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第2話 消失

 多くの市民によって撮影された謎の巨大生物。

 その映像を取り上げる情報番組のコメンテーターは、「巨大なウォンバットみたいですね、白いけど」と見たままの姿形を例えて口にする。アナウンサーの女性は神妙な面持ちで頷きを見せ、モニターの画像を切り替えて報道を続ける。


「こちらの正体不明の巨大生物、いま議論されているのは消失の目前まで見せていた謎の予備動作です。一見すると遠吠えの前触れのような姿勢を取ろうとしているように感じられますが、映像の上部をよくご確認ください。分かりますか、奇妙な光が発生しているんですよね……」


 その現象を正しく説明できる人間などどこにもいない。これが仮にゴジラのような熱線を吐く前触れだとしたら? 現実にはあり得ないそのふざけた憶測や不安の芽を、完全に否定することは誰にもできないのだ。


「もしも、日本はいったいどうなっていたのでしょうか?」


 ▲▽▲▽▲▽▲


 ――逃げ出してからすぐに二発の銃砲が鳴った。これはじっちゃんによるものだ。

 振り返っては信じられない光景に目を丸くし、すかさず足を止めて声を張り上げる。この状況下で攻撃するなんて何を考えているのか。このまま逃げることによる生存確率と、引き返すことで発生するリスクを天秤に掛けて、愚かな祖父を見捨てることなどできない俺は引き返すことを選択する。


「やめてくれ! じっちゃんも早ぐ逃げっぞ!」

「なんだぁ、おらぁこの町を守らねばなんねぇんだ! あんデカブツが降りでぎたらどうすっと!? 誰も戦えん! 銃持ってんのはおらだけだぞ!」

「いや無茶言うなって!!」


 じっちゃんはスーパーヒーローじゃないんだぞ! 当然だけど!!

 威勢ばかりで何も分かってくれない祖父に苛立ちを覚えながら、半ば羽交い締めにするような勢いで強引に連行することを決める。アドレナリン全開の祖父は暴れ出して言うことを聞かない。これまで鳥獣の被害から人や農作物を守ってきた祖父。その勇ましい姿は、俺の大好きなじっちゃんそのものではあるけど、こんなところでまで体を張ってほしいわけではないのだ。じっちゃんにまで置いていかれてはたまらない。


 ――そのさなか。


「しっ、志久真ぁっ」

「なんだよ!」

「あそこに、人がおる!」


 じっちゃんが指差すほうを見て息を呑んだ。「はっ……!?」巨獣の足元付近に昏倒した少女の姿が見える。服装が白を基調としているから目立つ。この池は朝方であれば別の猟師とバッティングすることならあるが、一般人がそう立ち入ることはない。ましてや銃を扱う際は誤射のリスクをなくすために周辺をよく確認するから、あんなところに少女がいるはずはないのに。


 確かに、そこには少女がいる。


「救わんと!!」

「――ッッ、分かった! 分かったから!! だからじっちゃんも逃げろ!!!」


 正義感の強い祖父を押し退け、俺は必死に駆け出した。巨獣の真下を抜けるように走るなか、気が早いが走馬灯のようなものが脳裏を掠めていく。特撮かハリウッド映画でしか見ないようなスケール感、造形物やVFX(視覚効果)とは全く異なるなまの質感をもってして、超至近距離に実在する巨大な化け物が俺に強く死を予期させる。


 馬鹿なことをしている自覚はある。素直に逃げていればよかったのに。

 でも、だからと言ってじっちゃんを恨みたいわけでもない。俺にだって正義感はあるし。

 猟師という生業を通じて学んだじっちゃんの教えが、俺の体には染み付いている。


「――担いだ!!」


〝誰かのために奮闘しなさい〟

 人を守るため。農作物を守るため。被害を減らすため。自然と人のバランスを維持するため。猟師がいたずらに動物の命を奪うことは絶対になく、その背景には人の生活を守るという大切な使命があるのだ。

 そのために奮闘する祖父を見続け、学んできたのだから、俺にだってその度胸くらいはある。


 援護射撃をするように銃砲が一発、鳴った。


 その瞬間、頭上にあった閉塞感がフッと消え、視界が白む。まるで、ちょうどトンネルを抜けたときみたいに。


「……あえ?」


 素っ頓狂な声が出る。なんだ、どういうことだ。巨獣はどこへ行った? じっちゃんがやったのか? いや、まさかそんなはずはない。夢から覚めたような不思議な感覚。唐突な静寂。駆け出していた足の動きが急速に衰え、目を白黒とさせながら立ち尽くす。

