さて、目的地に到着。

　ここは一時的な拠点となる格安のビジネスホテルだ。いまは冬休みの時期で観光に来る客も多く、正直なところ予約が取れるとはまったく思っていなかったのだが、意外にもすんなりとこの一部屋だけ確保することに成功する。

　その理由は単純明快。どうも巨獣出現の影響で宮城への旅行を考えていた人たちのキャンセルが相次いでしまったらしい。

　現れたのはあの一瞬だけだったとはいえ、なぜ東北の一部地域に突如としてその現象は起こったのか。その因果関係の調査が進むまでは、安心してこの地に足を運ぶことができない。遠い地方に住む方から見ればほとぼりが冷めるまでは近寄りがたい土地になってしまったのだと思う。

　当然、いまは不測の事態だから、世間のその反応には納得するものもありつつ、地元民としては少しだけショックに感じるものがあった。

　まあ、逃避行をする上では追い風だ。

　都合がよかったと思うことにする。

　そんなわけで、チェックイン。金銭的な問題があるから長期滞在はできないけれど、昨日の車中泊が思いの外辛かったのできちんと休息は取るようにしたい。

　ここまで来るのに慣れない道をずっと肩肘張って運転し続けたこともあって、いざ出迎えてくれたベッドのふかふかさにはそのまま意識を持っていかれてしまいそうだった。

「しぐま」

　目を閉じようとする俺を見かね、手持ち無沙汰にちょこんと座っていたホルンが伺うように話しかけてくる。

「なに？」

「寝てしまうのですか」

「いや、寝ない。風呂も入る……。あ、でもホルンも入るか？」

「えっ？」

「よし、ちょっと来い」

　ベッドから起き上がり、ホルンを連れてユニットバスルームへ。ホテルのバスルームの使い方って慣れていないと分かりにくいから、念のために説明しておく。シャワーで簡単に浴槽内を洗って、洗剤やタオルの位置なども確認。お湯の温度はこれで問題なさそうだ。

「あい。先に入っていいよ。俺こっちに来ないようにするから」

「………あ、なるほど……」

　なるほどってなんだ。振り返ると何を勘違いしたのか耳まで赤くして俯くホルンの姿を見る。解せないものの、詮索は藪蛇になりかねないのを察した俺は、ホルンをその場に置いて約束通り向こうの部屋で待つことにした。

　ツインベッドの窓際のほう、つまりはバスルームから最大限に距離を取った場所で寝転がって時間を潰す。男女で一部屋の時点で精神的に気難しいものはある、こういうのは変に意識しすぎないようにしたい。

　次第に暇を持て余した俺は、今朝から気になっていたホルンのバングル――ドラウプニルについて、検索を掛けてみることにした。

　まさかのヒット。なんと北欧神話のなかに登場する神器が同じ名前だった。

　黄金の腕輪、ドラウプニル（Draupnir）。

　その正体は北欧神話において鍛冶の名人として知られるドワーフの兄弟が、悪神ロキとの賭け事の末に、神々の王オーディンへ献上したとされる｜宝物（ほうもつ）で、九夜ごとに同じ重さの腕輪を八個錬成するという特性を持つ。その別名は滴るもの、雫を意味する言葉が語源にあるそう……。

　うん、思っていたのと違う。

　これでは腕輪ということしか一致していない。

「これはどう捉えるのが正解だ……？」

　ドラウプニル、という単語が表すものが北欧神話に由来する上記のものしかない時点で、その関連を否定することはできない。がしかし、ホルンの持つドラウプニルは銀色のデザインだし、武器に変化するという記述もなければ、ましてや何らかの探知・感知機能があるといったような効果を仄めかす要素もない。

　九夜ごとに増える、という伝承通りの効果をどう解釈しようとしても、ホルンのバングルの特徴とは結びつけられない。

　この世界の北欧神話のドラウプニルと、ホルンの持つドラウプニルは、奇しくも名前が同じなだけで全くの別物ということなのだろうか？

　いや、そんな偶然あるか？

　うーんと声に出して悩む。

　そうこうしているうちに、シャワーを済ませたホルンがバスルームから出てきてしまった。

　火照った肌としっとりした濡れ髪。ホルンには似合わないそのあでやかさに思わず目を逸らす。

「気持ちよかったです。しぐま」

　そんな報告はいらない。

「ぜひ、しぐまも」

「……どうも」

　勧められるままに今度は俺がバスルームへ。

　気になることは多いが、実際に尋ねるのはもう少し情報を集め、かつ親しくなってからのほうがいいだろう。

　ホルンは神話に関係する人物だ、といってしまうとまるで妄想癖の強い人間みたいだが、なんせ巨獣が突然現れて突然消えるようなこの頃だ。普通に考えればそんな荒唐無稽なことが、実際にあり得ても何も不思議ではない。

　ただ、北欧神話について俺は疎いから、空き時間に調べていくのが大切だと思った。

　簡単に汗と疲れを流して退出する。サッパリして気持ちいい。

　しばらくは状況の様子見がメインだから、衣食住の衣と住が揃った時点で今日することは何もない。いっそのこと観光でもするか？

　午後からの活動について相談しようと考えていると――。

　ふいに防災行政無線の放送が、市内全域に流れる。

「？」

　思わずホルンと顔を見合わせた。

　こんな時世だ、妙に緊張するものもありながら放送内容をしっかりと聞くため、窓ガラスを開けて耳を傾ける。

『こちら――、仙台市役所です――。本日――、午前九時頃――、泉区水の森公園付近で――、正体不明の謎の生物が目撃されました――。近隣住民の皆さまは――、くれぐれも外を出歩かず――、注意するようにしてください――』

　典型的なアナウンスの四音チャイム音が流れたあと、同じ内容がまたも読み上げられる。これは聞き間違いじゃない。

「しぐま、行きましょう。魔物かも」

　魔物？　と首を傾げそうになるが、切迫した様子でホルンに頼み込まれて応じるしかなくなる。

　巨獣に相次いで、市内中心部での謎の目撃情報。

「……分かった」

　危険が伴うのは重々承知の上で、俺たちはそこへ向かうことになった。