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第33話 白い謎の巨生物ケーキ

 特別に厨房のなかまで通してもらえることになった。

 少しひんやりしている。

 のっしのっしと動く店主の男性は、業務用冷蔵庫から試作品ケーキを取り出してステンレスの作業台の上に乗せた。


「見てくれ、これが俺の試作品――仮だが、ベヒモスケーキだ」

「う、お……」

「すっ、すごい……」


 そこにあったのは、両手で持ち上げないと仕方ないくらいの巨大なホイップケーキだった。丸々一本のロールケーキで白い毛むくじゃらの胴体を表現し、形を整えたパウンド生地であの巨獣の頭部をデフォルメ化して模っている。これではもはや作品だ。

 クオリティがすごい。


「二、三人前かなぁ〜って思うんだよ」

「高瀬の場合はね。五、六人でシェアするとちょうど良さそう」


 面白いもの隠し持ってるじゃん、みたいに瞳を輝かせた綾姉がまじまじとケーキを観察しながら、高瀬店主と気心の知れたやり取りをする。


「どうだ? よくできてるだろ?」


 ホルンと二人、素直にコクコクと頷いた。まさかあの巨獣がケーキで再現される日が訪れるとは思うまい。

 ベヒモスという呼称は誤りであるのだが。


 高瀬店主は、取り出したケーキナイフで巨獣の胴体を切り分けると、その断面に秘められた色鮮やかなフルーツたちを露わにする。


「鼻や耳のパーツにも使っているこのいちごは宮城県の特産品でな? ついついもう一つ食べたくなるから『もういっこ』って名前の品種らしくて、かわいいよな」


 円錐形で大粒のいちごは、確かにトッピングとして使うと映える。そうじゃなくてもわざわざ宮城県の特産・仙台いちごの主品種を使うあたり、鮮烈な記憶として残る巨獣災害をエンタメとして昇華することで世の雰囲気を明るくしていこうという気概が感じられてよかった。

 好感度が高い。


「味は問題ないと思うんだが、食べてみてくれ」

「いただきます……」


 ありがたいことに一切れずつ振る舞ってもらってしまって、俺たちは立食のような感覚でロールケーキをいただくことになる。ホイップは口溶けなめらかで甘さ控えめ、みかんやキウイやパイナップルなど、フルーツ類は酸味が強い構成になっていた。


 味わう。素人意見だけど、もう少し甘くてもいいんじゃないかなー、と思っていたら「飽きが来ないようにしてるのね」と冷静に分析する綾姉に納得した。

 なんだか親族以外の知人と交流する綾姉を見るのはこれが初めてだから、妙な気分だ。


「値段はー?」

「材料費制作時間もろもろ計上すると、予約制で四万くらい……」

「高いよ……」


 ケーキの相場が分からないのでなんとも言えないが、綾姉のやや引き気味のリアクションに賛同する。そんななか、黙々ともっくもっくとわんぱくにロールケーキを食べていたホルンは、俺の裾をくいくいと引っ張ってこちらを見上げるとまるで耳打ちのように「美味しいですね!」と感想を共有してくれたりした。


 ……んん、かわいいやつだなコイツ。


 店主は綾姉と話しているし、どうも伝える相手がいないから俺にだけ言うことにしたみたいだ。「そうだな」と笑みを返して頷くと、ホルンもまた嬉しそうにフルーツを口に運ぶ。

 実際、このケーキはすごく美味しかった。


「いやでもさぁ! 成功したらムーブメントになると思うんだよ! あんなでっけぇ怪獣ロマンだろロマン! このビッグウェーブにはいまから乗るしかねえよ!」

「カップケーキくらいのサイズで個売りしたほうが良くない?」

「それじゃあビッグじゃねえじゃん……!!」


 高瀬店主は大仰な身振り手振りで落胆してみせる。SNSなどにアップロードすれば話題性はあるだろうけど、売れるか売れないかは俺たちには分からない話だ。クリスマス後の時期にこのサイズのケーキを予約するのは、ハードルの高さもある気がする。