 状況の変化にまるで理解が追いつかなかった。


「大丈夫かぁ、志久真!」


 血相を変えてこちらへ走ってくるじっちゃんを迎える。ぼうっとする頭を目覚めさせるように振るい、乾燥した口内を潤すように唾を呑み込んでから答えた。


「う、うん、とりあえず。帰ろう、この女の子が心配だ」


 抱えている少女を見下ろす。この子が何者なのかは分からないが……。ひどい怪我だ。意識はなく、額には流血の痕がある。


「こりゃもぞこい、何があったんだか……。早ぐ車さ行ぐぞ、こんなとごいられねぇ」


 頷く。俺たちは安全な場所で状況把握に努める必要があった。



 じっちゃんの家は町外れの木造の古家だ。百二十坪の面積の庭があり、無造作に車が停められる。いまも乗っているこの軽トラは祖父の車で、もう一台、使われていない小綺麗な軽ワゴン車がある。こちらは父から相続した(祖父が代理で手続きをしてくれた)俺の車で、免許取り立ての頃に数回動かしたきりだ。


「病院は繋がんねぇ。やっぱ騒ぎんなってるみてぇだ」

「一応手当ては済ませたけど……。寝かせておくしかないか」


 じっちゃんが掛け合ってくれたみたいだが、ダメみたいだ。テレビとスマホ、両方を駆使して情報収集をする限り、巨獣出現でパニックになった人や衝撃の余波で立てなくなった・怪我をしたという人が病院に殺到しているらしい。

 近くの山では土砂崩れもあったのだとか。


 仕方なく、少女は隣の居間で寝かせることにする。


 SNSではこの件が一瞬でトレンドに上がっており、テレビでは緊急速報が入っている。いずれも情報の正確性には欠けるし、この現象を説明できていないが、緊迫感は伝わる。先ほど自衛隊入りの報道もあった。テレビでは慌てるなという懸命な呼びかけと視聴者からの情報提供を募っているみたいで、詳しいことが分かるのはもう少し先のことみたいだ。


 じっちゃんは威力の低いエア・ライフルから散弾銃に持ち替え、抱き抱えている。物騒すぎるから控えてほしいところだが、無理も言えない。

 この状況下では用心に越したことはないだろう。


「あん娘はなんだと思う?」


 じっちゃんが険しい顔で問うてくる。情報が極めて少ないなかで、見るからにこの少女は真相への唯一の糸口だと言えた。

 こんな田舎でまず見ることのないキラキラとしたナチュラルボブの銀髪に、両サイドの三角形の髪留め。線が細い体型で、銀装飾のあしらわれた丈の短いワンピース。両腕の厚みのあるバングルは奇妙なデザインをしている。

 全体的に色素の薄い女の子で、ずっと見ていないと幽霊みたいに薄れて消えていってしまいそうな、そんな危うさがあった。

 もしも彼女が目覚めたら、あの巨獣の正体も知れるだろうか。


「傷の形が刺されたり、切られたりしたものに見えた。それでこの画像を見てほしいんだけど、巨獣にはムチみたいな尻尾があるんだよ。先端が膨らんでいて、トゲトゲしてるんだけど」


 巨獣はずんぐりむっくりとした毛深い動物っぽくて、怪獣みたいな荒々しい姿をしているわけではないけれど、その尾には十分な攻撃性が秘められているように見える。もしもこの少女が巨獣と戦っていて、尾に薙ぎ払われて墜落したのだとしたら? もしそうなら、人類の敵ではないのは確かだ。何か話が聞けるかもしれない。


「どっか逃げるか……どごさ逃げだらいいがも分がんね。急に現れて急に消えっちゃがらなぁ」


 じっちゃんが疲れたように息を吐く。俺もそう思う。

 対策のしようがない、災害のような相手だった。


「あ」


 と、先に気付いた祖父が隣の居間を指差す。少女が目覚めたみたいだ。

 猟銃を抱える祖父が真っ先に近付くのは悪いだろうと思い、まずは俺が声を掛けることにする。


「ひっ……」


 ――青ざめた顔で避けられ、足が止まった。近付けずにいると、少女は状況の変化に追いつこうと周囲を見渡したり自分の体を確かめるように触る。自身が寝かせられていた来客用布団や腕と頭の包帯、応急処置の痕跡を見つめ、やっと理解したところで、さぁーっと血の気の引いた顔をした。

 その反応があまりにも気の毒だったから、俺は彼女を落ち着かせるようにゆっくりと歩み寄りながら丁寧に言葉を掛ける。


「だ、大丈夫だ。もうあのでかいやつはいないから、まずはゆっくり深呼吸をして――」

「だっ、ダメなの! 近付いちゃダメなの、ダメなのにっ……!」


 拒絶される。でも彼女が恐れているのは俺自身ではなくて、何か別ののっぴきならない事情があって俺を遠ざけようとしているみたいに見えた。潤む瞳は救いを求めたままで、彼女は自責の念に苛まれるように、苦しそうに必死に言葉にする。


「わ、私、これじゃあ殺されちゃう……!!」


 塞ぎ込むように丸くなる姿。あまりにも可哀想で、気の毒な姿。

 得体の知れない少女の悲痛な叫びが、古びた民家のなかにこだまする。


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