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第4話 ホルン

「信号が途絶えた……。もう、追われてないみたい、です」


 隣の市に移動しながら、逃亡を始めて一時間ほどが経った頃。手元のバングルの信号の変化を一点に見つめていた少女が、恐る恐ると俺に向かってそう報告する。

 近くのコンビニエンスストアに車を停めた。

 まだ慣れていない運転に、肩に力が入りっぱなしだ。


「疲れたからちょっと飲み物買ってくる」

「……あ、あの。付いていっていいですか?」


 下車しようとすると座席から身を乗り出すようにして袖を掴まれ、そんなふうに呼び止められてしまう。あまり気の回らなかった俺はそっけない振る舞いをしそうになったが、彼女のその顔が妙に不安そうだったから、嘆息一つ吐いて首肯する。


「いいよ」


 そうして、コンビニ店内へ。

 空調機のおかげで室内は暖かい。ホットドリンクを扱うケースの前へ移動すると、後ろからトコトコと妙に存在感のある少女が付いてくる。

 こんな田舎に薄着で銀髪、包帯巻きの女の子だ。さすがに何か対策をするべきだったか?

 レジ打ち店員の女性の向けてくる視線が冷ややかに感じる……。


 不審に思われるのを避けたかった俺は、『大丈夫ですよ、犯罪じゃないですよ!』と念を送り飛ばすような気持ちで店員に向かってニコっと微笑んだ。

 サッと目を逸らされて、胸が痛い。


「はあ……」

「……?」


 こいつはなーんも分かってない。

 他人の気苦労も知らないで、不思議そうな目をして見上げてくる隣の少女を疎ましく感じ、俺は先ほどから地味に気になっていたことを指摘する。


「お前、自分の分は自分で買えよ」


 我ながらみみっちい台詞だけども。まさかそこまで俺が面倒を見てやることもないだろう。金を持っているのかどうかは知らないが、買って欲しいなら欲しいとそう言うべきだし。それに付き纏いすぎなのだ。目立つ少女を平凡な男がそばに置いているから怪しまれる。

 何も店内でまで一緒に行動する必要はないと思うしな。

 というわけで、それだけ告げた俺は、とりあえず飲みたいホットドリンクを選択し、しばらく様子見で店内を見て回る。


 結論から言うと、彼女は俺のそばから一度も離れようとしなかった。


「お会計がこちらになります」

「………」


 いや、冬場にワンピース一枚の少女を連れて自分用のホットドリンクしか購入しない男、さすがに世間体が悪すぎるだろ!

 やましいところがあるわけでもないのに、事情も知らない店員のジトッとした目と合わせられない。この少女は買い物がないならないで入り口で待つとかの空気読みはできないのか!? 苛立ちとムカつきとモヤモヤする頭で一旦、お会計を済ませ、自意識の薄い少女を強引に引っ張って適当なホットドリンクを選ばせる。購入する。店の外に出る。


「お前もうちょっと気を遣えよ!」


 思わず不満をぶちまけてしまう。本当に付いてきただけじゃねえか! いや、心細いのは分かるのだ。分かるが、もうちょっとこう、あるだろう。ただのコンビニだぞ。お前は俺の腰巾着か!

 俺の荒らげた声を聞いた彼女は怯んだ態度で俯く。言葉数が少ない。滅多に口を開かないから、悪いと思っているのか思っていないのか、何を考えているのかすら伝わってこない。

 ……やりづらさを感じる。


 とにかく、なんとか溜飲を下した俺はひとまずの視線対策として、上着のジャケットを「着るように」と投げ渡してから車に乗り込んだ。


 一人きりになり、何度目か分からないため息をする。


「冷静にならないと……」


 その後、少し遅れて言われた通りにジャケットを羽織った少女が助手席に乗り込んでくる。しかし顔は暗いまま、ホットドリンクは大切そうに両手に持つだけで、気持ちを切り替えてから合流するということは知らないらしい。

 陰気なオーラにこちらまで引っ張られてしまいそうだ。

 つくづく手のかかるやつだなと呆れながら、空気を変えるために俺は声を掛ける。


「……で、名前は?」

「………ホルン」


 教えてくれるとは。

 思わぬ素直な返答に、俺は嬉しくなって明るくリアクションを取る。


「ホルン? なんだ、いい名前じゃん。あるならもっと早く教えてくれよ」


 ホルンは曖昧に首を傾げる。自嘲げな苦笑いが印象的だ。

 態度は気になるが、質問に答えてもらえるようになっただけ前進だと受け止め、俺は続けての疑問を投げかけてみる。

 とはいえ、なんであそこにいたのかは聞かないほうがいいか?


