼狽える。

 予想もしていなかった魔物の親子を見て、俺たちはなかなか身動きが取れないでいた。前肢が鎌のようになった全長三十センチもない小動物。その危険性については自覚していても、怯えるようにこちらを見上げる顔には積極的に攻撃を仕掛けることができない。



「――あ、あのー……」



 ハッと面を上げた。後ろから誰かに声を掛けられる。前回の経験もあって、ホルンは瞬時に武器を解いてしまう。「あっ」と気付くのも束の間、カマイタチの一家は隙を見るように逃走した。


 逃げられた。

 落胆の反面、内心でホッとしてしまう。

 あれは判断に悩む魔物だったから。


「………」


 ひとまず、俺は様子を確認しに来た一般の男性と適当に会話をこなす。


「何事もなかったです。お騒がせしてスミマセン」

「あの、頬の傷は……?」

「さっき、転んでしまって」


 愛想笑いで誤魔化す。この男性も薄々はUMAなんじゃ?と疑っていたのだろう、隠しごとをする俺たちをズルい、とあまり納得のいっていない様子で睨みながら、「はあ」とすごすご引き下がっていった。

 俺は安堵するように深くため息を吐いた。


「……しぐま」

「まぁ、あれでよかったんじゃないか?」


 あの瞬間取るべき手段はなんだったのか。気難しい顔をするホルンをなぐさめ、俺は気持ちを切り替えることを選ぶ。

 どちらにせよ、もうカマイタチを追うことはできない。

 いま出せる結論はないのだ。


「そろそろ、花火だから帰ろうぜ、ホルン」

「はい……」


 少しだけ後を引くようなものを感じながら、俺たちも綾姉の元に帰る。

 広場はすでに落ち着きを取り戻していて、もう間のなく迎えるであろう新年を誰もがいまかいまかと待ち侘びていた。


 間もなく、カウントダウンが始まる。


『10!』


 広場にいる全員が声を揃えた。


『9!』


 ほとんどの人がスマホで観覧車を撮影する。


『8!』


 気分が浮き立つ。


『7!』


 周囲の熱気に当てられて、ホルンも気を紛らわせることができたみたいだ。俺に肩を寄せてくる。


『6!』


 混ざってカウントダウンをしていた綾姉が、一人だけ「へっくしゅッ!」と盛大にくしゃみをする。

 身内として恥ずかしい……。


「もうすぐだ」

「はい……!」


 カウントダウンを数える。


『5!』


『4!』


『3!』


『2!』


『1!』



『ハッピーニューイヤー!!』



 拍手とお祝いの言葉、汽笛の音、イルミネーションのカラーが瞬時に変化し、遠方で花火がドドンと打ち上がる。誰かの上手な指笛が鳴り響き、ここだけでなく、世界各地で周囲が一体となって盛り上がるこの瞬間。


「明けましておめでと!」

「明けましておめでとう!」

「明けましておめでとうございます!」


 俺たちは、新しい一年を迎えた。

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