その後は車を別の場所に運び、明け方まで車中泊することにした。
言葉通りに緊張が取れたのか、食事を摂ったあとのホルンはそれからほどなくしてうつらうつらとし始め、いまではすっかりと規則正しい寝息をしている。
幸の薄そうな困り眉も、寝ているときは穏やかな顔つきに戻れていて、無事に休むことができたみたいだった。
俺も背もたれを倒して眠りに就く。
これがなかなかままならなくて、安眠とは程遠い結果だった。辛い。
そんな形で迎えた翌朝は、着信音で目を覚ました。
時刻は七時前。その相手はなんと祖父だ。
「じっちゃん! 無事にしてたか!」
『おぉ志久真! お前ぇもなんとかなっとか!』
慌てて飛び出した車外で通話する。じっちゃんの安否を確かめることができて嬉しい。お互いが無事であること、その喜びを分かち合うようなやり取りを数度交わしたあと、それぞれの近況報告に入る。
まずは俺たちが逃げ出したあと、実家では何が起こったのか?
『あんよく分からん女はお前ぇらが出て行ったあと、おらには目もくれずビューン飛び出してってよ。心配で仕方ねがったんだ』
「こっちに追いつかれることはなかったよ。じっちゃんこそ無事でよかった。本当に無茶な真似はしないでくれ……。あのときあの女の標的がじっちゃんに移っていたらと思うと、ゾッとする」
『んなぁ、することしたまでよ』
いや、本当に不安で仕方なかったんだぞ。電話越しにかっかっかっと笑い飛ばすような祖父の豪胆さに辟易する。
あのとき足止めしてくれたおかげでいまの俺らがあると言っても過言ではないが、それでもやはり、無茶な真似はしないでほしかった。
じっちゃんは自分が後期高齢者であるという自覚が足りない。
『女の子は無事か?』
「うん……。ちょっと仲良くなった。ホルンっていうらしい」
『お前ぇに似た変な名前じゃないの』
んん、急に失礼だなじじい……。
無事を確認し合えた高揚感もあるせいか随分と懐かしいいじり方をされて苦笑いする。祖父の名前が志一郎であることからも分かるように、うちの家系の男子は「志」という字を継ぐことが多いのだが、時代のせいで俺だけこれだ。
久々の会話はところどころにアットホームな笑いを交えながら、俺はホルンのことについてこれまでの経緯を説明する。
「……そんなわけで、旅は道連れってわけじゃないけど、色々鑑みて手を貸してみることにした。これも何かの縁だと思うし」
『おお、やったれやったれ。死ななきゃなんでもいい』
さすがのじっちゃんである。そう言うと思っていたことを、見事に言ってくれて嬉しい。
「それで、そっちが無事そうなら一度物を取るためにも帰ろうとは思っているんだけど、大丈夫か?」
『や、それは辞めといだほうがいいな。昨日の晩から自衛隊が来よって、このへんはきっつい警戒網が敷かれとる。昨日はうちまでわざわざ聞き込みに来てよ』
「はあ? なんで」
『おらん家は現場から離れてっちゃけど、あん周辺はおらが仕掛けだ罠もあっから、なんか知んねぇがって探りに来たんじゃねぇかな。おかげで今朝まで拘束よ』
それで昨日は連絡がつかなかったのか。
しかし、自衛隊による警戒網。出入りが厳しくなる可能性については全く考えていなかったが、状況を考えると無理もないのかもしれない。一日が経ち、これまでの日常に戻る人も多いが、あの一瞬は確かに類を見ない非常事態だった。それは事実だ。
今後を考えるなかで、ホルンを自衛隊に引き渡す……はおそらく、難しい話だし。
長時間拘束されることと、問答無用で家屋に突撃してくるような襲撃者に命を狙われている状況であることを踏まえると、しばらくは帰らないで逃亡生活を続けるほうが賢明か。
「一緒に猟できなくなってごめんな」
『馬鹿言え、どっちみちおらも行がねぇよ。怖ぇべ?』
かっかっか、と楽しそうに笑い飛ばされる。
そんなじっちゃんの気遣いを嬉しく思いつつ、耳が痛くなるようなその騒がしさにはうんざりするものも感じながら。
「とりあえず、状況が変わったらまた連絡するよ。じっちゃんも気をつけてな」
