「はぁー、そんなことが。おっかねぇなぁ。とりあえず役所さ電話して、どう対策すっぺか聞いてみるよおらが。今日はこれで解散。ほれじゃあね」
二つの証拠を写真に収めたあと、広場にまで戻った俺たちは先輩猟師たちと落ち合い、発見したものを全て報告した。
なかでも足跡が犬種らしいという意見は満場一致のようで、次手をどうするかは行政の判断に任せることになったようだ。イノシシであれば市から捕獲許可が、クマであれば県から捕獲許可が下されるのが常。
ならば今回のケースでは? となると、そうすぐ動けるものでもないみたいだった。
「今日はありがとうね、二人とも」
大した働きはできていないが、妙子さんがそんな言葉を俺たちに掛けてくれる。素直に受け取れず俺が曖昧な態度を取る一方、調査を切り上げて解散することに納得のいっていないホルンが、
「今日はもう調べないのですか」
と、ぽつりと呟いてしまった。
あちゃーと後頭部をさする。このあとの展開が予想できてしまって、思わず苦い顔を浮かべた。
「そうね。深入りは危険だし……まだ具体的な許可が降りたわけでもないから」
「………」
「……勝手に入っちゃダメだからね?」
案の定、怪しまれてしまったみたいだ。
納得がいかないのか押し黙るホルンに対して、妙子さんが困ったように俺に目を向ける。苦笑いで受け応える。
普通に考えて、調査の見学を申し込む高校生二人組(※片方は設定)などいるわけがないのだから、余計に怪しまれてしまっているのだろう。
妙子さんが言うような無茶な行動を取るつもりは俺にもないが、ホルンのこの態度は疑われても仕方のないものがあるように思う。
弱ったな。彼女をどう説得したものかと考えながら、「大丈夫です」と力強く頷いて妙子さんへの返答とした。
「じゃあ、連絡先を交換しとこうよ。何か情報が分かったら教えてあげるしさ」
「あっ、はい。それはぜひ」
「うん。それで、明日とか予定ある? よかったらうちに来てほしいな」
「へ? うち?」
「うちがやってるカフェ。知ってくれているでしょ?」
それはもちろんだ。
妙子さんとその旦那さんが二人で経営するジビエ料理店『ジビエカフェ むらくも』。中心街から外れた自然豊かな仙北のほうで抜群のロケーションと映えを意識した料理を取り扱い、観光客から密かな人気を集めているそう。
その話は射撃大会のときに世間話の延長線上でよく聞かせてもらったから覚えているのだが、俺は突然のお誘いのほうに困惑する。
「今度仙台に立ち寄ったらお邪魔したいって」
「あっ」
そうだった。すっかり忘れていた。
ただの口約束のつもりだった。
「……スミマセン。いま、金欠で」
「なはは。それくらいご馳走するよ。これも何かの縁だと思うしさ」
「い、いいんですか?」
「うん。聞きたい話もまだあるしね」
「あ、は、はい……」
なんだか申し訳ない。寛大な妙子さんと連絡先を交換し、そんなこんなで明日の昼はジビエカフェでご馳走してもらう約束を取り付けさせていただくことになった。
その後、解散の時間になり、続々と妙子さんを含め先輩猟師の車が公園をあとにするなか、最後尾の俺たちも続いていくことになる。
助手席に座るホルンは踏み込んだ調査ができなかったことについて、まだ釈然としていないみたいだ。
うーんと悩んだ俺は、こんなことを提案してみる。
「ダメ元で、図書館に行ってみるか」
「……図書館? ですか?」
うん、と頷いて答える。ホルンの気持ちも分からなくはないが、現状一般の俺たちの立場ではこれ以上の調査をすることはできない。
それなら、アプローチを変えるという作戦だ。
「魔物の正体が書いてあるかもしれないことに賭ける」
同時期に現れた生物がツチノコという日本ではもっともポピュラーなUMAであることを考えると、もしかしたら水の森公園の怪物も正体はそこにあるのかもしれない。
幸いにも時間は持て余していたし、そんな一縷の希望を抱きながら、俺たちは一度立ち寄ってみることにしたのだった。
――入館。図書館は足を踏み入れた瞬間に全身を包み込むこの静謐な空気感が好きだ。