「あー、その、ホルンは何者なんだ?」

「………」


 うーん。答えてはくれないと。

 後頭部を掻く。これでは話を進められない。またも沈黙が訪れそうになるなか、仕方なく、俺は聞き出すことにする。

 改めて尋ねるのも悪いけど。


「あそこにいた理由は?」

「……っ」


 半ば問い詰めるような形にもなりつつ、逃げ出す前に『全部教えてもらうからな』と約束したのが効いたのか、これについてはホルンは口を割りそうだった。

 彼女が話し出すのをじっと待つ。


「……巨獣を、追ってました。でも、私は、グズで、ノロマだから。一人だけ、攻撃を躱せなくて、墜落した。みんなの足を、引っ張っちゃった」

「お、おいおい……」


 急に自分を卑下し出して狼狽える。自己評価が低いのか? そんなことを自分から言い出したっていいことは何もない。

 語りながら苦しそうに背を丸める少女を、労ってやろうと手を伸ばしたが、軽率に女性に触れてなるものかと若干の理性が俺の善意を阻む。


 大人しく彼女が落ち着くまで見守った。


「……話してくれてありがとう」


 答えたくない質問だったろうに、答えてもらったことに感謝をする。

 頃合いを見計らってそう伝えると、ホルンはこくりと頷いた。まだ枯れた涙が後を引いているみたいだったから、その流れでホットドリンクを飲むことも勧めると、彼女は一口だけ口を付けて深呼吸をする。

 その姿を見て、もしかしたらこの子は思ったよりもずっと素直な子なのかもしれない――、と彼女に対する印象を改めながら。


 気になることは、依然としてあるが。

 続けて聞くべきは襲撃者の正体か。


「それで、次の質問なんだけど、あの黒い女はなんなんだ?」

「………。……彼女は、私の姉」

「あっ、姉? 姉!?」


 思わず大きな声が出てしまった。

 いや、ホットドリンクを握り込む両手に力が込もったのを見ていたから、何か訳アリなんだろうなとは思っていたが……。


 言葉を交わすこともなく、真っ先に槍で刺し穿とうとしてきたあの女が実の姉であると言うか。詳しいことは分からなくても、これだけで込み入った事情があることは分かるし、ホルンがずっと暗い顔をするのにもなんだか頷ける。

 思ったより、事態は深刻なのかもしれない。

 彼女を追い詰めないように、俺は慎重に言葉を選んで尋ねる。


「……どうして、命を狙われることになったんだ?」

「私が、掟を破ってしまったから」


 確かにあの女も似たようなことを言っていた。『掟破りを発見、最重要任務期間中につき速やかに処罰する』と、そう言って奴はバングルを槍に変え襲いかかってきたのだ。


「掟って?」

「人と触れ合わないこと」


 ―――。思わず、息を呑む。

 いや、それは、無茶だろう。それで命を狙うのはやりすぎだろう。点と点が一本の線で繋がる感覚。だからホルンは俺たちに救われたことを後悔し、自暴自棄になりかけていたのか。意図せず人に触れられ、掟を破ったことになり、命を狙われてしまうからと。


 じっちゃんの憤りがなければ、彼女が生きたいと言えることはなかったかもしれない。

 それほどまでに理不尽で、あの状況下じゃどうしようもない話だ。


「そんなのって……」


 責任の一端が自分にあることを知らしめられ、言葉を続けるのが難しくなった。ホルンも状況は理解しているようで、ここで俺を責め立てるような真似はしてこない。だからこそ俺は行き場のないぐちゃぐちゃとした感情を覚える。

 それって……、どうなんだ?