『おう。気張れよ志久真』
ぷちっと通話が途切れる。じっちゃんがそこにいるわけではないのに、背中を引っ叩かれたかのような激励を感じることができた。
寝起きで実に情報量のある会話だった。通話後、深呼吸を何度か繰り返してリフレッシュした俺は車に戻る。
その頃にはホルンも起床しており、またよそよそしい態度に戻っていた。
「おはよう」
「……おはようございます」
朝飯はこれ、と昨日のコンビニで買ったおにぎりを手渡す。俯く少女は先ほどまでの電話の内容を気にしているみたいだったので、食事の合間に内容を簡単に共有する。
すると彼女は小さな声で「……そっか。よかった」とほっとしたように口にした。
俺はそれを聞き逃さなかった。
「何が?」
「え……と、おじいさまがご無事で。私のせいで、傷付かなくて」
「ああ、そういうこと」
ホルン、いいやつじゃん。しかしおじいさまて。
そう呼ばれたのが全く祖父のイメージに合わなくて、吹き出しそうになるのを堪える。
危うくおにぎりが詰まるところだった。
「――それで、今後の話なんだけど」
「はい」
簡単な朝食を済ませ、落ち着いた頃。
激動の一夜を乗り越えて冴えた頭で、ホルンと作戦会議を開く。
「俺たちが逃亡生活をしていくにあたって、まず確認しておきたいことがある」
「はい」
「
「………。はい」
やっぱり。そりゃそうだよな。どういうわけかピンポイントで我が家を襲撃できた何者かを相手に、どこか一処に身を隠せば安全などと考えるほうが浅はかだ。
自ずと自衛隊に保護してもらう案も棄却するしかなくなる。
険しい顔をする俺を見て、彼女は両手を持ち上げながら言葉を付け加える。
「でも、もしも彼女が攻めてきたときは、私のドラウプニルに反応があるはずです」
「ドラウプニル??」
「はい」
いや、『はい』じゃなくて。両腕のバングルを見せつけるようにするから、そのことを言っているんだろうとは思うが。
……ドラウプニル。ドラウプニル? 俺は聞いたこともない。スマホで検索すれば、言葉の意味の一つや二つでも出てきたりしないものだろうか。
一応試してみるか。あとで調べてみるため、用語を忘れないように気に留めつつ。
「反応って昨日の点滅だろ? それが分かったところで逃げる時間はないんじゃないか?」
改めて話の本題へ。
それはものの数秒ほどの出来事だったように思う。あれでは不意打ちを回避できるだけで、実際に逃げ出す時間が確保できるわけではない。
俺がそう指摘すると、彼女は言葉を詰まらせる。やっぱり対策のしようなんてないんじゃないか、そう思っていると。
「……頻繁に攻めてくるとも思えません。
「重要な任務……アイツも言ってたよな。巨獣か?」
ホルンは躊躇いがちに首肯する。
あまり共有したくない情報だったみたいだ。
少しは俺に対する信頼も芽生え始めてると考えていいだろうか。
「それなら少しは余裕があるな。あまり悠長にもできないんだろうけど……」
「はい」
結局、いま俺たちがこうして無事でいられるのも、向こうが本気では探していないからだ。
ずっとマグロのように泳ぎ続けなければ死んでしまう、なんていうハードモードな話よりも、随分と気が楽なのは確か。
あまりいい考えた方ではないが、あの巨獣が時間を稼いでくれているうちに俺たちはどうするか考えたほうがいい。
「ちなみに、アイツの索敵方法は分かるか?」
「分かりません。私のものとは、少し機能が違うから」
オーケーオーケー。ドラウプニルね。あとで調べてみるから。
ひとまず、逃避行を続ける上での前提条件はまとまったか。
「じゃあ、そうだな。案がある」
現在地点が隣の市とは言えど、襲撃された実家からの距離で考えるとそれほど大きく離れているわけではない。どういう形で索敵されているのかは分からないから、ひとまずは距離を取るように逃げ続けることが大事だと判断する。
「仙台まで行こう」
宮城県登米市から南下した先にある東北最大の都市へ。
一時的な潜伏場所として、人の流れが盛んな中心街で様子見することを画策する。