ホルンに耳打ちする形でコミュニケーションを取り、目当ての本を探しに本棚を当たる。どこまでの範囲をカバーすればいいのか疑問だが、この際未知の生物が載っているものであればなんでも当たってみるべきだろう。世界の幻獣。幻想生物図鑑。世界の未確認生物。妖・妖怪図鑑。ミステリー生物ファイル。UMA辞典。そしてこれは別枠だが、北欧神話の解説書も。
目に付くタイトルを片っ端から抜き出し、ホルンと協力してテーブル席に持ち運ぶ。
ドサッと音を立てる重みが、この調べ物の苦労を物語っているようだった。
「本当にこのなかに情報があるのですか? それだと、こう……記録書と同じになってしまうのでは?」
「記録書がなんだか分からないけど、俺たちにとっての魔物っていうと、こういうのだから」
もちろん、その枕詞には『空想上の』というお断りが入るのだが。
公園で発見された例の怪物について、既にいくつかの特徴は判別できているのだ。その正体を考察する上で手がかりの一つにでもなりそうなものがこれらの書籍のなかにあれば、それだけで価値があると言っていい。
どうせ、ダメで元々だ。
閉館までは約三時間ほど。ホルンと俺は隣り合って座り、それぞれ適当な書籍を開いて条件に一致しそうな『魔物』はいないかを探る。
次第に、「どうして……」と食い入るようにページを読み込みながら、不思議そうに呟くホルンの姿があった。
「何かあったのか?」
「い、いえ、その……」
パタンと本を閉じて口籠もるホルン。その態度を不審がって俺は手を止めていると、ホルンは気まずそうに目線を落としながら言う。
「どこまで、しぐまに言っていいものか分からなくて。でも、その……。異界の魔物と、その多くが一致します。これら書物に書かれていることは」
「異界の魔物?」
「はい」
異界、異界。その言葉の意味を何度も咀嚼して考えてみる。
ホルンが開いていたのは幻想生物図鑑。古今東西あらゆる伝承・神話のなかの超常生物が、まことしやかに記載されている書籍物だ。
異界という言葉が字面通りの、すなわち異世界のようなものを指し、それが巨獣やホルンが元いた場所のことを示すのなら……。
「ホルン、ちょっとこれを見てみてくれないか」
先ほど手に取ったなかの一冊、北欧神話の解説書を一度ホルンに読ませてみることにする。
ドラウプニルという腕輪が、その能力は違えど同じ名称で存在していたことのように、いっそのことホルンに確認させることでその他の単語が一致するかどうかを試したほうが答えを得るには早いかもしれないと思った。
それこそ、北欧神話を代表する神々の王オーディンや終末の予言ラグナロクなどの特徴的なワードに反応してもらえれば、その瞬間に北欧神話関係の人物である線はかなり濃厚となる。
白を切られる可能性もあるが、生唾を呑み込んでその反応を窺う。
「え――」
と、ホルンは大きく目を見開きながら、分かりやすく狼狽えてくれた。
「ど、どうして、このことが……。私たちのことが……?」
その反応を見て、俺は確信する。
ホルンはこの世界に何が伝わっていて、何が伝わっていないのかを知らないんだ。
偶然にも俺が浅学だからホルンの情報の秘匿はいままで通用していたが、秘密にしたところで人間界にはその情報があると知ってしまえば、彼女は隠しきれないと気付く。
それにしても、UMAのみならず、まさか幻想生物までもが実際の魔物として存在を認められるとは真に思っていなかったけど……。
思い詰めたように顔を暗くするホルンが、いつかと同じように俺の袖をおもむろにきゅっとつまんだ。
そして面を上げ、まっすぐと俺の目を見つめる。
「……しぐま。話したいことがあります」
「………。分かった」
改まってそう口にするホルンを連れ、一度席を立った俺たちはあまり人気のない館内端のスペースに移動する。通行人もいないし会話が誰かに聞き取られるようなこともない。ここなら安心して会話ができるだろう。
ホルンは胸元に手を当て、深呼吸ののち、こんなことを口にする。
「私は、異界警備隊ワルキューレに所属していたんです」
……い、異界警備隊だって?