 背もたれに一度身を預け、頭を整理させた頃に会話を再開する。


「……ホルンは、これからどうするんだ?」

「………分からない。でも、私は、死にたくなくて……」


 そう言って彼女は膝を折りたたみ丸くなる。心臓がきゅっと痛んだ。

 だよな、答えは出せるものじゃない。ここまで話して、ようやくこの少女の精神状態が分かってきたような気がする。


 道理でずっと浮かない顔をするわけだ。死にかけたと思ったら助けられ、助けられたかと思ったら今度はそれが原因で命を狙われるようになり、誰かを責めることもできなければ、あとに残るのは後悔の感情だけ。過剰な自責は褒められないが、それだけ責任感があって思い詰めやすい性格なのも分かる。


 ……もしもこのまま放っておいたら、彼女は実の姉に命を狙われ続けるのか?

 ただ、人に触れられただけで? それとも見殺しにしてやればよかったって? 掟はそんなにも大事なものなのか? 生きたいと願う少女の気持ちを、追い込むだけの理由がそこにあるのか??

 馬鹿げてる。そんなことはおかしい。


「うん……。分かった、そうだよな」


 自分のなかで一つの結論を出すとき、声に出して本当に納得できるのかどうかを自問自答してしまう節がある。

 答えは是。腹をくくる覚悟ができた。


 もう少しこの少女に付き合う心構えが。


「じゃあ、作戦を練ることにするか。いつ次が来るか分からないし、俺もしばらく協力するからさ」

「え……」


 彼女が驚いた顔でこちらを見上げる。ようやくまともに目が合った気がする。いままではどこか伏目がちで、しっかりと目と目を合わせて会話をすることがなかったから。

 まっすぐと俺の顔を見つめるその瞳。つぶらで大きくて、純粋で、宝石のような輝きがあって。

 本当に現実離れした――美少女だなと、認識する。


「い、いいんですか……?」

「ホルンの話が本当なら、俺にだって助けた責任はあるだろ。その後がどうなろうと知ったこっちゃないなんて、そんな薄情な人間のつもりもないんだよ、こちとら」


 震えた声で発言を確かめられ、俺は見栄を張った返答をする。

 まあ、言葉は嘘じゃない。

 じっちゃんの安否は早めに確認させてもらいたいところだが、彼女のために車を運転してやるくらいならいまの俺にだってできるだろう。

 命を狙ってくる実姉に対して、彼女がこの先和解か対決か逃げ続けるのかは俺には分からないが、次の当てを見つけるくらいまでなら手を貸してやりたいと思う。


「さっきは、冷たく当たって悪かった」

「い、いや、そんな……」


 俺がそう言うと、ホルンはふりふりと強く首を振りながら、態度に反して気弱な声で否定する。彼女が内気で人見知りな性格なのもよく分かったから、きちんと付き合い方を考えれば、今後も良好な関係を築けるはずだ。

 いくら余裕がなかったとはいえ、さっきまでの俺は大人気なさすぎた。見たところ彼女は俺よりも三つ四つ下の年齢には見えるし、年長者としての気配りは心掛けたい。


「……ありがとう、ございます」

「うん」


 これで具体的に何かが変わるわけでもないが、味方がいると分かれば彼女も少しは安心するんじゃないか。

 そう思って今回言葉にしてみたわけだが、実際にほんの少しだけほっとしたような表情をこちらに向けてくれるホルンを見て、俺も笑顔で返す。


 相互理解はコミュニケーションの基本。つい数分前は何を考えているのか分からなかった少女も、人一倍悩んで苦しんでいただけなのだと分かると、どうにかしてその気持ちを明るくさせてやりたくなった。


「そうと決まれば腹ごしらえはしないとな。ここはダメ、別のコンビニで簡単な飯でも買おう」

「えっ、は、はい……」


 シートベルトの着用をお願いして、俺は慎重にハンドルを切る。

 何はともあれ、現状最大の懸念点としては、俺が初心者マーク必須のペーパードライバーであることくらいか。


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