「上手くいくと思うんだけどなぁ……」

「実際、めっちゃクオリティは高いと思います。初めて見たとき、俺は感動しました」

「やっぱりそう思うか! ほら、男は共感してくれるんだよ。だってカッケーもんあの怪獣。試み自体は悪くないよな? な?」

「は、はい……」


 巨体に迫られて恐縮とする。その勢いに、時にはこういった流行も意識して日々新作を生み出さなければならないパティシエは大変なんだろうなぁと漠然と思った。



 試作品ケーキを味見させてもらったあとは、予定通り三人分のケーキを一切れずつ選んで購入し、家に帰ってクリスマスの飾り付けを行うことになった。


 身長の関係で俺が電飾などの飾り付けを担当し、綾姉とホルンはカラフルな風船を膨らませて床に広げる。


「フーっ、フーっっ!」

「あはは、ホルるん下手っぴ〜」


 その進捗はあまり芳しくない。

 一生懸命風船を膨らまそうとするけど、肺活量の関係でホルンは苦戦しているし、そんなホルンを見てケラケラ笑う綾姉は手が止まっていて全然作業が進みそうになかった。

 結果として、俺が全てを担当するような形になった。


「わあっ」

「ざっとこんなもんよ」


 一息で風船を膨らませると、ホルンが目を丸くして大層喜んでくれるからついついドヤ顔をしてしまう。

 そうしていると、爪楊枝を取り出した綾姉がおもむろに風船を割ってきて、パァン!とけたたましい音が鳴り響いた。

 びくぅっと体が跳ねる。ホルンは耳を塞いで怯む。


 睨みつけると、ひぃーっ、ひぃーっと過呼吸になりそうなレベルでこちらを指差して楽しげにする綾姉がいる。許せない。


「ちょっとホルン綾姉を取り押さえて」

「あはははは……、え? え?」


 ホルンが俺の言う通りに動いて、綾姉の後ろに回り込み背中で両手を組ませる。俺はもう一度風船を、今度は限りなくパンパンの状態に膨らませて青ざめる綾姉の顔にずりずりと押し当てた。


「成敗」

 ――パァン!


 綾姉はかくんと横に倒れた。


 ……なんていうおふざけも挟みつつ、意外にも飾り付けをしてしまえば簡単に部屋のなかはクリスマスカラーとなった。

 コスプレ衣装の代わりに購入されていた三種の被り物もそれぞれ被ることになり、ホルンは雪だるまのカチューシャを。綾姉はサンタ帽を。俺は間抜け面のトナカイを頭にして笑われる。許せない。


 それから、いつの間にか購入していたヘリウムガスでそれぞれの声色の変化を楽しんだり、対象年齢の低そうなボードゲームで気軽に遊んでみたり。


 夜も更けて腹がこなれてくると、注文していたピザが配達されるのでジャンケンをする。負けた人が被り物を付けて取りに行くジャンケンだ。それも俺だった。許せない。

 ご機嫌なトナカイになってしまいつつ。


 豪勢な食卓を、囲むことになった。


「フルーツタルトにしたのか」

「はい……! あそこで食べたフルーツが、とっても美味しくて」


 キラキラした顔でホルンがそう言う。ご満悦そうで何よりだ。ちなみに、俺は予定通りチョコケーキを選んで、綾姉は瀬戸内レモンを上に乗せたレアチーズケーキを選んでいた。

 チーズケーキの好みは俺と綾姉で真逆らしい。


「こ、このお方が、サンタクロースと言うんですね」


 ホルンは高瀬店主からサービスで頂いた、クリスマスの余り物、砂糖菓子のミニサンタクロースを両手で預かりながらまじまじと見つめる。

 実在する北欧のワルキューレが、キリスト教圏の行事であるクリスマスの主役・サンタクロースと初対面だ。

 妙によそよそしく挨拶をしているのがツボだった。


 ミニサンタはタルトの上にちょこんと乗せられる。


「ケーキ、美味しいねぇ」

「はいっ。美味しいです……! サンタクロースも、甘くて美味しかったです」

「もう食べられたのかサンタ」

「クリスマス、楽しいねぇ」

「もう終わってるんだけどな本当は」


 俺がそう言うと、「いちいち水を差すなぁー!」とすでに酔っぱらいの綾姉がやいやい俺に構ってくる。

 呆れたように首を振った。

 まあ、楽しいのは事実だからいいんだけどさ。


 思えば。


「ここまでしっかりクリスマスを祝ったのって、生まれて初めてかも」


 ぽつりと呟くと、綾姉がピコンと反応してくる。


「嬉しい? 嬉しいねぇシグシグ」


 俺の隣に回り込んできた綾姉が、肩に手を回して抱き付いてくる。体を揺するようなウザ絡み。ピザをたらふく食ったあとの胃には気持ち悪い。

 辟易しながらも、俺は頷く。


「……やってよかったなとは、思うよ」

「かわいいね〜〜〜!」


 うりうり。グリグリと。およそ高三の男子に対してやるべきとは思えない構われ方をされて、綾姉のことをぐいっと押し退かした。そうしていると、ホルンがぽーっとした目でそんな俺たちのやり取りを見つめるから、威嚇して顔を背けさせた。


 三人だけのちょっと遅めのクリスマスは、盛況のうちに幕を閉じていく。

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